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営業とエンジニアを経験した今、仕事の幸せについて考える

今年の6月末、私は4年間のITセールスとしてのキャリアを中断し、社内異動の形でエンジニアへ転向しました。

エンジニアとして働き始めてから4~5ヶ月が過ぎましたが、実際にそれぞれの職種として働いてみて感じたこと、そこから転じて、仕事における幸福について考えていきたいと思います。

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この記事は富士通クラウドテクノロジーズ Advent Calender 2019の11日目の記事です。 会社の宣伝になることを書くべきかなと思いましたが、やっぱり好きに書きます。

昨日はConHumiさんの「ニフクラに登録したSSHキーと手元のキーが一致している確認する」でした。彼は、いつもいろいろな視点から、様々な問題提起をしてくれる、面白くて楽しい同僚です。

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なぜエンジニアへ転向したのか

はじめに個人的な話ではありますが、なぜ私が営業からエンジニアへ転向しようと考えたのかを書きます。

私は昔から物を作ることが好きで、特に音楽製作を中学生の頃から続けています。高校生や大学生の頃には、バンドやDTMで作った自分の音楽を、自分で営業していました。

大学卒業後、入社した今の会社では、文系学部出身であったことから、クラウドコンピューティングの営業としてキャリアをスタートしました。

当たり前ですが、ITインフラ業界は、音楽業界とは全く異なる世界でした。しかし、その中でも敢えて音楽活動で培った経験や感覚で、営業施策を考えてみることは、チャレンジングで、とても面白いものでした。挑戦的なチラシを作ってみたり、「なんだコレ?」と思うようなノベルティを作ってみたり、余り使われていない文脈でのプレゼンテーションを作ったりなど、アテンションを獲得していくような営業活動の中に楽しさを見出していました。

しかし、営業職を続けていく中で、「物作り」と分離された「営業」だけを担う仕事のあり方に対して感じていた違和感が大きくなっていきました。やはり、「物を作る」ということをベースにして、世間と関わりたいという気持ちが根底にあったからです。

それであれば、「一旦、エンジニアになって物も作れるようになろう!」と思い、エンジニアを志望しました。

エンジニアとして働いてみて

エンジニアとして働きはじめて最も良かった点は、仕事に「没頭」できる時間が増えたことです。

営業として働いていた時は、幸いにも、多くの案件や関係者に恵まれていたこともあり、コンスタントに様々な方面から連絡が入る状態で、常にマルチプロセスで動く必要があり、なかなか一つのことに没頭するような仕事のスタイルに至ることはありませんでした。これは、どの会社の営業の方にも当てはまることだと思います。

逆に言うと、開発タスクを完遂するためには、常に深い「集中力」を求められる点がエンジニアにとっての厳しさでもあると思います。長い時間、集中力を維持するためには、心身のコンディションを良好に保つ心がけが必要になります。この点は、とてもスポーツに近い感覚があると感じています。

ところで、集中力は43歳でピークを迎えるという調査結果があるようです。その意味では、エンジニアの定年は35歳を過ぎても、この仕事を楽しむことはできるんじゃないかと思います。

営業として働いてみて

営業職としての経験を振り返ってみると、不意に幸運が舞い込んでくるという事象が起こりやすい点が、面白かった点の1つです。

営業を仕掛けていく中で、自社の商品にピッタリ合致する要件を持つお客様に当たり、それが偶々、大型の案件で大きな成果へと繋がることがあります。他の職種に比べても、非常にドラマ性に富んでいると思います。そして、これは、毎日の学習と実装の積み上げの中で、確かに動くものを作り上げなければ成果とならないエンジニアとは、大きく異なっている点であると感じます。

勿論、偶々ではなく、確実に大型の案件を釣り上げる嗅覚を身につけることが重要だという意見は理解します。しかし、不規則な変動が多い市場を主戦場とするセールスマンは、他の職種に比べても、意外な幸運が舞い込みやすい環境にあると思います。

そして、営業職において最も特徴的である点は、数字が評価に直結する点でると思います。数字はどの職種でも求められるものではありますが、営業職は、特にそれが顕著であると思います。

私も、営業新人として配属された頃、「売上を上げることこそ仕事における幸せだ!」と自分に言い聞かせて、寝食を犠牲にして頑張った時期がありました。しかし、どうしても自分の根底の価値観を、それに塗り替えることはできませんでした。

「数字を追うことは社会人としては当たり前のことだ。」と言われれば、その通りです。しかし、それ自体を仕事における幸福の拠り所とすることに、私は少し違和感を感じます。

郡司ペギオ幸雄先生の言う「天然知能」である私たち人間にとって、ただ右肩上がりの線をなぞり、効率的に数字が上がる行動のみを追求することは、新自由主義的な資本主義社会を合理的に生きる術に過ぎず、生命として本来的な幸福ではないように感じます。

仕事における幸せ

では、「仕事における幸せって何?」というのは、私にとっても、恐らく皆さんにとっても、大きな命題であると思います。

最近思うことは、いずれの仕事も「業に集中する」という点に、幸福の本質の一つが存在しているんじゃないかということです。

没頭してサーバーやデータなどを弄っていると、徐々にその対象との対話が成り立っていき、加速度的に物が出来上がっていく一連の流れに、幸福を感じる技術者は多いと思います。

営業に関しても同じ事が言えると思います。商談の場に、とても集中して臨むことができた日は、お客様との会話を少しずつ続ける中で、まるで武道のように、相手が何を言うか事前に察知することができるようになり、最終的にはとてもテンポよく会話のラリーができることがあります。

そういう時は決まって、「あなたの話は面白かったのでまた来てほしい」などの評価をいただけることが多いです。時々、「営業をやっていて楽しかった時はいつですか」という質問を受けますが、先ず脳裏に浮かぶのは、大型受注などの成果よりも、それらの商談のシーンです。

少し哲学的な引用をすると、ユングが分析する通り、16世紀ヨーロッパの錬金術は、様々な物質と触れ合う業の繰り返しの中で、精神の向上を目指す営みであったと言われています。これは、集中や没頭の中で、無意識をも含めた本来の自我が世界と関わることで、精神的な回復や充足感を追求する試みであったと考えることができます。

錬金術が持つ精神性は、同時代にプロテスタントの台頭と共に勢力を強めた合理主義(マックス・ウェーバーが著す通り、これは後に資本主義を牽引する。)に対するカウンターとして、一部の人たちの心の拠り所としての役割を果たしたのです。

成果報酬を追求する価値観も、時には必要ですし、理解はできます。しかし、その価値観だけに、自分の人生の大半を捧げるのは、人間としては本来的でないと思います。

そうではなく、何かに没頭することでただ世界と関わることに喜びを見出すように、例え社会が変わっても、人間にとって不変な価値観を見つけることが大切ではないかと考えます。

最後に

つい、アドベントカレンダーであることを忘れ、徒然なるままに持論を述べてしまいました。お付き合いいただいた方はありがとうございました。

これを書いていて、いろんな人の仕事に対する価値観や幸福を聞いてみたいなと思いました。「仕事があるからこそ人と繋がることができる」や、「仕事を通して人を育てて行くのが好きだ」など、本当に色々な面白い意見が聞けそうな気がします。

制度や社会のあり方に規定される価値観ではなく、人間として本来的であり、不変な幸福を沢山見つけられる人が、きっと一番素敵だと私は信じています。

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