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組織における「合理的な判断」「正しい意思決定」の難しさ

チーム、プロジェクト、部門、会社、など規模はさまざまあれ、組織において何らかの意思決定が行われるとき、その背景には大なり小なりこのようなプロセスがあるはずだ。

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…というのはほとんど嘘で、理屈上はこう考えるほうが自然だろう。

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ここまでで「確かにけっこう難易度高そう」と思えた方は理解力が高い方だと思うし、実際に決める側の立場にいる方もピンとくると思う。

しかし、2つ目の図では関係者の主観に相当するパートを黄枠で強調しているが、実際には、それ以前のプロセスにしたって組織的に徹底できているケースのほうが稀ではないだろうか。

つまり、現実としては(そこまで極端ではなく)以下のようなプロセスで意思決定が行われているケースも多いだろう、と思っている。

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「合理的な判断のもと、適切な意思決定を」とは、言葉にすればフワフワに聞こえるが、それなりにまとまった人数の組織で常にそれを実現するのは、かなりレベルが高い組織でないと難しい。

誤解を恐れずにいえば、世の中の大半の決定事項は「そこそこ適当に決められたもの」か「真面目に議論した上で、非合理的な判断に至ったもの」だ、と言っても過言ではない、とすら思っている。


少なくとも、意思決定に関わるものはこうした前提を頭の片隅においておき、そうではなく、組織やビジネスの価値を高めるための「正しい」意思決定を行うために相応の準備をするべきだ、というのがこの記事の結論。


ここからは、何をするべきか?を簡単にまとめる。意思決定のスピードや精度を上げることと、無駄なコミュニケーションコストをへらすことに役立つ、かもしれない。


基本方針:主観が介入する頻度×人数を減らす

個人の主観が交じることで判断を誤るなら主観を排除すればいい、そういう意思決定をできるようになりなさい、というのは間違いないし、理にかなっているように見える。

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しかし、バイアスにせよ気分・感情にせよ状況判断力にしても、個体差も大きい上に日常的な変動要因があまりに多く、少なくともマネジメント対象にできるようなものではない。

そこで、「意思決定に関わる人数を減らす」ことに加え、「主観が介入できる余地をへらす」ことが実務上は有効だと思う。変数そのものの出番が減るからだ。

前者はそのままなのでわかりやすい。必要最小限の人数で意思決定することだ。ただし「事実と意見はオープンに広く募り、意思決定は最少人数で」という方針が個人的には好みで、迷ったらこれに従うのが間違いが少ない。

他方の後者(主観が介入できる余地を減らす)については、具体的には以下のようにシンプルな2方向のアプローチになると思う。


1.「私たちはこう考える」を言葉にする

何を目指し、何を大切な価値観とし、どんなことに重きをおき、どういう方針のもと行動の良し悪しを決めるか、などについて、言葉にできることは言葉にする。

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いかにも抽象的だが、ここを怠ると「人それぞれの価値観と判断でOK」が増える。多くの場合、企業はそれではダメで、自分たちが目指すものと普段の行動、仕事がリンクしないとどこかで破綻することになる。

これは業務上のマニュアルやワークフローのようなものから、ガイドライン、クレドのようなものまで粒度や抽象度は幅広いが、何か大げさなことというより、「暗黙の了解」「人それぞれ」を減らすのが重要ということだ。

言語化された何かが用意されている場合、議論の焦点が「このルールのこの部分は修正するべきではないか」などに当てられるため、建設的だ。

そうでない場合、「誰の意見が正しいのか」という、半ば終わりのない議論に突入してしまうし、不要な軋轢や対立のもとにもなる。そういうコストは目立たないが、あとあと高くつく。


2.素早く実行、事実を報告、然るべき場で起案、をメンバーとマネージャーが徹底する

前段の1.以上に組織力が問われるのはむしろこちらだと思う。強いチームはこの点を徹底できている印象が強い。

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「現場が実行の過程で得た結果(事実)を素早く部署で報告する」を仕組みとして徹底できているチームは意外と少ないのではないか。戦略に沿って的を得たデータを集めて報告が上げられているチームは更に少ない。

トップダウンの文化か?ボトムアップの文化か?などがよく対立構造で語られるが、よくあるのは「現場の要望を吸い上げて経営に反映するのがボトムアップ」というような議論だ。これは少し飛躍している。

正しいボトムアップは「実行して得られた事実を速やかに正しく報告する」から始まる。その事実はそのチームが実行した結果からしか得られないものであり、最も重要な「活きた判断材料」だからだ。

主観が多分に含まれた個人の意見や希望を吸い上げることに終始せず(それはそれで大切)、実務上は「まずは事実を教えてくれ、そのうえであなた(たち)の考えを聞かせてくれ」に尽きる

もちろん、どういうデータを集め、得られた事実をどう解釈し、どういう仮説を立て、何をissueとするか、などが次の問題になるわけだが、記事の趣旨からは外れるので割愛。


まとめ

・集団で「合理的な判断」は実は難しい
・個人から主観は排除できない
・主観の出番を減らす
  - 暗黙の了解、人それぞれ、を減らす
  - 現場からの事実報告を強化する
  - 意思決定に関わる人を減らす


なお、「会社」「部門」のように広く大きな意思決定のイメージで書いたが、チームやプロジェクトといった小さな単位の中でも定性的な判断指針、定量的な判断材料などは必要になるので、そのへんは肩の力抜いて読んでいただけると。

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