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芥川龍之介「道祖問答」と法華経

芥川龍之介の小品「道祖問答」は、『宇治拾遺物語』巻第一の「一 道命阿闍梨、和泉式部の許にて読経し五条の道祖神聴聞の事」が典拠である。

まず気づくのは『宇治拾遺物語』では「経を心をすましてよみけるほどに、八巻よみはてて」とあり、法華経八巻二十八品を読誦するとも受け取れる表現になっている。ところが、芥川「道祖問答」では、「法華経八の巻」(観世音菩薩普門品第二十五、陀羅尼品第二十六、妙荘厳王本事品第二十七、普賢菩薩勧発品第二十八)としていて、日頃からの習慣として読誦するのを一日一巻と芥川は判断したのだろうか。

道祖神の翁に向かって阿闍梨は、原典には見当たらない仏教語を羅列して説き聞かせる。いわく天台の『摩訶止観』に説かれる「生死即涅槃」「煩悩即菩提」「三身即一の本覚如来」、『法華玄義』の「煩悩業苦の三道は、法身般若外脱の三徳」「娑婆世界は常寂光土にひとしい」「三観三諦即一心」「久遠本地の諸法」、『法華文句』の「無作法身の諸仏」、「霊山宝土」など、いずれも法華経に説かれる法理である。しかも、翁を「小乗臭糞の持戒者」と退けるほど、阿闍梨は強盛な法華経の信者とされている。

ということは、芥川は天台の法華三大部に着目していたのであろうか。あるいは、芥川自身はどこまで、どのように仏教、なかんずく法華経を捉えていたのか、今のところ、調べる手がかりを知らないのがくやしい。ただあえて言えば、法華経に何らかの響くものを直感していたのではないかと思えてならないのだが、確かめるすべは見当たらない。

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