小野寺彩子のお悩み相談室! 第2章「ママは高校1年生!?」
お悩み相談所を開設して1週間がたった。いまだ相談しに来てくれた人はいない。
僕と彩子は501部室の中で今日も放課後を有意義にすごしていた。
部室の中は間仕切りで応対室と相談室に分かれていて、扉を開けて中に入ってすぐが応対室で、中央に僕と彩子のための机と椅子がおいてあって、お茶を淹れるための電気ポットが壁のそばのテーブルに据えてあり、お茶とコップが戸棚の中に入っている。
彩子の机にはデスクトップ型のPCとキーボードが置いてあった。
間仕切りを隔てた空間が相談室になっていて、向かい合うと4人座れる長椅子と机が置いてある。
僕は部室の隅で截拳道(ジークンドー)の練習をし、彩子は机の前に座って人生相談本を熱心に読んでいた。お悩み相談をするときのためのエクササイズだそうだ。とても勉強になるとのこと。僕もあとで読ませてもらおう。
僕は最近截拳道の練習に夢中になっていた。
先日、截拳道の開祖であるブルース・リー師祖の霊が憑依していたおかげだろう、
僕は自分の中にあった武術の才能に目覚めていた。
よけいな筋肉がついていなかった僕の身体はとてもしなやかに動いた。
僕は市販されている截拳道の本から基本的な練習法が記されているものを選び、自己流で練習を始めた。
長距離から指を伸ばして目を突くフィンガージャブ、パンチを打ち、相手がパンチを防いだとき、その腕をはたいて至近距離から裏拳を叩き込むパクサオ・ダ、
截拳道は実践的な技術がいっぱいだった。
一方で本には、上達するには相対練習、スパーリングが不可欠とのことだった。
截拳道の教室は千葉県内にもあるけど遠い。
僕は地元でボクシングジムを探すことにした。ボクシングはブルース・リー師祖もとてもよく研究していたそうだから、理にかなっている。
運よく柏市にはボクシング元世界王者が教えてくれているジムがあった。
僕がボクシングを習いたいからお金をくださいといったら、両親は目を丸くして驚いた。 でも、新しいことに挑戦するのはいいことだといって、快く入会金や月謝にしたりグローブやシューズを買ったりするためのお金を出してくれた。
それからは毎日、放課後が終わってからは、柏駅までバスで行って、東口の目抜き通りを抜けた神社の裏にあるジムに通いボクシングの腕を磨いた。
体重が60kgしかないのに身長が180cmある僕の身体はボクシングにとても向いていた。
僕はジムのみんなからうらやましがられ、かわいがられた。
僕には一気に仲間が、いや友だちが増えた。とてもうれしかった。
小川たちによるイジメがなくなってから、クラスメートたち全員が僕と彩子にあいさつしてくれるようになった。
小川たちイジメグループは僕と彩子に完膚なきまでに粉砕されたのでメンツは丸つぶれ。
今度は小川たちがクラスメートたちから無視されるようになった。
元々彼らはクラスメートたちから嫌われていたので、暴力による支配ができなくなった今、彼らはクラスに身の置き場がなくなったのだ。
一方で、よくないうわさもあった。イジメグループの佐伯は空手部の部員だった。
僕に対するイジメ事件が明らかになり、そのあおりをくって空手部は間近に迫っていた学園対抗試合を辞退せざるを得なかったそうだ。
佐伯は事件のあと、空手部の先輩たちにものすごくしごかれたらしい。
空手部の中には僕を恨んでいる者もいるかもしれない。
そんなある日、こんこんと扉をノックする音がした。
「どうぞ、お入りください」
彩子が入り口に向かって声をかけた。
僕は慌てて截拳道の練習を止めた。
「失礼します」
と、見上げるような巨漢が背をかがめて扉から入ってきた。
その男子には見覚えがあった。
空手部部長、新田空臣さんだ!僕より10cm以上も背が高く、巌のような肉体をはち切れんばかりに学生服に包んでいる。胸板はがっしりと分厚く、両拳には拳たこがふくれあがっていた。しかしその相貌は巌のような肉体からはとても想像できない、涼しげで凜々しげなものであった。彼は僕のことを見下ろしながらいった。
「藤原くん、ですね?」
声もすごく優しい響きがした。
「はい、そうですが・・・」
「はじめまして、空手部部長、新田です。このたびは我が空手部の佐伯が君にひどいことをくり返し続けていたそうで、まことに申し訳ありませんでした」
新田さんはその長身を深々と折って僕に頭を下げた。
「いえ、そんな。新田さんが謝られるようなことでは・・・」
「いや、部員の言動の責任はこの部長の僕にもあるのです」
新田さんはきっぱりといった。
「空手の道の目的は、空手を学ぶことによって心身を錬磨しあうことです。佐伯もまた、その一員でした。それがこともあろうにイジメなどという卑怯な行為に手を染めていたとは。そして己の練習ばかりにかまけていて、佐伯の心に気を配れなかった僕たちもまた空手道失格です。だから、僕たちは間近に迫っていた対抗試合を辞退しました。試合を楽しみにしていた対戦相手の空手部には申し訳なかったのですが」
「佐伯君のことだけで何もそこまでしなくても」
「いえ、僕たちは今回の事件で、もう一度空手の道の追求を考え直そうと思ったのです。もう2度とこのような事件は起こさせません。藤原くん、本当にすみませんでした」
新田さんは僕の両手をがっしりと、しかし優しく握りしめてくれた。
「わかりました。新田さんがそうおっしゃってくださるのなら」
「うん、ありがとう。失礼するよ」
新田さんは握っていた僕の両手を離して、部室から出ようとしたが、振り向いてこういった。
「藤原くん、君はボクシングを習い始めたそうですね」
「は、はい」
「うちの空手は顔面無しなんだけど、近いうちに顔面ありの実験をしてみようと思っててね。よかったらその時見学に来てくれないかな?ボクシングをやっている人からも意見を聞きたいんだ」
「僕なんかでよろしければ」
「お願いするね」
にこっと白い歯をのぞかせて新田さんは帰っていった。
「ふうん、いい男じゃない。藤原くん、空手部に行くときは私も連れてってよ」
彩子が気軽なことをいってくれた。
10分ほど後、からからと音がして扉が開いた。
「あの、ここお悩み相談室なんですよね?」
「そうよ、なんでも相談相手になるわ」
と彩子。初めての相談者だ。
小野寺彩子のお悩み相談室に初めてやってきた相談者は、細身でベリーショートカットの、小柄でボーイッシュな女の子だった。ただし、両目に涙を浮かべてなければ。
ついに女の子の涙腺が決壊した。そしてぼろぼろと涙をこぼしながらこういった。
「ボク、赤ちゃんが授かっちゃったんです!ボクどうしていいかわからなくなっちゃって・・・」
僕と彩子は唖然とした。
僕が淹れたカモミールティーを飲ませて落ち着かせ、くわしく話を聞いてみた。
彩子はハーブティーを飲むのが好きで、いろいろなハーブを部室に持ち込んでいる。
カモミールは心を落ち着かせるのにとてもいいハーブだそうだ。
ショートカットの女の子の名前は白鳥玲。15歳の高等部1年生。
玲ちゃんの生みの母親は4年前に白血病で亡くなられた。そして自分の父が再婚して半年。35歳の継母に赤ちゃんが授かったらしい。
「お父さんたちに授かった赤ちゃんと、新しいお母さんと、どうやってつきあって行ったらいいかわかりません。ボクどうしたらいいんですか?」
ふんふんと紙にシャープペンを走らせる彩子。
今、この部では彩子が部長と書記と相談員を兼ねている。僕ができることといえば雑用と彩子のボディガードくらいだ。もっとも、彩子はボディガードなんか必要ないくらい強かったが。
ふいに彩子がペンを止めた。
静かに立ち上がる。
「わかったわ。あなたは新しく生まれてくる赤ちゃんや、新しいお母さんのことで悩んでいるんじゃない。自分を産んでくれたお母さんへの気持ちに悩んでいるのね。そうじゃなくって?」
「あの、その・・・」
「ここの3人でいっしょに今度の日曜日、玲ちゃんのお母さんのお墓参りに行きましょう。話はそれからよ。お母さんの御魂の眠るお墓はどこ?」
「内房総の端っこにある『海が見える公園墓地』です」
「よし、じゃあ行きましょう。赤ちゃんが授かったというご報告をしにね」
「え、なんでこんなときにお墓参りに?」
彩子は黙って首を振った。
死別した旦那の後添いに子供ができたことを墓前にご報告に行く意味ってあるのか?
僕は口には出さず、心の中でつっこんだ。
その週の日曜日、午前11時半に目的の駅に着いた。ここは柏駅から電車で2時間ほどかかる町で夏は海水浴客でにぎわう。でも僕たちは海水浴場とは違った方向に向かった。20分ほど歩いたところにある丘一面に広がる緑地が「海が見える公園」墓地だった。
玲ちゃんは広場の中心近くにぽつぽつと置いてあるベンチのひとつに腰をおろした。
彩子はその右となりに行儀よく腰をおろした。
僕は二人から数メートル離れて立った。
二人きりにさせておいた方がよさそうだったからだ。
「ここに私の生みのお母さんが眠っているんです」
「広々として、海が見えて、潮風が吹いて・・・気持ちのいいところね」
「お母さんは海が大好きだったそうです。だからここに葬ってほしいと願っていたと」
遠くで、草花を摘んで花冠を作っている母とまだ幼い娘がいた。
玲ちゃんが「いいなあ」とつぶやいた。
「ボクもお母さんとあんな風にたくさん遊びたかった・・・」
玲ちゃん、お母さんと遊んだことがなかったのか。
「ボクのお母さん。身体が弱かったんです。いつも入院と退院を繰り返して。そしていつの間にか白血病にかかってて。それで・・・」
玲ちゃんは続けた。
「ボク、新しい赤ちゃんが生まれてくること、本当はうれしいんです。新しいお母さんもとってもいい人だし。でも、ボクがもし、新しいお母さんと赤ちゃんを愛してしまったら、天国にいるお母さんを裏切るような気がして」
ふいに彩子は玲ちゃんを胸に抱きしめた。
「あっ」
「あなた、つらかったわね」
玲ちゃんは彩子の胸に顔をうずめて泣き出した。泣いて泣いて涙が枯れるまで泣いていた。
彩子は玲ちゃんの頭を優しくなでていた。
泣いていた玲ちゃんがぐすっぐすっとしゃくりあげるようになったとき、彩子はこう玲ちゃんに語りかけた。
「いいこと、あなたのお母さんは本当にあなたを愛していた。お母さんはあなたに素晴らしいものを教えてくれたのよ」
「素晴らしいものってなんですか?」
と玲ちゃん。
「天から授かった命の尊さよ。あなたは赤ちゃんが『授かった』といったでしょう?あなたくらいの女の子だったら赤ちゃんが『できた』っていうわ。『授かった』といったのはあなたのお母さんがあなたを大事に慈しみ育てた証拠。あなたは何十億分の1のまさに天文学的な確率で天から命を授かった、神様とご両親から愛されて生まれてきた子なの。あなたのお母さん、身体が弱かったそうね。大変なご苦労をされてあなたを産んだんだと思うわ」
彩子は玲ちゃんに優しくいい聞かせた。
「でもね」
「?」
「でも、あなたの新しいお母さんくらいのお年になると新しい命を授かる確率はさらに低くなる」
「あっ・・・」
「きっとお医者様に通って痛い思いや、苦しい思いを何回も何回もしてこられたはず。そうやって生まれてくる赤ちゃんを大事にできなかったら、あなたをとっても愛して、大事に産み育ててくれたお母さんはどう思うかしら?」
「あ、あ・・・」
「きっと悲しく思うでしょうね」
玲ちゃんは頷いた。
「いいこと。あなたが、あなたのお母さんから受けた愛を忘れなければ、あなたのお母さんはずっとあなたの中にある。それともまだお母さんに会ってみたい?」
「会いたい、会いたいです!」
「ようし」
気合を入れる彩子。
いつの間にか彩子の全身がぼんやりと碧色に光っていた。
彩子の女神モードのスイッチが入っていた。
「いい、私を信じて。私はあなたが信じてくれるなら、奇跡だって何だって起こせるのよ」
「はい・・・信じます!」
「じゃあいっしょに唱えて。奇跡を起こす呪文。来てください。来てください」
「来てください。来てください」
彩子と共に唱える玲ちゃん。
彩子が優しくつぶやいた。
「顕現せよ。神成る奇跡。おいでませ。玲ちゃんのお母さん」
次の瞬間、ふわーっと地面から優しい色を帯びた光が盛り上がった。
何がなんだかわけがわからなかったけど、僕には視えた。
光が優しそうな女性の姿になって玲ちゃんの背中に寄り添うのが。
女性の形をした光は5分間ほど玲ちゃんの背中に寄り添ってからふわーっと地に還っていった。
彩子の碧色の光も消えた。
玲ちゃんは彩子の膝枕に顔を埋めて安らかな寝息をたてていた。
玲ちゃん、どうしたのかな?
「さあ、きっとしあわせな夢を見ているんじゃないかしら」
彩子はやさしく玲ちゃんの頭をなで続けていた。
夕闇迫る柏駅に僕たちが帰りついたとき
「ボク、お母さんにあやまってきます!ありがとうございました!」
かけ出して行く玲ちゃんの背中が見えた。
「藤原くん、聞いた?あの子『新しいお母さん』じゃなくて『お母さん』っていってたわよ」
「うん、そうだね。よかったな、玲ちゃん」
「さーてこれで一件落着!藤原くん、モサバーガーでお茶してから帰りましょう」
「よしきた!」
数日後、放課後が終わったあと彩子と柏駅前のモサバーガーに寄ったら、カウンターでアルバイトしている玲ちゃんに出会った。
「いらっしゃいませ、モサバーガーにようこそ!小野寺先輩、藤原先輩!」
玲ちゃんは先日と比べてずっと元気で、活発そうだった。
翌日、部室のPCのメールボックスにeメールが一通届いていた。
メールにはこう書いてあった。
「小野寺先輩、藤原先輩、玲です!先日はありがとうございました!あのあと、お母さんとふたりで話し合ってふたりともわんわん泣いちゃいました。でも、前よりもずっと、そう、とってもなかよしになれました。そして、生まれてくる赤ちゃんに何かしてあげたくてバイト始めました。ボク、赤ちゃんに初めてのおもちゃ買ってあげたいんです!本当にありがとうございました」
「よかったわね、彼女きっといいお姉さんになるわ」
感に堪えないといった様子の彩子。
僕は疑問に思っていたことを彩子に聞いてみた。
「なぜ僕はあの時、玲ちゃんのお母さんの霊が視えてしまったんだろう?」
「何をいってるの藤原くん?」
きょとんとしている。
そうだった、彩子は女神でいるときの記憶を忘れてしまっているんだった。
「そんなことより早くお茶淹れてちょうだい」
「はいはい」
しばらくしてから、僕は僕が淹れたカモミールティーのカップを彩子の前に置いた。
そして自分のカップを持って彩子の右側に座った。
「しかし小野寺の口からあんな言葉が出るなんて驚いたよ。いつもはこーんなにおっかないのに」
「あらそう、私は荒ぶる女神だけど、豊穣の女神でもあるのよね。家族みんなから愛される赤ちゃんが生まれるお手伝いができたなんて、すばらしいと思わない?」
彩子の瞳が一瞬だけ碧色に輝いたように視えた。
あっと思って振り向いたら、当の女神様はおいしそうに目を細めて僕が淹れたカモミールティーを飲んでいた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?