たなまちけんたのご紹介。

はじめまして、たなまちけんたと申します。
システムエンジニア歴としては8年くらい。
常駐の闇に飲まれ続け、その後フリーランスとして独立。
東京都内でフリーランスを2年間ほど続け、この度6月に会社を立ち上げました。

今日はぼくという人間がどういう人間なのか、を簡単に紹介しようかと思います。

ぼくの生い立ち。

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0歳。兵庫県宝塚市に産まれる

3歳。この頃はなぜか重機が好きだった。重機との写真がいっぱいある。働くくるまとかも好き

6歳。幼稚園の頃は近所の友達とファミコンするのがとても好きだった。幼稚園の落書き帳はロックマンの絵でいっぱいだった。この頃から歌うのも好き

9歳。この頃からそろばんを習い始める。最初は訳わからなかったがなぜかめちゃくちゃ好きになって級あげまくった

10歳。家にPCが来る。PC-9821だったと思う。ピーガガガ。壊したり電話回線で長々ネットしたりして怒られまくる

12歳。小学校で毎朝みんなでJ-POPを歌う時間があり、率先してリーダー役をやっていた。TSUTAYA様とくそなかよしになる。スピッツのロビンソンとかめちゃくちゃ好きだった。ミスチルと出会うのもこの頃。あとDIABLOにめちゃくちゃハマって友達とパソコン通信でいっしょにやりまくってたらまた通信料で怒られまくる

13歳。中学校入学と同時に吹奏楽部へ。部活紹介で見た吹奏楽部の先輩のT-SQUAREがめちゃくちゃかっこよくてドラムを志望するが、人員の都合上Tubaにまわされる。男子だから仕方ないね

14歳。吹奏楽部がめちゃくちゃ楽しくて音楽の知識をぐんぐん吸収する。空き時間にドラムを教えてもらったりする

15歳。ついにまわりの友達とバンド活動を始めるようになる。中学校の夏祭りでライブに出るために結成したバンドが人生初バンド。GLAYのコピーなどをやる

16歳。高校でも吹奏楽部に入るが、生活はほぼバンド。V系まっただなかだった。L'Arc~en~CielとSIAM SHADEがないと生きていけない身体になる

17歳。地元の方に声をかけてもらい、音楽ボランティアグループ”チルドレン”に参加。地元のお祭りで演奏させてもらったり老人ホームや幼稚園などで軽いライブをお手伝いさせてもらったりする。音楽って社会貢献になるんだってことにとても嬉しい感じがした。その後はチルドレンで地元のボランティア施設OPENのスタジオ設営運営に関わったり、中高生対象の音楽レッスン活動をしたり、地元で音楽活動を幅広くやっていた

19歳。大阪の音楽専門学校へ入学。主にサポートドラマーとしていろんなバンドでいろんなライブをやったりする

21歳。音響スタッフのアルバイトをしながら音楽修行

24歳。東京にいってもっと自分の腕を磨きたいと思い上京。だが最初に入居したスタジオ付のゲストハウスが1年も経たず取り壊しに遭うなど、ろくに音楽活動も出来ず、アタフタしてた。この頃からPCの知識を活かして派遣などでIT関係の仕事をしたりする

27歳。東京での音楽活動に見切りをつける。いったん大阪に戻り、転職活動を行う。ここで何になろうかなと考えた時、PC得意だしプログラマーやってみようかな?と思い勉強し始めたのがエンジニア人生の始まり

28歳。Twitterで仲の良い先輩にC言語を教えてもらったりする。基本情報を取るために。3ヶ月くらいかけてCUIでドラクエ(クロノトリガー意識)みたいなゲームをつくりC言語かんぜんにりかいした。基本情報取得

29歳。C言語とほぼ同時にPHPも勉強する。職業訓練に通ったりしてプログラミングのいろはを学ぶ。職業訓練もそこそこに就職活動をしていたら採用してくれるところが見つかり、エンジニアとしての第一歩を踏み出す

30歳。運用保守案件(夜勤)に心折れる。これプログラミングじゃなくね?と思い知人の紹介で開発の出来そうな会社へ入社。念願叶いVB.netやPHPでWeb系の開発経験を少し積む

31歳。はじめてのひとり客先常駐。現場での上下関係の作り方もわからず、VBAでずっと社内ツールの開発を行っていて若干疲弊する

32歳。社内ツールのマイグレーションなのにマイグレーション元を見せてもらえずという状況で6ヶ月くらい設計開発をやっていたツールが、本番環境部屋についに入れてもらえた瞬間全てが無意味だった事を知る。本番環境部屋でやべえやべえってなってマイグレーション元とまったく同じ結果を吐けるよう1日で設計から実装まで全てやる。6ヶ月なんだったんだ。疲弊…

33歳。永遠にVBAをいじっていたところでモダンな技術者にはなれないと思い離職。若干メンタル的につらかったので1年間フラフラする

34歳。やっぱ大阪にいるより東京でモダンな技術やりてえなと思い、再度上京。東京でエンジニア活動をするが、通勤が大嫌いですと言っているのに片道2時間かかるところへ面談に行かせられたりモダンな技術でバリバリ開発をしたいですと言っているのにCOBOL(のようなもの)の現場に行かせられたりで、またも疲弊する。SES企業の闇を知る

34歳。たまたまjQueryの現場をやったことがきっかけとなりAngularJSの案件に参画。あれ、これおもしろくね?ぼくのやりたかったことはもしかしてこれじゃね?と思い、ついにモダンフロントエンド業界と出会う

35歳。とあるアーティストに出会う。「今みらい変えてみたくなったよ!」と歌い続ける彼女らを見て、今までの人生がなんだったんだろうかというくらい急に視界が開く。人生360℃転換。
今までいまいちノリきれてなかったエンジニア稼業を、一度くらいはがっつり頑張ってみるか!という気分になる。一念発起してフリーランスになる

36歳。ReactやVueなどの仕事がガンガン舞い込んでくるようになり、PHPマンだったのにいつの間にか完全にモダンフロントエンドエンジニアに転向していた。だが楽しい!Googleのアプリに憧れていた自分にとって、SPAこそがぼくの一番やりたかった事だったんだ!と覚醒する

37歳。ひとりでやるのが限界なくらい案件が舞い込んでくるようになりアップアップ。どちらにせよ育成などにも興味があったので、法人化して会社やってみるか〜という気分になる。にっくきインボイス制度も始まる感じがしてきたので、ちょうど頃合いかなといった感じ
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今にいたる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
という感じの人生です。
ぶっちゃけ30手前までめちゃくちゃフラフラして過ごしていました。
ニート+ミュージシャンだったので…( ´~`).・゚

プログラミングは意外とすんなり覚えられたのでなぜかシステムエンジニアにはなれたが、常駐という仕組みに散々振り回されて疲弊してた。社内開発やってた時は楽しかったんだけどな…。
年齢も技術力もデメリットでしかなかったので、東京で転職活動もうまくいかず。
ただjQueryとAngularJSやらせてくれた案件には本当に感謝してる。
その経験があったから、フリーランスになって即Reactの案件に参画出来たし、その後モダンフロントエンドエンジニアとして生きていくきっかけになったから、下積みのどこが花咲くかわからないもんだなって思う。
つらかった時の事のほうが多いけど、積み重ねてきた事はなにひとつとして無駄じゃなかったんだったなって思える。
小学校でそろばんを習わせてもらったことも、家にPCがきてDIABLOにハマっていじくり倒してたことも、音楽を通して自己鍛錬の重要さと、それが社会貢献になるんだっていうことの大事さと。
全部が全部繋がって今の僕がある。
全部無駄じゃなかった。

仕事っていうのは誰かを幸せにする事なんだよって教えてくれた友達。
離れていった人もいま近くで友達をやっていてくれる人も含めて、いろんな人の言葉が今の僕を形作っている。
これからも大変な事も幸せなことも両方あるかもしれない。いいこと49、やなこと51の比率かもしれない。
でもいまはがんばっていこうと思える。思っている。

精一杯がんばるぞ!0から1!その先のミライへ!

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