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銀行員3年目を辞めて6年経ちました〜銀行員1年目編〜(後半)

前回から社会人1年目編をお伝えしています。

前回は日本一のアメフトチーム
「オービックシーガルズ」への
トライアウトを受け、合格することで
社会人アメフトと銀行員という
二足の草鞋が始まったというところまで
お伝えしてきました。


ここからは如何に僕が社会人として
優秀じゃなかったか。


そしてスポーツに現実逃避をしていた。
ということが伝わればいいなと思っています。


そして最後はこのアメフトの経験が
後の人生の選択においてとても重要な
経験をすることになります。


今回のラスト、
想像もつかない方向に舵を切ります。
ぜひ最後まで読んでみてください。

それでは、どうぞ。




アメフトの練習参加は土日です。


平日は
各々の会社で働くサラリーマンで
構成されているチームでした。
(アメフトは野球のように
実業団チームはありません。)


そのため
平日は普通の社会人1年目の新入社員です。


入社後は
研修などもありながら、支店に配属されます。


出世レースは既に始まっている。


そう薄々感じながらも
そこでトップになろうという気は
さらさらありません。


おそらく
アメフトがあったからいいや。
と思っていたんだと思います。



支店での業務は基本的には雑用です。


銀行では
役職という職位の方の誰かが
支店の鍵を持っています。

なので
支店はその人がいないと開かないのです。

毎朝8時。
支店の裏口の前にぞろぞろ行員が
その鍵が開くのを待つようになります。


そこで
新入社員は1番に待っていなければならない。
そんな暗黙の決まりがありました。

そんな決まりも1ヶ月が終わると
もう僕は8時半に堂々と出社してくる
新入社員でした。笑

この時点で
社会不適合者のにおいがぷんぷんしてきます。笑



そして極め付けは
入社2ヶ月目に大寝坊をかますという失態…。


定年を迎えた
嘱託のおじいちゃん銀行員に
言われたことを今でも覚えています。


「いやー、40年以上この会社に勤めてきて2ヶ月目の新人が寝坊してくるのは初めてだよ。」



光栄です。笑

そらくらい不良な新入社員でした。


朝からのルーティンは以下の通り。

支店の金庫を開けたら
金庫の中にある書類やキャビネットを出します。

その後伝票を打ち出し、
ロビーの掃除をして、
いざ9時になったら開店です。


シャッターを上げて、
最初のお客様に大きなご挨拶をするのも
新人の役割でした。


他にも月に一度、
支店内で飲み会が開かれます。
その時の買い出しも新人の役目です。

二次会やその他の飲み会では誘われますが、
いかに断るかということに
一生懸命になっていました。



日中は
お客様から簡単な雑用系の
頼まれごとがあれば対応します。


例えば
ATMの使い方がわからないおばあちゃんを
ご案内したり、トイレを教えてあげたり、
貸金庫を開けてあげたり。



とはいえ
それ以外特に際立った行動もせず、
やらされるがまま流れていった。
そんな1年目でした。



この時を振り返ると、
僕の頭の中は銀行ではなく、


「アメフトチームのメンバー入りをすること」

しか頭の中に無かったんだろうなと思います。

平日は
1年目ということもあり
5時には退勤できました。


その後は
すぐにゴールドジムに通って筋トレ。
毎日通いました。



そして
土日はアメフトです。


日本一のチームともなると
毎年お正月はテレビ中継もあるので、
テレビで見たことのある顔ぶればかりがいて、
いつも緊張していました。



そして
みんな強豪大学出身者ばかりなので、
どこかしらで繋がりがあるので
大体みんな既に仲が良い。


そんな中、
東洋大学という超弱小大学から
初めてのオービックシーガルズ入団


ということもあり、
あの孤独感は今でも忘れません。
本当に居心地は最悪最低でした。


ただ、
それでもこのチームに残りたい。
活躍したい。
結果を出したい。

という思いだけはあったので、
練習に励みます。


春の間は試合で使ってもらいながら、
そこでアピールできなければクビ。
というスタイルでした。


同期の中で
5月の段階で一人クビになっており、
いつ自分が呼び出されて
クビを宣告されるかビクビクしていました。



結果としては、


秋の本戦に出場するメンバーに

残ることができ、

4連覇のメンバーとなることができました。



環境というのは
人を成長させるとは聞いていましたが、
本当なんだなと思うこともたくさんありました。

中でも
足がとてつもなく早くなったことには
自分でも驚きです。


途中、
膝を怪我してしまい、
最後の試合に出場することは
できませんでしたが、
それまでは数試合出場しました。


東京ドームで行われたライスボウル



ただ、


実はメンバーに残ることが確定したあとから、
頭の中では違うことを
考えてしまっていたのです。



「人って目標立ててそのために頑張ったらこうやって結果って出るんだ。」



「ってことは、
アメフトとかスポーツじゃなくても
同じように目標立てて努力したら
達成できるんじゃね?」



そう思うようになっていたのです。

じゃあそこから銀行員として、力を入れたのか。



違います。



仕事選びから
目標を見直してみてしまったのです。


そこで
小さい頃になりたかった職業を思い返した時

なりたかったのは


「エアラインパイロット」


でした。


中学一年生の頃、
2003年に放送していた
キムタク主演の「グッドラック」の影響です。





ここからは野球をやっていた時と同じです。

一度目指し始めるともう止まりません。



社会人一年目の秋から冬にかけて、
アメフトよりもパイロットが
どんどん大きくなっていったのです。


そして、日本一となった翌週。




アメフトを辞める決断をします。



そして

パイロットを目指し始める
社会人2年目が始まります。





はい。

ということで、社会人1年目編は
これでおしまいです。

野球時代、
頑張っても努力をしても
結果を出すことができず


努力は達成させるものなのだと
忘れてしまっていた頃。


久々に頑張って結果を出すことができた。

この経験が
自分を大きく前へ動かしたんだろうなと
書きながら感じました。


人って小さな成功体験が
偉業を成し遂げる要素なんだと思います。

なにかができるならこれもできるかも?

そうたくさんの人が
成功体験から未来への希望を抱いてくれたら
嬉しいです。


次回からは
パイロットを目指した社会人2年目編
をお伝えしていきます。


お楽しみに!


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▼BRIAN KENTA プロフィール
1990年生まれ32歳 既婚
東京都東大和市出身
現住所は東京都湾岸エリア

東海大学菅生中学校 野球
東海大学菅生高校 野球
東洋大学 アメリカンフットボール
東日本銀行 
外資系金融機関

趣味
ゴルフ、ドライブ(GLC coupé 220d)、
映画鑑賞、動画編集、歴史

人生のモットーは
"絶対負けない。やり続ける。"
"人生ネタ作り"
"良いことと悪いことは同時に起こる"


BRIAN KENTAのInstagram

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