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身体感覚が安心感を作る

安心や安全が健康の土台になります。
前回の手当ての世界というタイトルでそう記させてもらいました。

そもそも、安心や安全とは何なのか?
どうすれば、それを思い出せるのか?
今回はそんな内容をお伝えします。

身体感覚

僕は身体感覚が安心、安全を感じる上でとても重要だと認識しています。

ざっくり身体感覚とまとめていますが、身体感覚とは様々なものが含まれます。

触覚や味覚、聴覚も身体感覚ですし
固有感覚(関節がどれぐらい動いているかなどを感じるもの)
前庭感覚(身体のバランス感覚)など

まだまだ沢山あります。

体に心に不調を抱いてる方の背景は人それぞれで、同じことはありません。

でも、体に心に不調を抱いてる方の共通項目をあげるとしたら、身体感覚が鈍っている。

ここに気がつきました。

頭(脳)と体

身体感覚が鈍っている状態とは、頭でっかちになっている状態。

僕はそう捉えています。

感覚って不思議なんですが、リアルな感覚もあれば、脳のイメージで出来てしまう感覚もあるんです。

リアルな感覚と脳のイメージの感覚が完全に一致してる人は少ないですが、ここが解離しすぎてしまうとバグが起きてしまいます。

子供の頃に、トイレに行きたくもないのに。
今からお出かけだし、先にトイレ行っておいで。
そう言われた経験はありませんか?

この時、身体にどんなことが起きているのか。

身体(リアルな感覚)は、トイレに行きたくない。
頭は(イメージの感覚)は情報として、トイレに行かなければならい、そんなミッションがかけられる。

トイレ行きたくないけど、おしっこしなければどうしよう。

そこに、親が怒り気味に「トイレに行きなさい」と言われると、

トイレに行かないと怒られる。

そんな状況に陥り、無理にでもおしっこを出す。

こんな些細なやり取りでも、実はリアルな感覚(体)と、イメージの感覚(脳)の解離が起きてしまいます。

でも、日常生活を振り返ってみるとこんなシチュエーション多くありませんか?

仕事だから
子供のために
家族のために

本当は横になりたいけど、今はこれをしとかないと。
本当はこれが食べたいけど、体に悪いから。
本当は今お腹減ってないけど、今食べないと時間がないから。

大人になるにつれ、自分の身体の感覚に従うよりも、周りの状況や情報に振り回されてしまう。

取り残された身体感覚

身体感覚が鈍くなっている時は、逆に脳が興奮してる状態でもあります。

すると身体の輪郭がボヤけてしまいます。

僕はこの状態をタンスの角で、小指をぶつけた時ににていると思います。

そこにタンスがある、でも自分の身体がどこにあるかわからないからブツケテしまう。

ブツケタあとはものすごく痛い、でもその時は嫌でも自分の体に意識が向きますよね。

痛みも身体感覚です。

心地良い感覚ではないですが、不快な感覚ほど嫌でもそこに意識を向けますよね。

痛みって実はそんなふうに身体感覚を思い出そうとしてる、意識を自分に戻そうとする意味もあるんです。

触れてみる

体に心に不調がある人ほど、僕は自分の体に触れる時間を大切にしてみて欲しいと思っています。

痛みがある場所だけでなく、出来れば全身を触れてあげる。

お風呂に入ってる時、寝る前に、朝起きた時。

どんなタイミングでもいいので、触れてみる。

その時、筋肉をほぐそうとか、痛みを取ろうととかそんな意識はもたず、ただただ触れてみてほしい。

もし出来るなら、
「いつも振りまわしてごめんね」
「それでも動いてくれてありがとう」
「これからもよろしくね」

そんな想いを持ちながら触れてみる。

一気に感覚が戻る訳ではないけど、その一時があるだけで、その時間の積み重ねが長い目でみると大きな違いを生みます。

まとめ

リアルな感覚(体)とイメージの感覚(脳)の解離が不調を招いてしまう。

逆に、リアルな感覚とイメージの感覚が近づくことで、安心と安全を思い出せる。

日常生活はどうしても、環境や状況に左右されるのでリアルな感覚が鈍ってしまう。

まずは触れる。
そこから少しずつ、リアルな感覚を思い出していく。

僕も毎日大切に取り組んでいます。
よければ一緒に自分の身体に向き合っていきませんか?

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