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永井荷風『あめりか物語』の真個

昔々シンガポールまで船旅をした。洋上に出て視界から陸が消えると、毎朝早くキャビンを飛び出して、南シナ海の地平線の彼方に昇る朝日を眺めるのが愉快だった。その後に喫むモーニング・コーヒーの味もまた格別であった。夜はしばしば甲板に坐して、天空に南十字星を仰ぎながら、愉しく洋酒を酌み交わし、航海中にいささかも「無聊」を感じる暇はなかった。

そのゆえか、永井荷風が『あめりか物語』の巻頭におく「船室(キャビン)夜話」の書き出しに、「何処(いずこ)にしても陸を見る事の出来ない航海は、殆ど堪え難いほど無聊(ぶりょう)に苦しめられるものである」とするのはどうにも頷けない。一方、〈『あめりか物語』余篇〉にある「舎路(シアトル)港の一夜」を見ると、懇意になった船員の一人から、シアトルでは「日本人の沢山いる下町の方へは出かけぬ方が好い」と厳しく忠告されるのだが、それが「かえって好奇の念を烈しく」したのか、一人でこっそりその日本人街の見物に出かけている。これは生半の「好奇の念」のなし得る仕業ではない。

そこへフト思い浮かんだのが、これも今は昔のことだが、友人の勧めで偶さか手にした『朝日ジャーナル』に連載されていて、毎週愛読した江藤淳『アメリカと私』である。なぜか魅かれたという記憶はハッキリしているが、その内容はまったく脳裏に痕跡をとどめていない。時代の隔たりはあるものの、外国生活の体験とはいかなるものか。あらためて『アメリカと私』(講談社文芸文庫)のページを捲ると、森鷗外、夏目漱石、永井荷風の洋行体験が、江藤の胸中にこだましていた。

アメリカへ入国したばかりの江藤は、プリンストンに向かう「シアトル─サンフランシスコ間のジェット機の窓から、かつて永井荷風が眺めたに違いない『タコマ富士』が夕暮れに浮出ているのを眺めながら」と、往時の荷風に想いを馳せているではないか。そして、「鷗外、漱石、荷風は、それぞれの外国生活について日記を残している。これは、あらゆる見聞を故国に報告して発展の資とするという、岩倉遣欧使節以来の日本留学生の伝統につながるものであろう。」と見る。荷風の『断腸亭日乗』を第一巻から、一人の大学院生とさし向かいのセミナーで読んでもいる江藤は、やはり「蕩児荷風といえども、四年の外国生活を通じて、結局父親に象徴される全体への義務の要請から自由ではなかった。」とするのである。

その「義務の要請」に応えたのが『あめりか物語』ということか。ブロードウェイの奥まった横町に並ぶ「借長屋(かしながや)の中には、面白い処がある」と知る人は知る、そこの内儀(マダム)と女たちの「営業」ぶりを探訪した作品「夜の女」、深夜の酒場にたむろする女に「この社会に限って通用する、合図の目瞬(めばた)きをして見せる」ほどの通客が覗いた「夜半の酒場」、「紐育(ニューヨーク)中の貧民窟という貧民窟、汚辱の土地という土地は大概歩き廻った」すえに「無宿の老婆の一群」と出逢った「支那街の記」など、いかにも危なそうな都会の「放蕩の花園」を遊歩する、その探求心と観察力、怖れを知らない胆力に敬服するほかない。

その一方、対蹠的とも言える、愛にあふれた家庭の訪問記もある。「市俄古(シカゴ)の二日」は、シカゴ大学の近傍に住む友人を訪ねた話である。友人とその恋人一家と夕食を共にした席で、若い二人に愛の誓いをさせた「夢の曲」を、その二人が合奏し、感きわまった娘は「ハタと男の胸に身を投げ掛け、二度ほど激しい接吻(キッス)を試みた。両親(ふたおや)は手を拍(う)って喜び、‥‥」という光景を目の当たりにして、「ああ、幸なるかな、自由の国に生れた人よ」と羨む。「自分」は「ああ、一日も早く吾らの故郷(ふるさと)にも、このような愉快な家庭の様を見るようにしたい」と憧憬する。

「四書五経で暖い人間自然の血を冷却された父親、女今川(おんないまがわ)と婦女庭訓(ふじょていきん)で手足を縛られた母親。‥‥しかし、世は遂に進歩するものであるならば、この野蛮な儒教時代も早晩過去の夢となり、吾らの新しい時代は遠からず凱歌の声を揚げるであろう。」と、胸をふくらませるのである。とはいえ、従兄素川子に案内された海水浴場の光景を描いて、「西洋婦人の肉体美を賞讃」して憚らない小品「夏の海」でも、「尤も日本人といえば非難と干渉の国民であるから、この社会に養成された繊弱(かよわ)い女性は恐れ縮って、思うようにその天賦の姿を飾り得ないのかもしれない。」と嘆息する。

アメリカ滞在の4年間、「米国社会の見たい処、調べたい処も、先ず大概はなしおわった」――この「六月の夜の夢」の書き出しは、欧州渡航を前にした荷風の、「責務の要請」に対する達成感だったのか。ニューヨーク湾に浮かぶスタテン島の辺鄙な海辺の村でめぐり逢ったロザリン嬢と「自分」は、「ロメオが忍び会(あい)の夜に聞いた『夜の鶯』」に耳を傾け、さらに「毎夜正しく、三日月の一夜一夜に大きくなって行くのを見定める」ほどに夏の夜の逢瀬を重ね、「幸福の夢に酔う」のである。果たして荷風は、この金髪の女性と恋をしたのであろうか。

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