見出し画像

堀辰雄「芥川龍之介論―芸術家としての彼を論ず―」と師弟の絆

ネット検索で暇つぶし中、たまたま〈堀辰雄「芥川龍之介論-芸術家としての彼を論ず-」〉に出くわし、師に巡り合う僥倖は懊悩のさなかのことと知った。ステイ・ホームの賜物というべきか。堀辰雄が、室生犀星に紹介されて芥川龍之介の知遇を得たのは、関東大震災で母を喪い大きな衝撃を受けた頃のことである。

「あなたの詩は、殊に街角はあなたの捉え得たものの或確実さを示しているかと思います。その為にわたしは安心してあなたと芸術の話が出来る気がしました。……二伸 なほわたしの書架にある本で読みたい本があれば御使いなさい。その外遠慮しちゃいけません。又わたしに遠慮を要求してもいけません」と認めた、芥川からの手紙(大正12年11月18日夜)を受け取って、19歳の文学少年は閃くものを感じたにちがいない。

翌年、金沢の室生犀星からの書簡(『堀辰雄全集 別巻一』筑摩書房、大正13年3月3日付)が大盛館宛てであることから見て、堀辰雄が暫時、芥川の住む田端の「大盛館」に下宿していたということか。近藤富枝『田端文士村』(中公文庫)によると、秋には「紅葉館」という玄人下宿へ一高の中寮から移っている。なるべく近くに身をおいて芥川に師事したいと、一途に思い定めてのことだろうか。芥川もまた堀辰雄を「辰っちゃんこ」と呼び、「東京人、坊ちやん、詩人、本好き――それ等の点も僕と共通してゐる。しかし僕のやうに旧時代ではない。僕は『新感覚』に恵まれた諸家の作品を読んでゐる。けれども堀君はかう云ふ諸家に少しも遜色のある作家ではない」(「僕の友だち二三人」)と見抜いていた。

芥川に師事して深い影響を受けた堀辰雄は、芥川自殺の衝撃を東京帝大の卒業論文「芥川龍之介論」(1929)に結晶させ、〈いかに彼の藝術が僕の中に根を下ろして行つたか、そしてまた、いかに彼の藝術が彼自身をしてあのやうな悲劇的な死に到らしめたか〉に論及している。まずは芥川の文体に賛辞を惜しまないこと、下記のとおりであるが、激しく同意したい。

〈彼の文體は、先づ、彼の眼と心との掴んだものを正確に(彼の正確さにまで我々は容易に達し得ない)表現することに遺憾は無かつた。のみならず、正確だつたと共に、芸術作品の文體としてもつと重大な役目を果した。即ち彼の文體は美しくあり得た。多くの作家が正確さのために文體の美しさを犠牲にし、或は美しさのために文體の正確さを犠牲にしてゐる間に、彼の大いなる文體は美しさと正確さとを同時に持ち得たのである。のみならず、美しき文體を持つ人々の中の或者は彼の繪畫的美しさを誇るだらう。或者は彼の音楽的美しさを誇るだらう。しかし彼のごとく一人の文體の中に、目に訴へる美しさと耳に訴へる美とを同時に持つたものは少ない。彼の文體の美しさの特色は、言葉の Formal Element と Musical Element との微妙な融合の上にあるのである。〉

この文体を駆使して芥川は、その〈歴史小説においては、人間の心理の解剖から美の探求に向つて行つた〉のであるが、その代表的な作品が「六の宮の姫君」であり、〈歴史小説中の最高位を占めるべきもの〉であると見る。と同時に、〈彼は、彼獨特の心理解剖のメスを、歴史小説以外のものに使用し始め〉るのである。すなわち、「秋」「南京の基督」から後期の「一塊の土」「玄鶴山房」などであるが、それも〈心理の構圖(平面)〉から〈心理の構成(立体)〉へ、すなわち二次元から三次元へと〈構成主義的傾向〉を強めたとする分析はするどい。

さらに、「河童」についての二つの洞察も説得的である。
〈その一つは、「河童」が實に筋の溌剌とした小説である事である。「河童」の発表されたのは、彼が彼の「話」らしい話のない小説を主張して谷崎潤一郎氏と論戦し始めたと同時である。「河童」の発表そのものが、彼の藝術論を裏切つてゐたのである。勿論、彼はこの作品を「止める事の出来ない彼の中なる」力によつて書いてしまつたのであらう。この一事は、藝術家の生活力は彼の理論を超えるものである事を、痛快に物語つてゐる。〉

二つ目は、「玄鶴山房」との比較によるリアリズムの考察である。
〈(……我々は、彼の見た人生を「玄鶴山房」といふ一個の作品を通して再び見るのではない、我々は「玄鶴山房」の中に一つの新しい人生そのものを見る。さういふ意味に於いて――その言葉の持ち得る最高の意味に於いて、「玄鶴山房」はリアリズムの作品だつたのである。)それに反して、彼は「河童」の中で彼の憂鬱な人生を空想化して我々に見せる。つまり我々はこの最も空想的な作品の中に、反つて、彼の實生活を彼が寧ろ模冩(copy)したものを見る訣になるのである。〉

堀辰雄は「歯車」に感動して、文豪ヴィクトル・ユゴーが、詩集『悪の華』を著したボードレールに贈った言葉「君は新しき戦慄を創造した」という以上に適切な言葉を見出せないと絶賛する。
〈僕は、この「歯車」こそ彼の生涯の最大傑作――と言ふよりは、最もオリヂナルな(個性的な)傑作だと断言するのに躊躇しないのである。〉
さて、堀辰雄のこの洞察に誘われて「歯車」を読み返すとき、どれだけの「新しき戦慄」を覚えるか、いやまして愉しみである。とともに、師・芥川龍之介を論ずる作業を通して、堀辰雄は何を引き継ぎ、どのような〈新しい価値を與へ〉ることをめざしたのか、堀辰雄の全仕事から検証する作業は魅力的だが、それは生半のことではない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?