オーガニックチャーチで気を付けるべきこと
オーガニックチャーチには、定まった形ややり方はありません。定まった人が提唱したモデルによって広がっているわけではなく、世界中の様々なところから個別に現れ、草の根的に広がっているムーブメントなので、それぞれのグループが独自の方法を考えているのです。共通することがあるとしたら、それはキリストの弟子を生み出すことが働きの中心となっているということです。
様々な方法がある中で、オーガニックチャーチという手段を選ぶなら、この部分は押さえておいた方がいいということについて、今回は書いてみようと思います。
① 集めることでなく、拡散することを優先的に考える
オーガニックチャーチの最大の利点は、構造がシンプルであるために、増殖をしやすいということです。リレーで使われるバトンは、適度に小さく軽いから渡せるのであって、大きすぎたり重すぎたりすれば渡すことが難しくなります。複雑な構造の教会を開拓するのは大変ですが、シンプルな集まりは誰にでも再生産ができます。オーガニックチャーチは、シンプルであることそのものが最大の武器なのです。
人がたくさん集まる教会を作るなら、様々なニーズに応えなければなりませんし、組織的にならざるをえませんから、構造は複雑になってしまいます。だからオーガニックチャーチの利点を活かすためには、人を集めることではなく、神の国を世界中に広げていくイメージで考えるべきです。
地の塩となり、世の光となって神の国を広げていくという本来の教会の目的を考えるなら、世界に広がっていくことはとても理にかなっています。あらゆる方向から光を放ってこそ、世界中を照らしていくことができるからです。
普段は小さな集まりが、それぞれに神さまに聞き従いつつ、輪を広げていきます。情報を共有しながら、互いのために祈りつつ、必要に応じてミッションやミニストリーのために目的を持って集まるのです。
② ある程度の枠組みは必要
オーガニックチャーチに定まった形はありませんが、それぞれに土台となる枠組み(フォーマット)は必要です。抽象的過ぎるとつかみどころがなく、何をしていいか分からなくなってしまうからです。
枠組みを作ることによって、新しいグループを生み出しやすくなりますし、新しい人も適応しやすくなり、それぞれのグループが道を外れにくくなります。シンプルなフォーマットを作ることが大切なのです。
③ 牧師がいなくても成り立つ形にする
オーガニックチャーチは、牧師や教師がいなくても、信徒が成長することができる方法を考えるべきです。
前にも書きましたが、今までのように牧師を育成するためには、勉強や訓練のために長い時間が必要となります。これでは、教会の増殖に牧師の育成が追いつきません。日本ではすでに牧師が不足していますから、オーガニックチャーチでなくても、この方法には限界がきていることが明確です。
牧師のメッセージを聴くだけというスタイルは信徒が自立した信仰を持つ妨げとなり、成長を遅らせることにもなります。
神学的スーパーバイザーとして、あるいは巡回して牧会的ケアをするための牧者がいるといいかもしれませんが、それぞれのグループは牧師がいなくても成り立つ構造を考えていくべきです。
④ 信徒の霊的自立を目指す
誤解されやすいので先に言っておきますが、「自立する」ということは、「孤立する」ことと同義ではありません。クリスチャン同士が繋がりを持つけれど、自分の意志で神さまとの関係を深め、必要なことを学び、判断することができるようになるということです。
このような、自立した信仰を持つ人々によってオーガニックチャーチは構成されます。つまり、一人ひとりの中に「自分はキリストの弟子として生きる」という自覚がある程度求められます。その上で、互いに教え合ったり、支え合ったり、励まし合ったり、祈り合うというのが、オーガニックチャーチの楽しさであり、醍醐味なのです。
⑤ 教会の外の働きに比重を置く
オーガニックチャーチは、教会内の奉仕や働きを必要としません。教会の中での奉仕や活動は最低限に留めるべきです。組織も建物も持たないオーガニックチャーチの活動フィールドの中心は、教会の中ではなく、世界だからです。
多くの人々は、すでに「この世」に置かれていて、活動するフィールドを持っています。時として教会は、そのような人たちを世から引き離し、教会に繋げ、教会の中で仕えさせるということをしてきました。しかし、一人一人が置かれている場でキリストの弟子となり、地の塩、世の光として影響力を発揮することができたら、神の国はより大きな力を持って広がっていくでしょう。
⑥ 神さまとともに歩む喜びを体験し、それを表現する文化を作る
サマリヤの女やゲラサの狂人が、人々にイエスさまのことを伝えた時、彼らを動かしたのは抑えきれない驚きや喜びであり、それが地域の人々にも伝わっていきました。
福音を伝えるためには死後の恐れや不安を煽って人の心を動かすこともできますが、「天国へのチケット」のために救いに導く方法は、救われた時点で相手の目的が果たされてしまうので、結果的にはいい影響を与えません。
大切なのは、私たちが今、神さまとともに新しい命を生きることです。「死後の世界」という不確かなものではなく、私たちが今体験していることが見せられるのですから、それは何よりの強みです。
「正しい知識」を得ることも大切なことだとは思いますが、それ以上に神さまを体験し、その喜びを表現しましょう。私たちがその喜びに満たされることが、何よりの伝道にもなっていくのです。
⑦ 毎日が礼拝
礼拝とは日曜日に集まることではなく、日々の生活の中で自分を捧げ、神さまとの関係を深めることです。詳細は、こちらの記事をお読みください。
既存の教会で育った方たちは、日曜日の礼拝会がないと物足りないかもしれませんので、それ自体を辞めるべきとまでは言いませんが、日曜日の礼拝会のために疲労困憊したり、家族や外の人たちとの関係が損なわれるのは本末転倒です。
⑧ 誰でも受け入れない
意外に感じるかもしれませんが、実はこれが一番重要なことかもしれません。
教会は、誰でも繋がることができるものです。しかし、一つの集まりに全ての人が適応できるわけではありません。
例えば、同じ野球という競技でも、趣味で草野球をやりたい人と、プロの選手ではトレーニング方法がまるで違い、一緒に練習することはできません。無理に一緒にやろうとすれば、趣味でやろうとする人たちを潰し、プロを目指す人たちの足を引っ張ることになるでしょう。
教会にも同じようなことが起こります。弱い人たちのケアに終始して、福音を広げることができなかったり、教勢を上げたい人たちに合わせることを強要されて、カルト的になることもあります。
オーガニックチャーチの道を選択するなら、教会に繋がる人たちはキリストの弟子として生きることを願う人たちに限定することをお勧めします。ただ参加するコミュニティを求める人に歩みを合わせると、一人一人の成長が抑制されてしまい、やがて集まり自体が消滅することになるでしょう。
コミュニティを求める人たちには、大勢で集まり、「交わり」に力を入れている既存の教会の方が向いているのです。
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