見出し画像

芥川龍之介全集 編集余話

中村真一郎「芥川龍之介全集 編集余話」(『芥川龍之介の世界』岩波現代文庫)は、エディターとして興味津々であったが、全集編纂そのものにまつわる話ではなかった。

芥川龍之介の仕事を年代順に収録するという編集方針によって編まれた全集第一巻の冒頭の作品は、「フランス世紀末の作家アナトール・フランスの小説(『バルタザアル』)」の翻訳であった。「彼がこの作家の影響を、人生観のうえでも、文体のうえでも、強く受け」、そして「最後にヴォルテールに到達したということは、芥川自身が死の近くになって、自ら告白している」とおりである。

あろうことか、著者が「若い頃に、『河童』の一章を、試みに(まあ、芥川に代ってやってみるようなつもりで)、フランス語に直してみたところが、それが見事に予想通りに、ヴォルテールの小説『カンディード』の文体にそっくりになった。特にあの一見、抒情性を排除しているようにみえながら、乾いたリリスムの文末に仄かに匂うところなどが、まことに双生児のように似ていて、芥川のヴォルテールに凝ったと自認しているのは、なるほどと納得がいった」というのである。

ヴォルテールの小説に影響をうけた芥川が、その文体を体得して自らの作品『河童」を仕上げていることにまずは驚くのだが、逆に『河童』を仏訳してみて、ヴォルテールの小説『カンディード』の文体にそっくりであると確認するほどに、芥川龍之介に打ち込む著者のパワーに脱帽するほかない。

芥川は、「仏蘭西文学と僕」と題する小文で、アナトール・フランスの「『名高い『赤百合』なぞと云ふ小説は』ちっともうまいと思わなかった、と憎まれ口をきいている」のだが、「彼の唯一の長篇『路上』(未完)の冒頭で、主人公が図書館から外を通る雨中の群衆を、その雨傘の行列として眺める場面は、正に『赤い百合』の女主人公がパリの雨の街頭を見下す情景にそっくりだった」から、後進の作家である著者は職業的笑いを誘われ、「思わず噴きだしてしまった」という。

著者は、「作家の可能性と成熟との関係についてー芥川の『路上』とアナトール・フランスの『赤い百合』のことなどー」のなかで、「芥川は後世の読者のなかに、まさか『赤い百合』と『路上』とを並べて読もうという道楽気を起す者がいようとは思っても見なかったのだろう」と苦笑しながら、その該当個所を抜き出してみせる。

「雨が降つて居た。マルタン・ベレエム夫人は、箱馬車の水の滴る波瑠戸越しに、たくさんの蝙蝠傘が空から落ちる水の下に黒い亀の子のやうに進んで行くのをぼんやり見て居た。」(『赤い百合』第六章、冒頭、石川淳訳)

「俊助は黙つて、埃及(エジプト)の煙を吐き出しながら、窓の外の往来へ眼を落した。まだ霧雨の降つてゐる往来には、細い銀杏の並木が僅に芽を伸ばして、亀の甲羅に似た蝙蝠傘が幾つもその下を動いて行く。」(『路上』第六章)

並べてみると、なるほどと言うほかない。「亀の子のように列なるコーモリ傘を上から見る描写の奇抜さに、芥川は真先に感心して、自分の小説のなかに『嵌めこんだ』のに相違ない」と、著者は理解を示している。

ところで、口語文による近代小説の未だ草分けの時代に、「創作において『学ぶ』とは、どういう営為を意味するのか」という問いである。たとえば芥川の初期の『芋粥』という作品で、「主人公の五位の風采から性格から役所内の地位、同僚からのあしらわれ方に至るまで、徹底的にゴーゴリの『外套』の主人公の描写を下敷きにしていることは、両方の作品を比べてみれば歴然たるものがあって、成るほど創作において学ぶとは、このようなやり方を指すのか、と納得されるだろう」とする。

そこで、試みに『外套』の日本語訳と読み比べてみた。主人公アカーキイ・アカーキエヴィッチの描写は、役所で「少しの尊敬も払われなかった。彼が傍を通っても守衛たちは起立するどころか、玄関をたかだか蝿でも飛び過ぎた位にしか思わず、彼の方を振り向いて見ようともしなかった。課長連は彼に対して妙に冷やかな圧制的な態度を取った。‥‥若い官吏どもは、その属僚的な駄洒落の限りを尽くして彼をからかったり冷かしたり、彼のいる前で彼についての色んな出鱈目な作り話をしたものである。‥‥」(平井肇訳、岩波文庫)といった調子である。『外套』の「根本思想の深刻高遠な点」(「解題」訳者)はおくとして、なるほど『芋粥』の主人公・五位のダメさ加減の叙述は、ほとんど相似形と言えるだろう

すなわち、「換骨奪胎(傍点アリ)とはこういう作業を言うのであって、そういう嵌め込み(傍点アリ)を繰り返している内に、手本にする作家の制作の秘密をいつか手に入れることができるようになる」というのである。ちなみに、「換骨奪胎」とは、デジタル大辞泉によると、「《骨を取り換え、胎(こぶくろ)を取ってわが物として使う意》先人の詩や文章などの着想・形式などを借用し、新味を加えて独自の作品にすること」であり、単なるモノ真似にとどまるものではない。

著者は、本好きだった「芥川が書物から学んだのは人生だけでなく、芸術もまたそうであったのだ」とするが、芸術は芸術作品に学べるとして、人生は所詮人生から学ぶほかないと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?