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神さまと生きるために知ってほしいこと 8章 神さまとの対話

―考えてみましょうー
あなたは祈ったことがありますか? それは、どんな時で、どんな祈りでしたか?



クリスチャンじゃなくても、神さまを信じていなくても、祈ったことがある人は多いと思います。
でも、多くの人にとっての祈りは、単なる気休めでしかないかもしれません。
祈りとは何か、どのように祈ればいいのかを知っていれば、祈りはもっと効果的になります。

祈りとは何でしょう?
ひと言でいうなら、祈りとは、神さまとの対話です。
祈りは、神さまとの関係を築く上で基本中の基本なのです。

皆さんは知らない人ばかりの場所に行ったとき、どのようにして友達を作り、仲良くなりますか?
まずは話す機会を伺うのではないでしょうか?
誰かと話せば話すほど、その関係は深くなっていくものです。
神さまとの関係を築きたいなら、私たちは神さまとたくさん話せばいいのです。

イエスさまは、しばしば人々から離れて静かな所に行き、ひとりで祈る時間をもちました。(マタイ14:23)
イエスさまにさえ必要だというなら、私たちにはなおさら必要なことです。

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主の祈りに学ぶ祈り方

それでは、イエスさまが弟子たちに教えた“主の祈り”を土台にして、祈り方を学んでいきましょう。

<主の祈り>
「『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
 私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。』」
〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕
(マタイ 6:9b-13)

① 優しい神様「天にいます僕たちの父よ」

私たちは、神さまに「お父さん」と呼びかけることができます。
こんな身近な言葉で呼びかけることができるのは、私たちがイエスさまを通して神さまの養子とされたからです。
私たちのお父さんは、厳しいところもあるけれど、私たちを優しく愛してくださる方です。
そのような親しい関係の中で、天のお父さんとの会話を楽しみましょう。

② 賛美と感謝「御名が聖なるものとされますように。」

神さまをほめたたえましょう。
「あなたは素晴らしい方です。」「全地の王、救い主です。」
いろんな言葉があると思いますが、最初の内にはなかなか言葉が出てこないものです。

しかし神さまを知れば知るほど、賛美し、感謝する言葉は増えていきます。
神さまの御名が、たくさんあがめられますように。

③ 神さまの心を第一とする「御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」

私たちはつい、自分の思いや要望を優先して祈ってしまいがちですが、私たちがまず何よりも祈り求めるべきは、神さまの思いや願いが実現することです。

祈りの目的は、祈りによって神さまの心を変えることではなく、祈りを通して神さまの心を求めて、私たちが変えられていくことなのです。

イエスさまは十字架にかけられる苦しみから逃れられるように祈りながらも、最後には神さまのみこころを求めて祈っています。(マタイ26:39)

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④ 私たちの願い「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」

私たちが必要としているものを神さまに求めることも、祈りのひとつです。
これが私たちの祈りの原点と言ってもいいでしょう。

願っているものを“誰に”求めるかということが大切です。
私たちが求めるべき相手は、この世界の創造主である神さまです。
神さまに不可能はないことを信じて祈りましょう。(マタイ21:22、マルコ11:24)

しかし、神さまは私たちの全ての願いを叶えて下さるのではないことも忘れないでください。
手紙の中でイエスさまの弟だったヤコブは、願い求めても与えられないのは、動機が間違っているからだと述べています。(ヤコブ4:3)

祈りの目的は私たちの願いが叶うことでもなく、飽くまでも私たちの心が神さまの御心と一致していくことです。
私たちの願いが、神さまの心と一致したときに、その願いは現実のものとなるのです。(1ヨハネ5:14-~15)

⑤ 罪の悔い改め「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。」

罪は、私たちの祈りを妨げます。自らの罪を悔い改めましょう。
罪を悔い改めるということは、罪に背を向けて、神さまに近づくということでもあります。
神さまとの関係を深めるために、罪の悔い改めは不可欠なのです。

できれば、「これまでの罪を赦してください。」という抽象的な祈りでなく、「〇〇の罪を赦してください。」と、具体的に祈りましょう。
そのためには、自分の罪を自覚して、認める必要があります。
今、自分の中にある罪は何か、自分の心の中を深く見つめてみましょう。
それ以上に効果的なのは、神さまに尋ねてみることです。

「神さま、私の中にどんな罪があるでしょうか?」
祈った瞬間に、思い浮かぶことが二つや三つはあるのではないでしょうか。
それが、あなたに示されている罪です。

その罪から離れる力を神さまに求めてください。
私たち自身の力だけでは、罪の力に勝つことはできないからです。

⑥ 全てをゆだねる 「国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。」

最後に、私たちは祈ったすべてのことを神さまに委ねます。
委ねるというのは、私たちが努力をしないということではなく、その結果を神さまに任せるということです。
私たちは自分にできることを実行し、その結果を神さまに任せるのです。

祈っているだけでは、東大に合格することはできません。
できる限りの勉強をし、その結果を委ねるわけです。
結果として東大に合格しなかったなら、神さまの計画は他にあるということかもしれません。
神さまの御心を求めて祈り続けましょう。

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⑦ イエスさまの御名で祈る

これは主の祈りの中にはありませんが、私たちが祈るうえで大切なので加えておきます。
私たちの祈りが、クリスチャンではない人たちとどう違うのかと言えば、「イエスさまの名前」で祈るということです。
イエスさまはこのように言っています。

「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。(ヨハネ 14:13-14)」

イエスさまの名で祈るということは、要望書に裁判所や国の印章が押してあるのと同じようなことで、私たちが神の子イエスさまの権威によって祈ることを意味しています。

もちろんこれは、「『イエスさまの御名によって祈ります』と言うから祈りに効果が出る」というような、魔法の言葉などではありません。
私たちはイエスさまの代理として、イエスさまの名前で祈るということですから、イエスさまが祈ろうとしていることを求めて祈る必要があるのです。

⑧ アーメン 「アーメン。」

祈りの最後に、クリスチャンの人たちが、「アーメン」と言っているのを聞いたことがあるでしょう。
この言葉は、祈りの締めくくりを表す言葉ではありません。

「アーメン」とは、ヘブル語で「まことに」とか「本当に」あるいは、「その通りです」という意味の言葉で、本来は祈っている本人ではなく、その周りにいる他の人たちが、「私も同じ思いで祈ります」という意思を表すために使う言葉です。

―祈ってみましょうー
ここまでで、一度祈ってみましょう。

1. 親しみを込めて、神さまに話しかけましょう。
2. 神さまを賛美し、感謝しましょう。
3. 神さまの御心を、心から求めましょう。
4. 私たちの願っていることを祈りましょう。
5. 罪を悔い改めましょう。(具体的に)
6. 全てを委ねましょう。
7. イエスさまの御名で祈りを締めくくります。

* 多くの教会では、この主の祈りを礼拝の中で唱えています。
主の祈りは、祈り方を学ぶためには有益なものだと思いますが、呪文のように唱えるために主の祈りを教えられたわけではないと思っています。
なぜなら、主の祈りを教える前に、イエスさまはこのような話をしているからです。

「また、祈るとき、異邦人のように、同じことばをただ繰り返してはいけません。(マタイ 6:7a)」

何度も言いますが、祈りとは神さまとの対話です。
どんなことでも、いっぱい神さまとお話ししましょう。

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2. 祈りの極意

① 静まった所で祈る

マタイ6:5~6を読みましょう。

「また、祈るとき偽善者たちのようであってはいけません。彼らは人々に見えるように、会堂や大通りの角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。
あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。(マタイ 6:5-6)」

祈りは、人に見せたり聞かるためのものではなく、神さまと対話するためのものです。
落ち着いて、神さまと二人きりになれるところで祈ってみましょう。

② いつでも祈る

コロサイ4:2、Iテサロニケ5:17を読みましょう。

「たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。(コロサイ 4:2)」
「絶えず祈りなさい。(Iテサロニケ 5:17)」

静まった場所だけでなく、いつでも、どこでも、どんな時でも祈ることができます。
通勤通学の電車の中、トイレの中、人と話している途中でも、神さまに祈りましょう。

もちろん、誰かとの話を中断して祈りの態勢を取るわけにはいきませんから、心の中で祈ります。
何かをしながらであれば、一言二言が精いっぱいでしょう。
「神さま助けて」とか、「この人を導いてください」と、心の中で祈ります。

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③ 一緒に祈る

マタイ18:19~20を読みましょう。

「まことに、あなたがたに言います。何でもあなたがたが地上でつなぐことは天でもつながれ、何でもあなたがたが地上で解くことは天でも解かれます。まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。(マタイ 18:18-19)」

ひとりで祈るだけでなく、他の人と心を合わせて祈るとき、その祈りはもっと大きな力となります。神の国がそこにあるからです。
その祈りに賛同する人は、「アーメン」と言ってその祈りに心を合わせましょう。

④ 執り成しの祈り

ローマ15:30を読みましょう。

「兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によってお願いします。私のために、私とともに力を尽くして、神に祈ってください。(ローマ 15:30)」

自分のためではなく、他の人のために祈る祈りを、執り成し(とりなし)の祈りと言います。
その人が自分自身で祈れないとき、心に平安がなく他の人の助けを必要としているとき、権力者や自分たちのリーダー、教会や、私たちを傷つける人たちのためにさえも、私たちは執り成して祈るのです。

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⑤ 癒しのための祈り

使徒の働き6:6、ヤコブ書5:15を読みましょう。

「この人たちを使徒たちの前に立たせた。使徒たちは祈って、彼らの上に手を置いた。(使徒 6:6)」
「信仰による祈りは、病んでいる人を救います。主はその人を立ち上がらせてくださいます。もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。(ヤコブ 5:15)」

イエスさまの弟子たちは、イエスさまから力を受けて、病気の人たちに手を置いて祈りました。
すると、人々の傷や病気は癒されたと記されています。
私たちもイエスさまの弟子であり、神さまの力は決して過去だけのものではありません。
イエスさまの弟子なのですから、神さまの力は私たちを通しても働くのです。
癒しのために祈りましょう。

大切なのは、癒されることを心から信じて祈ることです。(マタイ9:22、13:58など)
しかし、すぐには癒されないこともあります。
その時も、あきらめず繰り返し祈り続けましょう。
(ルカ11:5~10)
また、生きている間には癒されないこともあります。(2コリント12:7~10)
全ては神さまのみこころ次第ですが、神さまにすべて信頼して、すでに癒されたと信じて祈りましょう。

⑥ 祈り方がわからない時

ローマ8:26、エペソ6:18を読みましょう。

「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。(ローマ 8:26)」
「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。(エペソ 6:18)」

祈るとき、言葉が見つからなくて、どのように祈ったらいいかわからないことがあります。
そんなときは、聖霊に祈りを委ねましょう。すると、聖霊が祈りを導いてくれます。その祈る言葉自体が祈りの答えになることもあれば、私たちには理解できない霊の言葉(異言)として出てくることもあります。

しかし異言は、他の人たちが聞いても意味が分からないものであり、聞かせる意味もありません。
それどころか、他の人たちのつまずきの原因にもなるものです。(Iコリント14章)

異言で語る人は、人に向かって語るのではなく、神に向かって語ります。だれも理解できませんが、御霊によって奥義を語るのです。(Iコリント 14:2 )」
「それでは、どうすればよいのでしょう。私は霊で祈り、知性でも祈りましょう。霊で賛美し、知性でも賛美しましょう。
そうでないと、あなたが霊において賛美しても、初心者の席に着いている人は、あなたの感謝について、どうしてアーメンと言えるでしょう。あなたが言っていることが分からないのですから。(Iコリント 14:15)」
「ですから、教会全体が一緒に集まって、皆が異言で語るなら、初心の人か信じていない人が入って来たとき、あなたがたは気が変になっていると言われることにならないでしょうか。(Iコリント 14:23)」
解き明かす者がいなければ、教会では黙っていて、自分に対し、また神に対して語りなさい。(Iコリント 14:28) 」

異言の祈りこそ、人から離れて静まった所で、神さまとふたりきりになって祈るべきものでしょう。

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⑦ 神様の声を聞くこと

私たちの祈りは、一方的に神さまに願いを伝えるだけのものになってしまいがちです。
しかし、これまで何度も話してきたことですが、祈りとは対話です。
話すだけでなく、聞かなければ、それは対話にはなりません。

私たちは神さまの御心を知り、それに従う必要があるのですから、話すこと以上に神さまの声を聞くことに多くの時間を費やしましょう。
神さまの声に耳を傾ける最もシンプルな方法は以下の通りです。

1.  神さまの声を聞く前提条件として「示されることは、どんなことでも従う」という決意をする。
2.  導きを求めていることに関して祈る。
3.  静まる中で、心に思い浮かんだことが神さまの導きである可能性が高い。
4.  神さまの導きは、私たちの願望とはまったく違うことも多い。
5.  そこで得た答えが、聖書の真理と矛盾していないかどうかを確認する。

―祈ってみましょうー
神さまの声に耳を傾けてみましょう。
その中で、何か気づいたことがあったら、書き記しておきましょう。
祈ったことを記録したり、祈りの中で「語られた」と感じたことを書き記しておくと、神さまがどのように答えて下さっていたかを後で確認することができます。


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