見出し画像

総合型地域スポーツクラブにおける中心人物のやめ方

 総合型地域スポーツクラブ マネジャーの上杉です。約6年半クラブマネジャーとして務めた一般社団たかぎスポーツクラブを12月いっぱいで退職し、自ら総合型地域スポーツクラブの立ち上げに挑戦しようとしています。

 今回は、『やめ方』についてお話をしたいと思います。
 総合型地域スポーツクラブの推進を文部科学省が政策として始めたのが平成7年頃のようなので、日本の総合型地域スポーツクラブが作られ始めて20年以上も経つのかもしれません。もちろん、総合型地域スポーツクラブ自体が政策による事業ということではありませんから、国の動きとは関係なく存在していたクラブもたくさんあると思います。ただ事実として、行政が主導して立ち上がったクラブもたくさんあると思うので、25年とか20年とか経つクラブが多いのだと思います。
 設立から多くの時間が経過したクラブは、『後継者不足』という課題を抱えるようになります。シンプルに加齢に伴う人員交代や、それまでのトラブルによる人員交代など、要因は様々かと思いますが、いずれにせよクラブを引っ張る人(多くの場合は創設者)はいずれ代わらなければなりません。
 そう考えると、私がクラブをやめることについてお話することは、これからクラブマネジャーなどのクラブの中心人物がやめることを計画しているクラブの何か参考になるのではないかと思い、まさにやめるプロセスにある今、リアルタイムで起きていることをお伝えしようと思ったわけです。こういうのはオブラートに包んでお話しても意味がないものだと思うので、赤裸々にお話するつもりです。

【私がクラブをやめる理由はこちら↓】
https://note.com/kenta_manager/n/ne9139b1aab73?magazine_key=mbaf2e6161938

 色々な理由がありますが、まとめると、「自分で立ち上げたクラブがマネジメントしたい」と思い、私は一般社団法人たかぎスポーツクラブを退職する決意をしました。そう決めてからまず私がしたことは、「上杉がやめて、たかぎスポーツクラブは大丈夫か」の確認作業でした。
 私は立場としては、サブのクラブマネジャーであり、6名いる理事の1人に過ぎません。クラブの設立メンバーでもありませんし、形式的にいえば中心人物ではありません。ただ私は、クラブの2年目から自分がクラブを引っ張ってきたという自負があり、誰よりもクラブのことに時間とパワーを使い、誰よりもクラブの為に仕事をしてきたと確信しています。「俺なんかがやめても大丈夫だろう」という思いもなくはなかったですが、「俺がやめたらヤバイよな」の方が強かったです。なので、今回は、「上杉はクラブの中心人物だった」を前提としてお読みください。

 私がやめた後にはもう、私はたかぎスポーツクラブに手出しができません。クラブをマネジメントするのは、残った人たちです。そこで私がまずやったことは・・・

ここから先は

3,480字
総合型地域スポーツクラブや筆者の挑戦のリアルな実態を曝け出しています。自ら体を張って行ってきた挑戦のプロセスや結果です! 総合型地域スポーツクラブをはじめ、地域スポーツクラブの運営や指導をしているかた、これからクラブを設立しようとしているかた、特に、スポーツをより多くの人に楽しんでもらいたいと思っているかたにぜひお読みいただきたいです!

総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5