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総合型地域スポーツクラブにまつわる挑戦のあらすじ

 どうも!ふじみスポーツクラブの上杉健太(@kenta_u2)です。埼玉県富士見市で、”誰もが、いつまでも、自分に合ったスポーツを続けられる”総合型地域スポーツクラブの運営をしています。

 さて今日は、改めて私の総合型地域スポーツクラブにまつわる挑戦をざっと振り返ってみたいと思います。

大学時代

・早稲田大学スポーツ科学部で総合型地域スポーツクラブについて学ぶ
・地元の三鷹市でフットサルクラブを立ち上げ、以後11年間運営

 作野誠一先生(現教授)のもと、総合型地域スポーツクラブや組織論などについて学んだ4年間でした。埼玉ブロンコスや横浜FCのプロジェクトに参加したりもしましたね。ベネッセコーポレーションのインターンにも参加し、結局そこへ就職したのは私にとって幸運でした。
 また、大学受験浪人を経験したことで、「学校を失うとスポーツをする場を失う」ことに気が付き、地域スポーツに目を向けるようになった大切な期間でした。

会社員時代

・恵まれた会社員生活
・3年目の転職を恩師に止められる
・地域スポーツの新たな魅力の発見
・人生と社会を考える

 大学を卒業した私は、(株)ベネッセコーポレーションに入社し、進研ゼミ小学講座の教材開発の仕事をしました。最初に担当したのは小学2年生の算数。『10000までの数』のという単元のページがデビュー戦でした。その後7年間の会社員生活の中で、小6社会教材開発、営業開発(主に企業とのコラボを仕掛ける部隊)、営業(進研ゼミをDMなどで紹介する部隊)を経験しましたが、総じて言えるのは、上司にも先輩にも同期にも後輩にも恵まれたということです。本当に皆さんには良くしていただいたし、鍛えていただきました。新卒でベネッセに入社して仕事ができたことは、今でも幸運だったと思っていますし、感謝しています。

 そんな恵まれた環境にも人は不満を抱くもので、実は私は入社3年目の時にスポーツビジネス界への転職をしようとしました。それを恩師に相談すると、「やめとけ」と。「大企業にいるからできることがある。まだやっとけ」と。私は恩師の言葉に素直に従って転職をやめ、結果7年間ベネッセで勤めました。もし3年目でベネッセをやめていたら、その後の貴重な経験や出会いがなかったかと思うと、ゾッとします。止めていただいた恩師には本当に感謝しています。

 会社員生活を続けながらも、大学時代に立ち上げて運営していたフットサルクラブはずっと変わらずに続けていました。これによって私は、課題にしていた「大学を卒業しても変わらずに続けられるスポーツ環境」をある意味では達成したことになります。それこそが大学でスポーツをやらなかった理由でした。
 また、会社員をやりながらの地域スポーツ活動は、新たな魅力の発見になりました。それは、『逃げ場としての地域スポーツ』というポジションです。いくら恵まれた職場だったとはいえ、仕事が辛い時期は何度かありました。そんな時に、大学時代からずっと続けてきたフットサルクラブの存在は、私の救いでした。「週末になればフットサルができる。みんなに会える」そう思って頑張ったことは何度もあります。そこには何か特別なものがあるわけではありません。ただ、仲間が集まってフットサルをして、たまに食事へ行ったり、遊びに行ったりするだけです。社会課題を解決するわけでもなく、大きな成長をするわけでもありません。ただの『居場所』です。でも私にとってはそれが大きな価値でした。

 やがて私は、それは私にだけ必要なものではないのではないかと思うようになります。同僚を見ると、みんな仕事で忙しそうで、心や体を病んで休職したり退職する人も何人も見てきました。働き過ぎの日本人とよく言われることですが、問題は、『会社しか居場所がない』ということなのではないかと思ったんですね。そしてそうなってしまう主な原因の一つとして、『学校への依存』がありそうだなと考えたわけです。
 どういうことかというと、私たちは義務教育から始まり、高校までほとんどの人が行くし、大学まで行く人もかなりいます。そしてどの場合も、学校というものが生活の中心になりますし、かなり多くの人が学校以外のコミュニティを持ちません。クラス・委員会・部活・サークル、これらは全て学校内で完結しているものです。そして高校卒業や大学卒業とともに、それらは全て一気に失われます。そして新たに手に入れるのが『会社』という場です。学校というものがそのまま会社に置き換わる。これが私たちの社会なのだと思ったわけです。だから学校にしか居場所がなかった人は、そのまま会社にしか居場所がない人になる。

 これを変える一つの方法として、私は地域スポーツを採用しようと思ったわけです。大学時代から実践してきたこと。地域でスポーツをしていれば、学校を卒業しても、会社員になっても、転職しても、物理的に通える距離にさえ住んでいれば、ずっとスポーツを続けていける。地域スポーツというコミュニティに所属することができる。それは確実に、学校や会社、家庭とは別のコミュニティになる。いわゆるサードプレイスと呼ばれるポジションですね。日本社会にはこれが必要だと思ったわけです。
 私が学校中心のスポーツを変革したいのは、これが理由です。地域スポーツを確立し、途切れない生涯スポーツを実現することで、居場所を作りたいんです。

 さらに私は、自分自身の人生も考えました。28歳とか29歳くらいからですね。ベネッセでの仕事は遣り甲斐があり、いわゆる”ノッている”時期もありましたが、同時にこれは私が本当にやりたいことなのか?という思いも強くなっていきました。私が人生をかけてやるべき仕事はこれなのか?と。
 おそらく、私がベネッセをやめれば、もっと強い想いを持った人が入社してきて想いを実現するだろうし、私は地域スポーツを仕事とすることでもっと社会貢献できるのではないかと思ったんですね。それで転職を決意し、私が30歳になる年度の初めに、新しく上司になったかたに「俺、今年度でやめます」と宣言することになります。

長野県喬木村へ

・転職活動
・千葉か長野か
・企業の新規事業か、田舎の総合型地域スポーツクラブか

 宣言後、私はそれまで以上にベネッセでの仕事を頑張りました。というのも、前半の半年はとにかくベネッセでの仕事をやりきる。誰にも文句を言わせない転職をすると決めていたからです。それが実現できたかどうかは分かりませんが、とにかくベネッセでの仕事に集中しました。
 そして後半に入ると、私はむしろ転職の方に時間とパワーを割くようにしました。転職活動の中で縁があったのが、長野県の喬木村。地域おこし協力隊として総合型地域スポーツクラブのマネジメントをする人材を募集していたのです。こんな募集、当時は他にありませんでした。私は『地域スポーツ』と『クラブ』にこだわりを持って転職活動をしていて、千葉県で新たにフットサル場経営をはじめようとしていた企業と、喬木村の2つから内定をいただきました。
 フットサル場経営を任せてもらえれば、そこを拠点にフットサルとテニスで事業を作り、クラブ化もできると思いましたし、総合型地域スポーツクラブのマネジメントはまさにやりたいことでしたので、どちらも非常に魅力的でした。最終的に選んだのは喬木村です。実は全然迷いませんでいた(^^;)
 報酬などの条件や場所の面では圧倒的に千葉県のフットサル場(新規事業)が有利だったわけですが、自分自身の裁量ややりたい事の実現という点で考えれば、圧倒的に喬木村の案件の方が魅力的でした。この選択も、私は正解だったと思っています。

たかぎスポーツクラブ

・地域おこし協力隊として喬木村総合型地域スポーツクラブで働く
・テニス部門の立ち上げ
・『たかぎスポーツクラブ』へ
・会費制など、基盤の増改築
・『一般社団法人たかぎスポーツクラブ』へ
・クラブハウスの完成

 長野県喬木村へ移住した私は、喬木村地域おこし協力隊として喬木村総合型地域スポーツクラブ(当時)にジョインしました。当時のクラブは、参加費制で1回180円くらいの参加費設定。年間の収入は400万円程度で、9割以上をtoto助成金と村からの補助金に依存している状態。さらに年間のべ参加者数は1500人くらいでした。
 ここに私は、活用し切れていなかった村のリソース(主に公共施設や人財)を活用し切って、テニス部門をはじめとした事業を作り上げ、持続可能な運営ができるコスト構造と会費システムを整え、年間2000万円の収入、雇用を生み出し、クラブの年間参加者数は約1万7000人にまで育て上げました。本当にやったことは、空いている施設を使い、意思とスキルがある人財にどんどん活躍してもらって、さらに村が提供してくれるものも全て使ったということだけです。元々あった村のリソースを使ったということだけです。変わったことは何一つとしてしていません。当たり前のこと、できることを、一つ一つやっていっただけです。

 途中でクラブ名は『たかぎスポーツクラブ』に改名し、クラブ5年目には法人化も果たして『一般社団法人たかぎスポーツクラブ』となりました。

 そして6年目からは、『みんなの広場アスボ』の運営が始まりました。これはたかぎスポーツクラブにとってはクラブハウスに位置づけられる施設です。
 事務所・コミュニティスペース・スタジオ・会議室・フィットネスマシンを備えたクラブハウスと、屋外の屋根付き人工芝コート(フットサル兼テニス)が併設された施設です。

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 これを喬木村と社会福祉協議会との共同で運営しました。総合型地域スポーツクラブだけでなく、地域の色々な人が使って、色々な出会いや活動が生まれる場です。本当に素晴らしい施設(場)だと思います。

喬木村から富士見市へ

・新規か拡大か
・託して去る決意
・たかぎスポーツクラブとアドバイザー契約
・新たなチャレンジへ

 そんな素晴らしい経験をさせてもらったたかぎスポーツクラブを、私は去ることにしました。素晴らしいクラブになったとは思いますが、私はそこで止まる気にはなれませんでした。その時の私の選択肢は大きくは2つ。
 1つは、新しいクラブを立ち上げる。もう1つは、たかぎスポーツクラブをもっと拡大する。色々と検討した結果、私はたかぎスポーツクラブを去って、新しくクラブを立ち上げる道を選びました。理由は本当に色々あるのですが、簡単に言うと、私の個人的な想いにこれ以上たかぎスポーツクラブを巻き込むのが憚られたのと、より難しいチャレンジをしたかったということです。

 退職を決めた私は例によって、年度のはじめに「俺、今年度でやめます」と宣言をします。ただ、この時に伝えた順番は、『後輩』『クラブ代表』『役員(理事・監事)』『運営委員』という順番でした。
 というのも、まずは私がいなくなった後にクラブをマネジメントする人財を確保する必要があったからです。それがなければ、クラブ運営は持たないので、私はやめられない。なので、私がいなくなった後に組織を陰で支えてくれるかどうか、後輩達に意思を確認したんですね。そして、そこの確認が取れた後に、クラブの役員などに伝えていきました。

 そこから私は、私がいなくなる準備を1年近くかけてしていくことになります。これまで私が作ってきた業務をリスト化し、マニュアル化し、仕事を振り分け、後任コーチを探し、私がいなくなっても回る体制づくりに取り組みました。私がいなくなった後の新年度も成長を続けているので、作り上げてきたシステムはちゃんと稼働していることはとりあえず証明されたかなと思います。ただ、マンパワーに依存する部分はかなりあるので、後輩たちがかなり苦労していますが、そこはどうか許して欲しい(^^;)
 その中で、クラブ側から「アドバイザーとして関係を残さないか」という提案をいただきます。これは喬木村の意向もかなりあったと思いますが、私はこれが相当に嬉しかったです。ここまで育て上げたクラブとこれからも仕事ができる。こんなに幸せなことはありません。

 そして私は、2人の恩師が関わっていて、スポーツ推進計画に「総合型地域スポーツクラブの設立」を掲げている富士見市へ移住を決めました。ここでチャレンジしようと。まずは行政との連携の芽を探りましたが、そこはすぐには難しそうだったので、まずは活動母体を作らなければ話にならないという判断で、『一般社団法人ふじみスポーツクラブ』を立ち上げ、代表となりました。

 立ち上げに際し、協力していただいたかたには本当に感謝です。本当に少しずつですが、活動を始めることができました。ただ今、絶賛苦戦中ではありますが、この苦戦こそが私が経験しなければいけないこと。喬木村ではすっ飛ばしてしまった私のキャリアです。
 ふじみ野市の総合型地域スポーツクラブ『ふじみ野ふぁいぶるクラブ』さんのサポートもいただき、何とかこの段階を乗り越えていきたいと思います。粘り強くやっていきますよ!


 以上が私のこれまでの総合型地域スポーツクラブにまつわる挑戦のあらすじです。現在の活動は、全てこのように繋がっています。このストーリーが今後富士見市でどうのように展開されるのか。自分でも分かりません(笑)
面白がって期待していただけると嬉しいです。

 このような挑戦をしていく中で、面白がってくれた方々から、講演や執筆のご依頼をいただくことも増えてきました。もし私の経験が誰かの役に立つなら喜んでお話させていただきますので、ぜひぜひご連絡ください

メール:kenta.ueue@gmail.com
※各種SNSでも大体本名でやっていますので、そちらからご連絡いただいてももちろん結構です。


今回もお読みいただきありがとうございました!
ではまた!

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総合型地域スポーツクラブや筆者の挑戦のリアルな実態を曝け出しています。自ら体を張って行ってきた挑戦のプロセスや結果です! 総合型地域スポーツクラブをはじめ、地域スポーツクラブの運営や指導をしているかた、これからクラブを設立しようとしているかた、特に、スポーツをより多くの人に楽しんでもらいたいと思っているかたにぜひお読みいただきたいです!

総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5