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どうも、あそび研究家のマツケンです。

今日は中国の大思想家
「荘子」と「遊び」の関係について
コラムを書きますね。

荘子は、中国戦国時代の思想家で
「荘子」の著者とされ、道教の始祖の一人とされる人物です。

荘子の思想は「あるがままの無為自然」
を基本として、人の作為を嫌います。

俗世間を離れ無為の世界に「遊べ」
という主張が荘子の繰り返し述べること。

著書「荘子」の中には「遊」という字が106回も出てくるんですよー。

中国思想の上で「遊び」という概念は、「荘子」と密接な関係をもっていると言われています。

「荘子」では、人間の心と世界(道)を結びつけて、何者にも囚われない主体的で自由な心のあり方を「遊び」と表現したんですね。

いやー、荘子さん、わかってっしゃる。(誰?w)

荘子の言葉で「遊」が使われているものを挙げてみると色々あります。

「天地の正に乗じて、六気の弁に御し、以て無窮に遊ぶ者は、彼はたなにをか待たんや。」

訳:自然の変化に身を任せ、世界をどこまでも遊ぶ者は、何者にもとらわれることなく、生きることができる。

荘子 逍遙遊篇

「物に乗じて心を遊ばしめ、やむを得ざるに托して中を養う。」

訳:ありのままを受け入れることが最上の生き方である。

荘子 人間世篇

「心に天遊なければ、すなわち六鑿相いみだる。」

訳:心にゆとりがなければ、すべての感覚が乱れてしまうだろう。
※六鑿(りくさく)…目、耳、鼻、口、心、知の感覚

荘子 外物篇

このように「遊」の文字がめちゃめちゃ使われているんですよねー。

「遊び心が引き寄せる偶然にこそ人生の本質がある。」

というのが荘子の主張なんですが、いやー好きだわ。共感ですわ。

そして荘子、老子を代表とする「老荘思想」の「遊び」の概念は禅宗の仏教哲学へと継承され、日本の芸術や哲学にも影響を与えていくのです。(ここはまた別の機会に深掘りします。)

「遊戯」という言葉がありますが、これはまさにその流れで生まれた仏教用語で、本来は「いっさいの束縛を脱して自由自在の境地にある」ことを意味し「仏の境地に遊ぶ」ことを指すらしいです。

どうですか?

「遊び」という言葉が、元々はとても崇高な概念を携えていたことが少し感じられる話ではないでしょうか?

「遊びは世界を救う」

松浦はこの言葉をスローガンに日本人がもっと「遊び」を大切にして「遊び」力を爆発させられるように、引き続き「遊び」の研究を続けていきます。

それでは今日はこの辺で!



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