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「分断されつつある社会」について②


先日書いた「分断されつつある社会」についてを補足するような記事がありましたので共有します。大阪大学の吉川徹教授の記事で、その通りだなと思います。

"全国の地方県の中には、教育県を自任し、県立進学校が極めて高い進学実績を誇っているところが少なくありません。けれどもそれは、限られた予算で育てた人材を都市部に供給し、県を動かす若年大卒エリート層を減らす側面も持っているのです。"

私の地元長野県も、教育県との呼び声高く、それを私自身も誇らしく思っておりましたが、従来なんとなく言われてきたこの言説に対して、残酷な真実を突きつけている感があります。

問題は、地方から都市部に供給された人材自身にとって、現在の社会構造の上で経済活動を行うことが合理的であるため、(政府はカネの再分配を行うことができるにしても、より根本的な)都市部から地方部への「ヒト(及びヒトがもたらすチエ)の再分配」がなされることがないということだろうと思います。

"若年人口の都市集中による地方の消滅という都市と地方の分断の構造には、大卒層が都市部に集中する一方、地方で地域社会を支える主力は非大卒層であるという学歴の分断の構造が重なっているのです。"

さらに、地方に残る大卒層は、役所や地銀・信金などいわゆる「安定した職場」に集中する傾向があり、本当に富を生み出す領域には適切にヒトが向かっていない構造があります。

自分に引きつけて言えば、より大きな視点で見て、非大卒層か非大卒層かといった「学歴」は、事業をゼロから起こして新たな産業を作る上では関係がないと思っています。

なお、地方の非大卒層を考えるとき、友人の古屋星斗が行なっている一般社団法人スクール・トゥ・ワークの取り組みは、以下のような問題意識があり、不確実性高まる時代に高等教育のデザインを考え直す契機となる大きな意義があると思います。

”キャリアづくりとリンクしない学びは、時代の流れの急激さのなかで力を失っていきます。"

最後に、冒頭の内容に戻りますが、入管法改正がなされ、来年度から新たな外国人人材が受け入れられ、「国を開いていく」日本ですが、より厳しいグローバリゼーションにさらされポピュリズムが台頭している欧米社会の轍を踏まないような、「社会的包摂のあり方」を今後設計していかねばと思います。吉川教授のこちらの記事も先日書いた内容を補足するような内容でしたのでご参考まで。





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