芥川龍之介「偸盗」と愛憎の深み
芥川龍之介「偸盗」は、王朝時代をうかがわせる巧みな文体で、意表をつくストーリー性もあり、ステイホームの憂さを晴らしてくれる、なかなかの力作である。ところが、どうも「作者の気に入らず、生前の作品集には収められていない」(『羅生門・鼻・芋粥・偸盗』岩波文庫「解説」中村真一郎)のはなぜだろうか。
あえて言えば、平安朝の頃の盗人仲間の人間としてはちょっと自省的、あるいは理知的に過ぎないかと、読みながら心をよぎることが何度かあった。一例をあげれば、猪熊の婆の心に、「盗みをする事も、人を殺す事も、慣れれば、家業と同じである。いわば京の大路小路に、雑草がはえたように、自分の心も、もう荒んだ事を、苦にしないほど、荒んでしまった。……」といった考えが浮かんで来た、というのはやはり近代人的すぎないか。
偸盗の首領をつとめる沙金は、「顔は、恐しい野性と異常な美しさとが、一つになった」「二十五、六の女」である。彼女の「淫な媚びのたくみ」に魅かれて偸盗の仲間に入った太郎と次郎の兄弟は互いに嫉妬し葛藤する。それを手玉にとり、沙金は太郎を死に追いやる罠を仕掛けたと、次郎に囁く。ところが、その現場で、窮地に陥った次郎もまた罠を仕掛けられていたのではないかと覚る。その絶体絶命の窮地から次郎を救ったのは太郎の兄弟愛であり、その時二人は兄弟の「愛憎の深み」を確かめ合ったのである。
「翌日、猪熊のある家で、虐たらしく殺された女の屍骸が発見された」のだが、目撃した婢女(みずし)が検非違使庁で述べたのは、夜更けに現われた太郎と次郎の兄弟が沙金を斬り殺したという顛末であった。死の淵で再確認された兄弟愛は、罠を仕掛けた女に惨殺をもって報いたのである。この見事な大団円を是とするか否か、それが作品の評価を決めるカギだろうか。
なお、本作は『今昔物語集』巻第二十九「人に知られぬ女盗人の語 第三」が典拠とされるが、じつは「女盗人」という設定が用いられたにすぎず、小説の展開は「最も自由な空想によると思われる」(前同「解説」)作品と言うべきである。
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