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芥川龍之介も傾倒したゴッホの世界

先日、日時を予約して「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」へ、ゴッホの「ひまわり」を観に出かけた。ソーシャルディスタンスのために入場者数が抑えられているので、ゆっくりと鑑賞できたのは、転禍為福というべきか。その前に、SONPO美術館開館記念展の「ひまわり」も観に行ったが、やはりゆったりと眼福にあずかることが出来た。

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 2020-07-28 15.50.15_2

SONPO美術館開館記念展

ゴッホの「ひまわり」が初めて日本にもたらされたのは、武者小路実篤らが提唱した白樺美術館設立運動に賛同した神戸の実業家・山本顧弥太が、私費を投じて「ひまわり」を購入したことによる。ところが、美術館は設立に至らず、それは芦屋の山本邸に保管されていたのだが、惜しむらくは神戸大空襲(昭和20年8月6日)で焼失し、“幻のひまわり”となったのである。

文学者では、芥川龍之介もゴッホに傾倒していた。谷崎潤一郎と論争した「文芸的な、余りに文芸的な」で、芥川は「あの沈痛な力に満ちたゴオグに傾倒した一人だった」と述べ、その「ゴオグの糸杉や太陽はもう一度僕を誘惑するのである」と、芸術と表現について論及している。

遺作「或阿呆の一生」にも次の一節がある。
「彼は突然、ーーそれは実際突然だった。彼は或本屋の店先に立ち、ゴオグの画集を見ているうちに突然画と云うものを了解した。勿論そのゴオグの画集は写真版だったのに違いなかった。が、彼は写真版の中にも鮮かに浮かび上る自然を感じた」

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