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デカルト『方法序説』

今日はデカルトの「方法序説」に触れてみて抱いた感想というか、彼がこの本を通じて主張したかった思想の一部分をみなさんに紹介したいと思います。

ギリシャ哲学を通じてキリスト教に流入した「イデア」という思想は、ピタゴラスやプラトンから始まり、17世紀の哲学者デカルトによってその具体的な新しい形が提唱されました。
デカルトは「我思う、故に我あり」という命題から出発し、近代理性について、こう述べています。
「疑いを持つのは、自分が不完全であるからだが、不完全であることに気付けるということは、完全なものがあるということを知っているからだ。しかし、私は不完全な存在であるからにもかかわらず、完全なものがあることをなぜ知っているのだろうか」そう自らに問い訪ねて、彼はある結論に達します。それは「神なる本性によって、私のうちに注入されたのであるとしか考えられない、それ故に神は存在するのだと」
今まで神という存在を信じたことのない僕でしたが、こればかりにはなるほどと肯いてしまいました。「イデア」は感覚では捉えることはできない。しかし確実に存在する。そして、それを探りあてる能力が、何故だか人間には備わっている。哲学者たちが、冷静な分析をしたうえでも神という存在に辿り着いたこの殊勝な事象は一見詭弁に思えますが、一方でとても合理的で現実的な世界を眺めているような気もします。やはり哲学というものはそれこそ手をつけたいとは思えませんが、とても奥深く興味深いですね。

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