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勉強ってなんのためにするの?


おっす!わし、健斗っちゅんだげど...。
今回は「勉強ってなんのためにするの?」について話す。


皆さん勉強好き?
おそらくこれを観てる人の9割が嫌いだと想う。
学校に行って6時間授業を受けたら部活、帰宅してから宿題。
大して面白くもない授業をまぶたをこすりながら耐えて乗り切る。


「これなんの為にやってるの?”」って言いたい。
けど、誰に訊いても腑に落ちる答えが返ってこない。


「やっておけば将来困らないから。”」
「そうするのが当たり前だから。”」

全く返答になってなくてトンチンカン。
こうなるのは結局、話す本人も腑に落ちる程理解できてないから。
納得させるとか以前に答えられないから質問されるのを拒む。
話を逸らしたり適当にあしらってやり過ごす。


しまいには「そういうもんなんだから黙ってやれ!!"」。
なんて喝を入れられてモヤモヤしたままとりあえず取り組む。


遊んでると親から「勉強せっ!」って怒鳴られて。
テストの点数が低いとゲーム、おもちゃを取り上げられたり。


ますます勉強が嫌いになるけどやらないと色々とまずくなる。
イライラしながらに机に向かうから全然はかどらない。
せめて授業だけで宿題出るなよって何回想ったか分からない。

「たのしむ」が目的じゃない

なんでこんなにも勉強がつまらないのかって言うと...。
進学、就職に繋げる「卒業」がテーマの勉強だから。


そもそも「たのしませる」ための教育じゃない。
けど、本人の工夫次第で「たのしむ」ことはできる。
たのしめないからこそどう「たのしむか?」っていう捉え方は賢い。


実際の授業は、教科書のページ通りに担当の先生が進めていく。
内容について生徒が気になったことは置き去り。
気になったなら後で自分で調べてくださいばりのテンション。
とにかく卒業を見据えて、出来るだけ計画的に一コマーコマこなす。


もちろん先生が悪いんじゃなくてこういう教育方針になっちゃってる。
いきなりあれこれ変えたらドミノ倒しになって全てがパー。


授業をこなしたら確認も含めての宿題が出る。
教科毎にテストをして点数が高ければ万々歳。
親にもめられたとなれば余計点数を意識。


採点基準がテストの点数に依存してる。
もちろん美術とか体育とか音楽みたいなものはまた別。
とりあえず点数をとれれば生き延びられる確率が上がる。


学校を卒業したら社会に出て働くっていうおきまりのルート。
然「勉強=点数」って頭になっちゃうからひたすらこなすし。
周りの人達もそれを経験してるから「たのしむ」なんて考えるだけムダ。
そもそも「勉強ってなんでするんだろう?”」自体とうの昔に忘れてる。


学校の授業のコツを掴んだり、問題を解ける人はまだいい。
けど、ほとんどの人が勉強の「たのしさ」に触れないばかりか。
ものすごい勢いで勉強を嫌いになっていく。
そりゃあほとんどの人が嫌煙して学ばなくなる。
その証拠に「世界で一番学ばない国」として日本が挙がった。


戦後から続く「単線型学校制度」


浅い知識で申し訳ないんだけど...。
日本の今の「教育法」は「単線教育」って言って。
戦後から小学校6年、中学校3年の義務教育。
そこに高校3年と大学4年っていうエスカレーター式に変わった。


戦前は「複線教育」って言って、義務教育は小学校6年間。
そこから中学校に行くにしても色んな分野があったみたい。
商業高校とか工業高校のクラスのイメージなんだと想う。
スポーツ、簿記、情報処理、裁縫、土木、農業...とか。
学校によって何年通うかも違っただろうし。
卒業までにどのくらいお金がかかるかっていうのも様々。


当然、家庭の事情があるから教育を受けられない子供達もいる。
お金の都合だったり、家族が病気がちとか...。
諸々の事情で小学校だけ通う人も多かったんだと想う。


その状況に対して「みんなが教育を受けられる様にしましょう!”」
なんて建前でGHQのマッカーサー元帥の愚民化計画が始まる。
詳しく知りたい方は、愚民化を企んだマッカーサーが恐れたこと。
というのをポイントに調べてみて!


小学校6年、中学校3年の義務教育に、高校3年と大学4年の単線教育。
戦前と比べて教育の選択肢がほぼ一本化され自由度が狭くなった。


おまけに中卒で就職できるところなんてほぼない。
だから、最低でも高校まで出ておくのが無難な選択。
生き延びるために考える余地もなく高校入学。
大卒の方が高卒より就職後の生涯年収がいいこともあって大学入学。
流れる様に自動化された教育制度。


高卒なら12年、大卒なら16年も淡々とこなさないと学校生活。
戦前の義務教育が小学校6年に対して、2倍..3倍も違う訳だから大変。
もはや苦行って言ってもいいと想う。

浅い知識と教養で社会進出


それだけ通ったからもう十分!って満足できるならいい。


とりあえず就活に役立つからって大学まで出てみたものの。
社会で活かせる知識はあんまりない。
残ったのは返済しないといけない数百万の奨学金と大卒の資格だけ。


なんでそんなことになるのって話なんだけど..。
学校を卒業することが目的になってるから。
就職してからのことなんて何にも教えてもらえない。


お金の稼ぎ方、稼ぐ上で大事な心構え、活きた遣い方、投資とか。
人との距離感の取り方、会話で気を付けることみたいな土台部分。


こういう勉強よりも先に固めておかないといけない教養。
こここそ学校で教えないといけないのに余計なことばっかり教える。


大事なことは誰も教えてくれないから自分で考えていくしかない。
ただ、ほとんどの人が思考停止してるからサバイバルと一緒で模倣地帯。
そんな中で長くて16年過ごすもんだからもう健全さなんてかけらもない。


テストの点数ばっかりだったから全然違う社会に困惑もする。
就職の企業面接が苦手で毎回落ちたり、そもそも書類選考が通らない。
何十社も受けてようやく受かった会社なのに環境が劣悪。


「お局」だとか「ご老中」がいてヤーヤー言われたり。
明らかにこなせない程の仕事を振られて残業。
仕事がたのしくなくてもいい。
せめて人間関係は健全でいてくれないと中々厳しい。


結局、環境が合わなくて心を病み数ヶ月で退職代行を使ってやめる。
またーからの就職活動でたまったもんじゃない。


「“自分の人生いつから歯車が狂ったんだろう?”」なんて悲しくなる。
「”やっておけば将来困らないから。”」
「そうするのが当たり前だから。”」


あの時周りから言われたことを信じてやったのに...。
そんな展開になる人も結構いると想う。

学校の勉強がつまらないだけ


ここまで勉強がつまらない理由を話した。
そもそもつまらないのかって言うとそうではない。
結論、学校の勉強を自分なりに「たのしむ」ことが出来ないが正解。


学校の教育方針が大半の人に合わないまま続けてきちゃってる。
自分も「たのしむ」ことが出来なくて逃げ回った内の1人...。
もちろん少数だけど「たのしむ」人もいる。
ただ、このままの教育方針でしばらくいくとしたら。


「たのしみ方」をシェアした方が今後の為にもいい。
学校の勉強が合わなかったから「"勉強キラい!!"」ってなってるだけ。


それに、みんな無自覚にいつも勉強してることを忘れちゃいけない。
どんな時に勉強してるかザックリ言うと...。
気になって調べたり、たのしんでる時。


「“ダイエットってどうしたら効率がいいんだろう?”」
「あの人と仲良くなれる方法ないかな?”」「"少しでもお金をかけないアイデアないかな?”」
「バスケットボールの戦略を考えて試したり」
「YouTubeを観て話し手の何気ない一言で気が付いたり」


自分の場合、中学1年から飽きずにず〜っと好きな「beatbox」鑑賞。
「この音ってどうやって出してるんだろう?”」って探求したり。


「断捨離」が好きで、どうやったら少しでも物を減らせるか考える。


これはあくまで一例だけど、毎日みんな何かしら勉強してる。
そんな大したことしてない!って言うかもしれないけどそんなことない。


一番自然な勉強は「好奇心が湧いたことを夢中で調べてる」時。
押し付けられたり、学校の勉強を気合いでこなそうとしてもムリ。
むしろ逆効果だからしない方がよっぽど心にもいい。


大卒の資格だけ取っておいて、別の生きていく道を開拓するのも賢い。
きっかけを掴むことができれば自分からいくらでも勉強できる。

「好きこそものの上手なれ」の通り、いつの間にか詳しくなってた...。
誰もがそうなれるってことを覚えていてほしい。


もっとよりよくしたい


勉強はたのしいものだっていう理屈は分かった。
じゃあなんでそもそも勉強するのってところなんだけど..。
「たのしみを増やす」ため。


既にある状態からもっとよりよい形に変化させるってことが学ぶ醍醐味。


例えば、マクドナルドのハンバーガーが大好き。
だけど添加物がいっぱいで身体によくない。
「“栄養があるならいくらでも食べたいのに!”」
「どうしたら身体にいいハンバーガーを食べれるだろう?”」こうなった時に、他のチェーン店で探すこともできる。


けど、パーム油だったり小麦粉が使われてる可能性が高い。
正直自分で作るのが一番手っ取り早い。
身体に悪い食材を身体にいいものに差し替えればいい話。


バンズを米粉とか大豆粉、ハンバーグを牛ひき肉で作る。
レタスとトマトを買ってきて、ソースも手作りみたいなイメージ。


こうすれば手間は増える代わりに、身体にいいハンバーガーを作れる。
お店にない様な自分好みのハンバーガーだって創作できる。
友達に作ってあげることもできるし、SNSに投稿して反響があるかも...。
まったく予想もしてないお仕事のチャンスが舞い込む可能性もある。


ここに更に、より少ない労力でより多く負担を減らせれば最高!


どうしたらよりよくできるか、探求することをたのしめたらもっと素敵。
よく「たのしいことが何なのか分からない..。”」とか。
「たのしもうと想っても全然たのしめない....”」って聴く。


確かにこの情勢で「たのしむ」のは中々難しい。
ただ、たのしみは増やせるしたのしみ方だっていくらでも工夫できる。
人生つらいのはたのしむ為の土台作りをしてないだけ。


既にある状態からもっとよりよい形に変化させるってことが学ぶ醍醐味。
「より少ない労力でより多くの負担を減らす」を念頭に置いて。
自分の力でたのしみを増やせる様に、夢中で学んで試行錯誤してほしい。


学ぶことはたのしいし、たのしみ方の探求をたのしめたらもっと素敵。


ここまでみてくれてありがとう!
今回は「勉強ってなんのためにするの?」について話す。
この話が「じりつ」を促す転機になると嬉し。


バイバイ!みんな...。

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