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レコメンド。(私たちの悲しさに、誰の赦しも必要なんてないんだというお話)

「深夜の作業用」とか、「リラックしたい時に」とか、いろんな人がいろんな曲や動画を集めてアップしているけれど、今日「死にたい時に」というものもアップされているということを知った。

そういう動画をアップするひとにもことにも、特別に悪い感情は持たないけれど、「死にたい」という感情にまで、誰かが慰めのレコメンドをあらかじめ用意してくれているのかと思うと、随分と手厚いなと、皮肉に感じる。

それが誰かにとって一瞬であれ慰めになるのであれば良いのだろうし、誰にだって慰めは必要で、需要があれば供給されてしまうのは仕方がないんだと思う。

だけれど、「高評価ください」「登録してください」みたいなことが書いてあったりすると、「誰かの切実さにラベルを貼って"高評価"が欲しいの?」と問いかけたいくはなってしまうな。

私の悲しみは私だけのもので、あなたの悲しさはあなただけのもので、誰にも譲り渡す必要もないよ、と思う。

誰に解られることもなくても、誰に共感されることもなくても、慰められることがなくても、私もあなたも、悲しんでいていいんだよ。
誰に見捨てられようと、何が胸の中に無かろうと、私たちの悲しさに、誰の赦しも必要なんてないんだと思うことだけが夜の中で掬い出してくれるような日々だってあるから、私にもあなたにも言えることなんて何も無いけれど、私は一人で悲しんでいる時に少しだけ在る潔さみたいなものを、手放さずに居たいなと思う。

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