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山雅サポーターは右翼か左翼か

降格が決定していから3日目。
切り替えられた人、切り替えられない人と様々な気持ちが混在していて、自分はどうかと言えば特にやることは変わらず本を読み、noteを書き。降格した事実を色んな事をして覆い隠そうとしている自分がいてつくづく現実逃避することに長けた人種だと感じています。

Twitterを見ていると、降格後に笑顔で集合写真を撮っていたサポーターが話題になったりしていて、サポーターの中にも右翼、左翼が存在しているなと思いました。
本来、「右翼」「左翼」「リベラル」とは政治的な意味で使われて

政治的スペクトルの一つで、政治的な立場を位置づける一般的な方法である。伝統的な意味では進歩派(革新、革命)勢力を左翼(左派)、保守・復古主義勢力を右翼(右派)と呼ぶが、具体的な思想や範囲は時代や立場や視点により変化する。

とWikipediaでは申していて、リベラルは中間ということです。
以前、サッカーの監督を右翼か左翼かで表した本を読んで結構面白くて、サポーターに落とし込んだら俯瞰的に自分たちの立ち位置が見れて面白いだろうなと思っていました。
↓ではグアルディオラ、モウリーニョ、シメオネを比較して考察されています。

僕ら松本山雅サポーターは、J2に昇格した当初は非原理主義的思想を多くの人が持ち、Jリーグの中でも異質な方向に進捗しようとしていたので左翼と言えます。現在はJリーグらしくあることを重んじる右翼ととれます。
一方で、Jリーグに昇格してから10年が経ち、様々な人種を巻き込んできた中で、元来通りの温かな応援を推奨する右翼と今までの文化の大枠とは異なった熱い応援を推奨する左翼に何となく分かれています。
降格し、山雅史の節目となった現在。右翼を重んじるのか、左翼に傾倒していくのか、或いはリベラルとして絶妙なバランスを保ちながら進んでいくのか岐路にあると思います。そこで、どちらに傾倒するとどの様なことが起こるのかを僕自身の想像ながら書いていこうと思います。
まず、右翼に傾倒していくとどうなるのか。まずメリットとしては、今まで通り老若男女問わず混在し、ゴール裏の席を埋められる可能性は高いです。松本山雅のホーム入場者の平均年齢は他クラブと比べ2019年時点では2歳ほど高く、それだけ高齢者が多いという事になります。加えて長野県という土地柄、若年層より高齢者の方が多い。(株)松本山雅としても、まずは最大のベネフィットを得られる層の満足度を取りにいきたいことを考えれば、この層に如何にスタジアムライフを満喫してもらえるかが優先事項となり、応援としても今まで通りのやり方を踏襲していった方がベターだと考えられます。デメリットとしては日本の税金制度と似ていて、将来ある若者にストレスが掛かる。ゴール裏で応援する若者にとっての憧れはリヴァプールのアンフィールド、ドルトムントのジグナル・イドゥナ・パルクの雰囲気です。若者がゴール裏を埋め尽くせば、海外クラブには敵わないにしてもJリーグの中では屈指となれるかもしれない。90分間連続した応援ができない高齢者を排除すれば可能になってくるかもしれない。しかし、現実問題そうはいかず熱を押し殺し、マジョリティのやり方に従うしかない。そのストレスに耐え切れず、離れていってしまうというデメリットがあげられます。
逆に左翼に傾倒していったらどうなるのか。
右翼の話に対して逆説的になりますが、メリットとしては熱量に満ちたゴール裏の雰囲気を作れること。90分間、跳ねて、声を出して、旗を振り続けられるのは体力のある若者の特権とも言えます。ゴール裏が全て10代20代で埋められることができれば、他のクラブを圧倒するものになるかと思います。デメリットとしては、最大のベネフィットである層を一番スタジアムにいることを満喫できる場から追い出して、スタジアムにいる価値を減少させ、スタジアムから遠ざけてしまうことに繋がります。この層が一番グッズやスタグルを消費してくれる訳ですからクラブ運営という観点からは損失になります。

じゃあ一番コスパ良さそうなリベラルを行こうとなりますよね?
中間という事は両者の良い所取りで、言い方を変えれば特色がないとも取れます。普通のゴール裏になり、応援することで「あのクラブの応援は凄い」みたいな付加価値を生みにくいものとなります。

全てを包括すると内部でいざこざが生まれ、どちらかに傾倒すれば誰かが排除される。
僕らサポーターは「応援」という概念の枠を越えて、地域の将来性、スタジアムの年齢比率、男女比、県民性など複合的要素の最適解を見付けなければサスティナブルなゴール裏や文化は作れない。
難解だからこそ、面白いのが応援という文化だと改めて思いました。

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