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5. ミニマル+革新性 HEDI SLIMANE

前回はミニマル+カルチャーと言う事でラフシモンズの話をさせて頂きました。
ほぼ同時期にイヴ・サンローラン リヴゴーシュ オムが
そのアーティスティックディレクターに任命されたのは若き日のエディ・スリマン。

MR.High Fashion 1999年2月号より

エディは、1968年パリ生まれ、エコール・ド・ルーブルで美術史を学び、90年から94年までジョゼ・レヴィの元でアートディレクターを務めた経験を持つ。
その後、94年から97年までジャンジャックピカールのアシスタントを務めました。
そこで、テーラリングを叩き込まれました。
ここでも、ラングやラフ同様、エディも、服飾の学校に行っていないデザイナーだ。
そんな当時無名だったエディに目を付けたのは、イヴ・サンローランの共同創業者である、ピエール・ベルジェ。

ピエール・ベルジェとイヴ・サンローラン


イヴ・サンローランは女性に紳士服を着せた挑発的でモダンなクリエーションだったが、エディはウィメンズのモードからのインスピレーションをメンズに落とし込むと言う、逆の発想のクリエーションでした。
そのサンローランの不変の革新性を、エディのシャープでミニマルな若い感性で継承し、高く評価されていました。

自分自身の出会いとしては、雑誌でサンローランのメンズにエディスリマンが就任して3シーズン目1998-1999年秋冬のコレクションの写真が掲載されていて、今でも忘れない、そのシャープでタイトめなトレンチコートに目が釘付けになったのを覚えています。

1998-1999AW
1999SS

ラフシモンズもタイトなテーラリングでしたが、エディはよりエレガント(もしかしてこの言葉は語弊があるかもしれない)な雰囲気を感じました。
そして、その時初めて"フレンチシック"と言う言葉を覚えました。
ラグジュアリーブランドも好きになっていた事もあり、僕はエディのイヴ・サンローラン リヴゴーシュ オムの虜になりました。
とは言え、当時の自分には高く、中々購入は出来ませんでした。
そんな中でも、何点か購入していますのでまたの機会にご紹介していきたいなと思います。

1999-2000AW

当時からエディは音楽好きとして有名ではありましたが、今の完全にロックと言う訳でなく、パリのDJ兼プロデューサー / ディミトリー・フロム・パリス等、4つ打ち等も聴いているのが面白い。
勿論、デビッドボウイは永遠のヒーローでしたが。僕も4つ打ちのハウスミュージックが大好きだったのでその辺りも共感出来、好きな理由でもありました。

2000SS
2000-2001AW

エディによるイヴ・サンローランのラストコレクション2000-2001AWは、ゴールドパンツを穿いたモデルが登場したフィナーレを始めとする、よりタイトで艶っぽいスタイルに変化していきました。
このコレクションも高く評価され、僕自身エディの数あるコレクションの中でも心に残っている物の一つです!

上記のように、当時のGUCCIグループの買収騒動でエディは退任し、Dior hommeのクリエイティブディレクターに就任すると言う経緯です。

YVES SAINT LAURENT RIVE GAUCHE HOMMEからDior hommeの中期位までのエディは、イヴ・サンローラン氏同様、革新的なデザイナーでそれが1番の魅力でした。
実は僕、エディスリマンが1番好きなデザイナーで、Dior homme、SAINT LAURENT PARIS、そして現在のCELINEまでずっと追い続けています!
揺るぎないスタイルも定着し、貫禄すら感じる往年のミュージシャンのようなコレクションとなっています。
その長い歴史の中で購入してきたアーカイブ品も、ほとんど売る事なく取ってあるので、また歴史やシーズン毎にご紹介していきたいなと思っています。

デザイナーズとラグジュアリーブランドが軸となっている自分の思い入れのある90年代に活躍していたデザイナーを3回に分けてご紹介させて頂きました。
ラング以外のデザイナーは(ラフも今期で終了だが)、現役である事が本当に凄いなと思いました。

そのデザイナーズやラグジュアリーブランドを追いながら、古着やストリートブランドも研究し、ミックスする試みも当時していました。
それについてはまた次回お話しして行こうかなと思います。

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