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戦国武将を癒した「遊び人」の話

どうも、遊び研究家のマツケンです!

今日は戦国時代に活躍した「遊び人」の話をしましょう。

「遊び人」と言っても「曲芸師」とか「働かない家臣」と言ったことではなく、殿様の心を癒し、日々を戦い抜く活力を与えた家臣たちの話です。

戦国時代といえば、天下統一を目指して、各国の武将が血で血を洗う大戦を繰り広げた戦乱の時代ですよね。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、上杉謙信など数々の名武将がいましたが、実は、彼らの側近(お世話係のようなもの)として、面白おかしい話をする役目の「御伽衆(おとぎしゅう)」という人物たちがいたんです。

今回はその「御伽衆(おとぎしゅう)」がどんなことをして、どんな役割を担っていたのか?について書いていきます。

御伽衆(おとぎしゅう)の役割

まず、御伽衆について調べてみると、このような解説を見つけることができます。

御伽衆(おとぎしゅう、御迦衆)は、室町時代後期から江戸時代初期にかけて、将軍や大名の側近に侍して相手をする職名である。雑談に応じたり、自己の経験談、書物の講釈などをした。御咄衆(おはなししゆう)、相伴衆(そうばんしゅう)などの別称もあるが、江戸時代になると談判衆(だんぱんしゅう)、安西衆(あんざいしゅう)とも呼ばれた。

wikipedia

天文年間(1532-1555)の頃に書かれた「大内氏実録」という書物に、最初の御伽衆(おとぎしゅう)の記述があるらしいです。

御伽衆は武田氏、毛利氏、後北条氏、織田氏、徳川氏など広く戦国大名の間で流行っていたようで、将軍のそばに付き、面白話や頓知、また博学知識など、話術を活かして、場を楽しませた存在と言われています。

殺伐とした戦の中だからこそ、将軍の話し相手となって、緊張をほぐしたり、心を通わせる場を作ることができる御伽衆の力が重宝されたみたいですね。

今でいうと、芸人みたいな役割になると思うんですが、戦にも出ていたようです。

日本で最も多くの御伽衆(おとぎしゅう)を抱えていた豊臣秀吉

ちなみに、最も多くの御伽衆を召し抱えたのは、豊臣秀吉だと言われています。秀吉は滑稽話が好きな人物だと聞いたことがありますし、イメージ通りって感じですよね笑

御伽衆は咄(はなし)相手を主としたため、御咄衆(おはなししゅう)ともいうらしいですが、正確には御伽衆(おとぎしゅう)の中に、御咄衆(おはなししゅう)が含まれるようです。

御伽衆は、語って聞かせる特殊な技術のほかにも、武辺談(ぶへんばなし)や政談の必要性があったことから、豊富な体験や博学多識、話術の巧みさが要求されたため、昔のことをよく知っている年老いた浪人が起用されることが多かったらしいですね。

ただ面白いことを言うだけの人物ではなくて、頭の良い博学な人物だったと言うことです。

御伽衆は落語家の元祖!?

そして、御伽衆は実は、落語家の元祖でもあるらしんです

慶長年間(1596年 - 1615年)に御伽衆の笑話を編集した『戯言養気集』(ぎげんようきしゆう)という書物が刊行されたんですが、ここから御伽衆の講釈話が庶民に広がって、江戸時代以降の講談や落語の源流となったと言われています。

マツケンも今年から落語を始めたので、個人的にとても興味深いエピソードでした。

※この話は、海外でも公演実績のある真打の落語家、桂歌蔵さんから教えてもらいました。

秀吉の御伽衆は800人以上いた

豊臣秀吉は読み書きが得意ではなかったので、それを補うべく耳学問の師として御伽衆を多く揃えたらしいです。『甫庵太閤記』(秀吉について記された書物)によると、御伽衆は総勢800人もいたといいます。めちゃいるやん。

秀吉の御伽衆には、元の主君の血筋である信長の弟や子供、織田家の旧臣、旧守護家出身の大名、隠居した戦国大名の旧臣、元将軍、豊臣政権の大名など、かつての目上の存在も多くて、出自が低い秀吉が今では位人臣(くらいじんしん)を極め、「由緒ある血筋や家柄の者すら従う」ということを誇示する目的もあったと言われています。

でも、それだけではなく、物読み儒僧、堺の町の茶人(町人)、太鼓の名手などの文化人といった、芸能の人物も多く、多種多様だったみたいです。

秀吉の御伽衆として有名な人物に、曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)という人がいるんですが、この人がかなり面白い。このnoteでもいずれ特集したいなーと思っています。

曽呂利新左衛門は、正体不明の人物と言われているんですが、軽口・頓知に富み、狂歌の達人として人気者だったらしいです。この人が落語家の始祖と言われているみたいですね。

まとめ

いかがでしたか?

戦国時代の殺伐とした空気を癒して笑いを生み出す存在だった御伽衆。

シリアスでストイックな空気に、「遊び心」を注入する希少な存在だったんだと思います。

そして、天たる武将が御伽衆を組織して、自分たちの近くにおいたという事実が、どんな状況であっても「遊び」を忘れないことの重要性を物語っていますよね。

戦国武将は自分自身の肌感覚から、その必要性に気づいていたんでしょう。

現代に生きる私たちも、経済戦争に飲み込まれてストイックな機械になってしまうのではなく、こんな時代だからこそ「遊び心」を忘れず、自分にも周りにも楽しみのエネルギーを与えられる存在になりたいですよね!

では、また!

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