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グリーンサイレンス

あのウォーレン・バフェットが大株主である、BROOKSのグリーンサイレンスで初マラソンを走ったのは、ちょっとした僕の自慢だ。今までランニングシューズを数え切れ無いほど履き潰してきたと思うけど、僕にとってこのシューズは特別な1足だ。今このシューズについて考えることに意味がある。

数々のウルトラマラソンで連勝記録を持つ伝説的ランナーのスコット•ジュレクは、このシューズを語る上で欠かせない存在だ。彼のメディア露出は日本でも話題になったクリストファー・マクドゥーガルの『BORN TO RUN』 が初だろう。

「クッション性と足部の安定性を強化する高機能なランニングシューズが、むしろ多くのランニング障害を誘発している」というミニマリストが好みそうな内容が話題になり、当時のヨガやマインドフルネスのブームに押し上げられ『BORN TO RUN』は2009年の発売後300万部のベストセラーとなった。

「70年代の後半に最初の本格的研究が行われて以来、アキレス腱の障害は約10%増加している」

「ランニングシューズがへたり、クッション性が硬くなると、ランナーの足は安定してふらつきが減る」

90年代から続く、高機能シューズがシェアを牽引するアメリカのランニングマーケットは、一気にひっくり返った。「伝統的なランニングシューズ」の売上は落ち、マクドゥーガルが履いた「走れるサンダル」の売上は、アメリカのランニング市場の5分の1を占めるまで影響を及ぼすこととなったのだ。

各シューズメーカーは、「走れるサンダル」を無視することは出来ず、何らかの「回答」となる製品を出す必要があった。多くのメーカーは既存の顧客の流出を食い止めようと焦り、市場への早期投入を優先した。その結果、「走れるサンダル」と同じビブラム社のソールを採用した薄い底のシューズ「ベアフット(裸足)シューズ」というカテゴリーが生まれた。だが、「ベアフットシューズ」は「走れるサンダル」への「回答」にはならなかった。「ベアフットシューズ」では「退行」以上のメッセージがランナーには伝わらなかったのだ。
では、どうやって「走れるサンダル」はランナーに「退行」以上のメッセージを与えたのか。その答えは『BORN TO RUN』の終盤のエピソードにある。

マクドゥーガルは、シューズの過剰な機能がランニング障害の原因と考え、廃タイヤのゴムを材料にして自ら「ワラーチ」を自作するメキシコ北西部のタラマウラ族の噂を聞きつける。この「ワラーチ」こそが「走れるサンダル」の原型であり「ベアフットシューズ」の始祖にあたる。そして、長距離走で有名なタラマウラ族の中でも、特に走るのが得意な青年アルヌルフォに80キロのレースを挑む為、マクドゥーガルは最強のウルトラランナーを帯同したのだ。アメリカで最も権威のあるウェスタンステーツで7連覇、灼熱のデスヴァレーを走るバッドウォーター135で2度優勝。そう、あのスコット・ジュレクだ。

スコットがアルヌルフォと並んで走るのを見ると、奇妙な感じがするのだ。
スコットはそれまでタラウマラ族をみたことがなかったし、アルヌルフォは外の世界を見たことがなかったにもかかわらず、2000年におよぶ文化の隔たりがあるこのふたりは、同じランニングスタイルを身につけている。

スコットは、自身がデザインに参画しているBROOKSのトレイルランニングシューズ、いわゆる「伝統的なランニングシューズ」を履いて走っている。対してアルヌルフォは、廃タイヤから自作した「ワラーチ」を履いて併走しているのだが、そのシルエットは瓜二つなのだ。マクドゥーガルはこの場面で、環境の閉ざされたタラウマラ族と「ワラーチ」のポテンシャルの高さを、スコットを引き合いに描こうとしている。だが、出版から数年後にスコットがインタビューで語った内容は、「同じ背格好の人間が走りを追求すれば自ずと似たような動きになるだろう。」つまり、優れたランナーにとってシューズは動きを妨げる要因にならないのだ。冷静に考えれば当たり前の話に思えるが、当時の『BORN TO RUN』を持ち上げて述べるテクノロジー批判は、マインドフルネスと結託することで、「ワラーチ」や「裸足」を神秘化させる程の勢いがあった。

では、『BORN TO RUN』は不毛な議論を招いたのかというと、そうとも言い切れない。ランニングシューズの進化を促すために間違いなく一石を投じたのだ。他のメーカーがベアフットシューズを発売し続けるなか、BROOKSが1年遅れで発表した「ピュアプロジェクト」は、ランナーの感覚を引き出す構造を一から作りなおすことで「伝統的なランニングシューズ」のオルタナティブを生み出した。
つまり、ランナーが自身の動きに注力することで、ランニング障害を克服できる構造を開発したのだ。
「伝統的なランニングシューズを」を〈float〉、「ピュアプロジェクト」を〈feel〉と位置づけることで、BROOKSが出した「回答」はランナーに新たな「提案」を与えることだった。
それから7年間続いたピュアプロジェクトの、プロトタイプとして2010年の1年間だけ販売していたのが、冒頭に述べたグリーンサイレンスだ。

奇抜なアシンメトリーの配色と、足へのフィット感と軽量さを兼ね備えたシューレース周りの補強には、全て意味がある。赤と黄色の配色は、BROOKSがサポートするオリンピック代表育成チームのテーマカラーであり、シューレースシステムは片足170gという驚異的な軽さに貢献している。グリーンサイレンスは、競技レースでの勝利を前提としたレーシングシューズなのだ。

現在レーシングシューズの主流は、ソールにカーボンプレートを踵から爪先にかけて挟み込むことで、着地からのエネルギーリターンとスムーズな前足部への体重移動を牽引する仕様となっている。
踵周りをゲーミングチェアのようにクッションで包み込むことで、後足部でのエネルギーロスを軽減し横振れを抑える意図がある。実は、グリーンサイレンスの狙いも同じだ。
なぜなら『BORN TO RUN』で挙げられたランニング障害の殆どが、「着地→体重移動」の際のエネルギーリターンの漏出にあるからだ。BROOKSはこの問題を解決する為に、一層のシンプルなクッション材をベースにソール形状を見直すことにした。その結果、2010年の段階で、10年先のシューズと同じ結論に達したのだ。
では実際のレース戦績はというと、「24時間走」という周回コースにて24時間の走行距離を競うレースにおいて、スコット•ジュレクが当時のアメリカ記録をこのシューズで更新したのだ。(なんと、走行距離266キロ)

昨今、ランニングシューズ業界にも持続可能性に配慮し、環境負荷の少ないデザインが求められている。グリーンサイレンスは、充分な機能を備えながら75%がリサイクル素材で出来ていて、最も環境負荷が大きい染色工程では大豆ベースの水性染料を使用している。ベアフット、カーボンソール、サスティナブル。今後もマーケットを再編する契機は訪れるだろう。だが、乗り越えるべき壁が高ければ高いほどエンジニアリングはより高いレベルへと押し上げられる。それは僕達に新たな力を与えてくれるのだ。




☆PLANETSCLUB



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