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京都に住み1年が経った。

2023年3月。ニューヨークから帰国している飛行機の中で実は「広島になんか住めるといいな。」と考えていました。

強い理由があったわけではないのですが、瀬戸内海が見れて、時の流れがゆったりした街に住みたいと思っており、漠然と頭に浮かんだ街が広島でした。

そんなときに先輩から偶然知り合いを紹介され京都に足を運んだことが、最初のきっかけでした。それから多くの素敵なご縁に恵まれて、早くも1年。

街中にKYOTOGRAPHIEの旗が並んでいるのを見ると、1年が経ったんだなあと感じる。

※KYOTOGRAPHIE・・・京都の歴史的建造物やギャラリーなど約20の会場で、写真作品と空間を融合させた展示が一斉に公開される写真展

たかが1年。されど1年。
ということで少しだけ振り返って見ます。


止まりながら、すすむ街

大変烏滸がましくも、「金田さんが京都をブランディングしていくなら、どんな風に打ち出しますか?」と聞かれることがあります。実はこれに対しては驚くほど明確に答えがあり、


止まりながら、すすむ街


と表現すると思う。

僕にとってはこの「止まりながら進む」という、言葉で表してみれば矛盾している世界観が京都らしさだと思います。


ー少し私的なお話になってしまいます。

僕がニューヨークから帰国した当時、住む場所として東京を選ばなかった理由は経済性から一時的に距離を置くことが目的でした。

たくさんの物事が溢れる東京では、そこで暮らすだけで多くの情報を無意識的に吸収してしまうところがあり、ゆっくり時間を取りたかった当時の自分にとっては望ましい環境ではなかった。

時間の流れを少し遅くしたかった。


偶然のきっかけで始まった京都の生活でしたが、そこでの時間はなぜだか思考をゆっくりとだが、着実に進めてくれたように思えます。

都会にいるときほど劇的に進むことはない。
でも、止まることもない。


「なんか京都に来ると自分と向き合ってしまいますよね。」

嬉しいことに、この1年間の中で、友人、先輩など多くの方が京都を訪れてくれました。(改めて素晴らしい人たちに囲まれていることに気づき感謝の気持ちで溢れます)

ある時、「京都に来ると、なんか自分と向き合ってしまいますよね。」とボソっと言葉を溢した知人がいました。僕も「いや、ほんとそうなんですよね。」と話しつつ、何かを反芻している様子だった知人にそれ以上あえて踏み込むことはしなかった。

ただやけにその言葉が自分の頭の中に残った。


自分と向き合う。言葉にしてしまえば何とも簡単な文字列だけど、”向き合い方”というものには奥深いものがある気がしています。自分が行ってきたことを洗い出すだけの向き合いもあれば、感情まで深堀りし見つめ直すこともできる。はたまた、時間軸を未来にまで伸ばし、自分の人生の行く末を考えることもできる。

「向き合い。」とは簡単に言えるものの、その実態は個々人で大きく違い、言葉ほど単純なものではないと思います。

京都に来た方がたびたび口にする「なんか自分と向き合ってしまう。」には、ここでしか生まれない何かが確かに存在していて、京都という土地性に身をおいた時にしか発生しない。積み重ねた歴史や風土がそうさせるのか、視覚的に町並みがそうさせるのか、理由はわかりません。

ただそうなるから、そうなる。きっとそれでいいし、それが「止まりながら進む」の正体なのだろうと思います。


京都という街

京都は”鳴くよウグイス平安京”でお馴染み、平安京から幕末まで約1100年間にわたって日本の政治と文化の中心地でした。

対して僕が生まれた北海道は、1869年 (明治2年)に開拓使が設置され「北海道」と呼ばれるようになった。今は2024年だから、150年程の歴史しかないことになる。そんな場所で育った自分にとっては、

「あそこの和菓子屋さん創業200年だよ」
「この着物屋さんは創業450年だよ」

という世界観は不思議な時の流れを感じさせてくれた。目に見えていない時の流れが積み重なった世界は、現実だけに目を向けることでは醸成されない深みや感情を教えてくれたようにも感じる。


歴史とはこういうことなのか。


土地としての京都

少し物理的な視点から京都という街を見てみる。結果としてそこにはいくつかの「ちょうど良い。」があったように思える。


立地

まずはその物理的な立地。

京都に来てから半年ぐらいが経ってからは、東京での活動も再開し、二拠点での生活が始まりました。

京都から東京への移動は新幹線で2時間程。映画一本見れば着く距離であり、少し仕事のことを整理していればあっという間に到着します。

冒頭に挙げた広島では、東京まで行くのに新幹線で3時間半ほど。おそらくドアtoドアで考えると、4時間を超えてしまう。今振り返ると、それは二拠点生活をするのには現実的ではなかったかなと感じます。京都⇔東京間を2時間で移動できる条件は、結果的にストレス無く二拠点生活を送れる環境にしてくれたのではないかと思う。

また、これも結果論ではあるが京都から広島まで1時間半ほどで到着するため、活動が多い東京と、好きな広島(中国地方は全般好き)の中間に位置している立地であること、要は日本の"真ん中らへん"という条件が非常に自分にとってはありがたい場所でした。


少し余談ですが、今まで海外に行くことが多かった自分にとっては、新幹線で移動できる、ということがこんなにも快適だと言うことを知らなかった。

・予め予約しておく必要がある
・早めに駅(空港)について置く必要がある

という飛行機の移動で必要なこの2つの観点が無くなるためです。

新幹線は出発時間も頻繁にあり、「じゃあそろそろ行こうかな。」と思ったらそのときにチケットを取ればいいですし、今はアプリで取った新幹線のチケットがSuicaに連携できるため普通にJRに乗る感覚で移動ができることが非常に便利です。

駅には1分前に着いていれば良く、空港のように事前のチェックインや荷物チェックなどが無い点がこんなにもストレスフリーだとは思わなかった。


読書

京都は読書ができる場所が本当に多いと思います。

僕は大体平均して毎月10冊程度の本を読むのですが、京都に来てからは20冊ほど読むときもあります。もちろんそれは仕事を少し抑えめにしたため物理的に時間が増えたこともありますが、落ち着いて読書ができる場所の多さ所以の理由もあるかと思います。

街中にある落ち着いたカフェや喫茶店、それから寺社仏閣の中でも読書をしたり、多くの人を魅了する鴨川など、京都は素敵な読書場所で溢れている。

縁側でお茶できる京都某所。

この読書に「ちょうど良い。」も京都の特徴かもしれない。


これまた余談ですが、京都にある「恵文社」という本屋さんには是非多くの方に一度足を運んで欲しいです。東京でもたくさんの本屋さんに行っていたけど、ここの選書は素晴らしいもので一見の価値があります。

恵文社。


気候

一つだけ京都の「ちょうど良くない。」を書きます。それは気候についてです。京都の夏はとにかく暑い。そして冬はとにかく寒い。これは京都に来るまで知らなかったことでした。

夏の湿度は異常なほどで、京都府外の関西圏から京都に出勤する方々は「京都駅に着いた瞬間に暑い。」と言うのですが、これは本当にそうです。反対に、電車で30分ほどで行ける大阪に着くだけで「あれなんか涼しい。」と思えるほど、京都だけが暑い。

また、冬の底冷えは北海道出身の自分でも凍えるほど寒いです。何と言うか寒さの性質が違く、とにかく体の芯から冷える感覚があります。

これらの理由はシンプルでその土地性に答えはあります。京都市は三方を北山・東山・西山に囲まれており、つまり盆地という地形から夏は蒸し暑く、冬は「京の底冷え」といわれるほど冷え込み、寒暖の差が激しくなります。

一方で、そんな土地だからこそ生まれる物事もあります。

そもそも、当時なぜそんな土地に都が築かれたのかと言うと、三方を山に囲まれているからこそ敵に攻められにくい背景がありました。

また、冬は低温の割には湿度が高いため絹織物や漆工芸などの伝統工芸を行うには適した土地でもあったり、寒暖差が大きいことで紅葉の名所や良質な野菜の産地となったことも、このような地形に起因しています。



・・・宣伝・・・
今お仕事でも関わらせて頂いている京都の絹織物(シルク産業)ですが、この土地から生まれるシルクは本当に美しく、豊かな文化が残っています。ありがたいことに昨年、京都シルクテキスタイル文化の海外プロモーション映像制作する機会を頂き、少し宣伝になってしまいますが是非御覧いただければ幸いです。楽曲を映像のためにゼロから制作し、伝統工芸ではあまり見ないスピード感のある映像になっています。

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京都に来て生まれた習慣

和菓子を食べる

京都に来て新しく生まれた習慣に「和菓子を食べる」があります。街のいたる所に和菓子屋さんがあり、昔は貰い物で食べるぐらいかな…程度だったが今は自分でよく買いに行くようになった。

それから和菓子、というものがこんなにも季節と共に移り変わるものだと知らなかった。今は和菓子の水無月が並んでいれば、「6月になったんだな。」と季節の変化を感じられるほど、和菓子と季節が自分の中では密接に結びついています。

水無月は白の外郎生地に小豆をのせ、三角形に包丁された菓子ですが、それぞれに意味がこめられています。水無月の上部にある小豆は悪魔払いの意味があり、三角の形は暑気を払う氷を表しているといわれています。

ちなみに京都で食べる和菓子は本当に美味しいです。食にそこまでこだわりの無い自分でも、大福一つでこんなに違うのかと驚く。京都では有名店ですが、連日地元の方や観光客が並んでいる出町ふたばの豆大福は是非食べて欲しい。


足取り

関西にいるとなぜだか”足が軽くなる”感覚があります。京都にいるときはよく移動するようになりました。

お隣大阪は日常的に行く大好きな場所だし、京都からたった二駅で着いてしまう滋賀県も素敵な場所で溢れています。それから奈良の山奥にある渓谷にも何度か足を運んでいるし、洗練された神戸の街を見ることも面白い。関西は本当に面白い。

奈良県の某渓谷にある神社。

正直なところ、東京にいたときはお隣の県にこんなにも行くことはあまりなかったかと思います。東京が多様な場所と情報で溢れているからわざわざ足を運ぼうとしていなかったのか、仕事にずっと向き合っていたためそんな時間はなかったのか、いくつか理由はありそうですが、なんとなく関西にいるときは足取りが軽くなる気がする。

この感覚が少し心地よい。


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京都に関しては、「街づくり」「観光設計」「学生との共創」「伝統産業」「文化芸術とビジネス」などまだまだ話したいことがたくさんありますが、少し長くなってきたので振り返りはここまでにします。


お読みいただいき、ありがとうございました。

金田謙太

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