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6月28日のコンサートのダイジェストビデオアップしました。

タイトル通り、すでに先々月となってしまったコンサートのダイジェスト、今更ですが公開しました。 このコンサート自体が「ライブ」に特化しているので、ビデオでは雰囲気だけ伝われば良いかな…という感じです。 

このコンサートをオーガナイズするにあたって色々と考えていた事があって、それは私のThreads( threads.net/@contrabasuzuki ←フォローお願いします〜 )の方で考えをまとめる為というのも兼ねて散発的に投稿していたのですが、こちらに改めて必要に応じて加筆修正しつつ載せたいと思います。


発端は去年の日本ツアーの時期あたりから

ここで書くのはいささか話が逸れるので端折りますが、高齢により脳機能に障害をもってしまった父と演奏する事も大きかったのだと思います。
↓その話のthread記事へのリンクです。

人がそこにいる、という状況

まず、生身の「人」がそこにいるって状況、つまり共演者がそこにいて、聴衆がそこにいる、という状況…。 録音メディアが生まれる前はその状況しか無かったのだろうけれど、現代はテクノロジーの発展のお陰で他の選択肢も色々あり、目の前に実際に人が居なくても音楽の制作から発表まで成立させることができます。 

この両者は同じ一続きの「音楽」の地平上にはあるけれど、違う領域、文化なんだろうな…と感じるのです。これは、 どのメディアが良いとか悪いとか、そういう話では当然無いです。

単純に「人がそこにいる」という状況、文化に特化した音楽をやりたいな…と思ったのがキッカケです。

リズム

まず最近、非常にリズム欲が湧いているのです。 なので、それを中心にして交流が起こるような音楽をやりたいなぁ…と。

一つ思うのは「リズム」は聴衆とのコネクションを容易にしてくれます。
そういう意味では「人の存在に特化している音楽」というあり方にはピッタリだと思っています。

だからといってラテンとかファンクとか、そういう既に名前がついている何かをやりたいワケでは無いのです。だけれども、やってみたら自然にそういうモノなったというなら、それはそれで構わなくって、要は「型」にはめ込む所から作りたくないのですね。
理想を言えば、「なんかわからんけど気持ちいいリズム」が作れたら楽しそうだよね、と。 

その先に求めるモノ

リズムを主軸に置くとなんだか踊る為のお祭り騒ぎ的な音楽になりがちだけど、今回のコンサートで求めてるのはその逆で、ゆったりと浸って過ごせるのだけれど、自然と体が動いてしまう…そういうモノです。
密度が高く、深いところに潜っていくようなダイナミズムのある音楽を目指します。

人選

いろいろ思いを巡らせてみたけれど、結局は感性を信頼できる相手になってしまいますねぇ。
譜面を渡して「これでシクヨロ〜」って感じでミス無くまとまれば良い、という類の音楽をやる訳では無いので技術だけでなく、その音楽家の「中身」もとても大切、と。

声をかけた基準を簡単に言えば「話が通じる相手」。 
私が思い描いている事に共感して興味を持ってもらえて、少なからず一緒にそこに近づこうとする事がやり切れる仲間というか…。
そうなるとあまり選択肢は多くないのが実情です。

やりたい事があるときは、まず共演して欲しい相手にアイデアを話して興味を持ってもらうところから始めるのが毎回の流れ。
それで参加するか決めてもらいます。
今回もメンバー一人ひとりに直接アレコレ話しました。

曲、何をどうやるか?

メンバーの個性を想定しながら、自分の試してみたい事も込めるっていうか…そういう感じで素材を書き溜めます。

今回のコンサートで肝になるのは”いかに時間をオーガナイズするか?”になると思うので、その為の素材をセッセと作ってる感じです。
コンサート全体で一曲になるような感じっていうか…です。

リハをすると、そこからも色々アイデアが生まれたりもするので、それを元に新たに書いたりもします。そうやって相互作用で色々見つけるから人とやるのは楽しいんだよなぁ…と毎度の事ながら思います。

そういう事を聴きに来てくれた人達とより共有できるようにするには何ができるんだろうか?と、ふと思ったりしてます。

告知で説明する際になんて言おうか…

このコンサートの告知をして頂くのにサブタイトルを考えてたのだけど、その際に、音楽的な雰囲気を一言で想像させられるようなものって何か無いかな…と言うのを考える必要がありました。

「Jazz」と一言にしてしまうと人によって持つイメージがバラバラすぎて、音楽的な雰囲気が全く伝わらず、誤解される事が多いので、サブタイトルに関してはいつも悩むのだけれど、ある日やっと思いつきました。
”Post-Jazz”ってのは良いな、と。 

「Post」って、なんというか、どこかに向かおうとする意志は見えるけど具体的な方法や内容に関してはニュートラルな感じがしてます。
今までも”Post-Bop”やら”Post-Rock”なんてのはあったけれど、それらの「Post」という言葉に含まれる「意思」(「意味」では無く)を自分なりにまとめると、「各ジャンルの文脈に乗りつつ、その音楽語法を拡張していくような動き」といった感じです。
つまるところ、それぞれのアーチストでやっている事は異なるけれども、共通している点はこういう意思の部分なのだと思います。

結局抽象的なのですが、「Post」がつく事でいわゆる「伝統的なJazz」とか「前衛的なJazz」とか既存の何かとは違うという印象が与えられる事が期待できるので、とりあえずはこれで良いのではないかと思っています。

以下、最終的に告知用に使った文章

上記を踏まえて書いたのが以下のモノです。

”一人きりで音楽を創作する事や聴衆とも直接合わないでそれを発表する事、今日に於いてそれは可能だし、既に一つの文化の形態となって久しい。 実際に私自身そういう方法を取る事も多い中で、「共演者も聴衆もそこに存在するからこそ…」という点に集中した音楽をやってみたい…とふと思いました。それがこのコンサートの発端です。
そのあり方は音楽の原点とも言えると思うけれど、果たしてそこにしかないモノは何でしょうか?
それは音楽や場のダイナミズムの質感なのかもしれません。
今回は、そのダイナミズムをリズム並びにコミュニケーションとインターアクションに求めます。 しかしそれはどちらかというと、静かに深淵に向かっていくようなダイナミズム。 その日、その場所にしかない静かなるダイナミズムを皆様と共有できたら幸いです。”


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