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サッカーアナリストにプロもアマもない

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サッカーアナリストの杉崎です。

オンラインサロン運営、J1〜J3選手のパーソナルアナリスト、Run.Edge株式会社のアドバイザー、東京大学運動会ア式蹴球部のテクニカルアドバイザー、メディア活動などを行っております。
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「サッカーアナリストのすゝめ」

さて今回は、最近自分の周りで起こっているサッカーの見方やまとめ方について見解を述べつつ、プロとアマの違いを考察してみようと思います。

決してプロがすごいと言いたいわけではありません。むしろ逆です。ここ数年、プロでもアマでも関係なく、サッカーの分析学や学問化、言語化が急激に発達した印象です。となると、プロもアマもないなと。単に、Jリーグというプロの世界で行っているか、社会人サッカーや大学などのアマチュアで行っているかしか差がないのではないかということです。

どちらも経験している当方ですが、では、何に差が出るのかと考えることが最近多かったのです。その1つの答えが、先日行ったRunEdgeさん主催のセミナーでした。

ゲストスピーカーとしてお二人の方を招き、そのお二人のお悩み相談室みたいなテイストで行ったセミナーです。それぞれご自身が活動されている大学サッカーにおいて、実際の映像を見させてもらって、それをどう分析し、どうフィードバックした方が良いのか悩まれている感じでしたので、各々アドバイスさせていただいた形です。

サッカーを見て、まとめるにおいては、当事者の方ができるはずです。戦略、戦術、コンセプト、約束事がすべて分かっているからです。外部の人間はまずそこから調べないといけないディスアドバンテージがあり、プロ・アマ問わずどんなアナリストでも外からアドバイスをすることはかなり至難の業です。これがいわゆる差として生まれるのかなと思いました。

わざわざ差を付ける必要もないのですが、サッカーアナリストと名乗る人たちの中でも、当事者の分析はほぼ全員できるはずですが、外部の人たちに「刺さる」アドバイス等ができるかどうか。あるいは、すでに作られた分析映像とかを用いて、まったく同じ映像なのに違った観点から分析できるかどうか。同じものを見るわけですから、ほぼみんな同じ視点となり得ます。「同じものを見ているのに違った感性で問いかけてくる」ことができる人はプロなのかもしれません。

優秀な大工さんと、日常的にDIYを行っているサラリーマンさんと、学校で図画工作が得意な学生それぞれに対し、「同じ木材とノコギリ」を渡しても、似たようなものが出来上がるかもしれませんし、芸術性では学生が上回るかもしれません。あるいは、優秀な大工さんが力を発揮して「本当に同じもの使いました?」と言えるような「切り方」を見せるでしょう。

決して学生が無能であることもなく、日常的にDIYを行えるサラリーマンさんの二刀流も素晴らしく、やっぱりプロの質はすごいと。彼ら3人の差はそこまでない。でも、何か違う。そんな感じなのかなと、サッカーアナリストのプロとアマも。そもそもサッカーアナリストにプロとアマという分け方がないんですけどね(笑)。

でもおそらく、優秀な大工さんは、サラリーマンさんの作ったものと、学生さんが作った芸術性あるものも、様々な角度で「解説」できるはずです。まったくその術が分からないくらい脱帽するなんてことはないでしょう。

「プレバト」というテレビ番組をご存知でしょうか?

芸能人たちが、俳句や版画などの分野に挑戦し、その道のプロが採点し順位を付けるようなことをしている番組です。

同じような感覚を覚えました。俳句も版画も壁画も描写も、皆さんできると思います。レベルを問わなければ。では、他人が作ったものを「評価」してください、と言われるとどうでしょうか?あるいは、評価しなくても良いので「解説」してください、と言われても困りませんか?

プロと呼ばれている「先生」は、どんな作品でも解説できています。それはプロだから!と片付けても良いのですが、その分野においての知識もそうですし、技もそうですし、特徴を捉えているからですよね。

サッカーアナリストになりたい!という方からの連絡も少しずつ増えてきました。先日のセミナーでもいましたし、現オンラインサロン内にもかなり多くいます。中には、プロと同じ感覚で分析ができている方たちもいます。アマと言わなくてもいいくらいの。

ではプロと言えるようになるにはどうすればいいか。上記を踏まえると、他人が見て作ったものに対して、脱帽していては難しいのではと思うのです。許容の中で、自分の観点で話せるようになること。これは最低限なんだろうなと感じ始めています。その選手の情報を知っているかとか、そのチームの現状を把握しているかとか、この試合の争点がずれたからといってプロを名乗れないわけではないと思っています。どの道のプロでも、知らない情報はあります。人間は完璧ではありません。素人だからこその発想でとんでもない作品を作り出し、これはどんな手法と呼べるのですか?と聞かれても答えられない先生もいるでしょう。

なぜか、プロ=完璧であるべきという風潮があるようで、自分に対してもかなり風当たりが強いときもありました。プロでやっていたサッカーアナリストなのに「その程度の情報しかないのか」とか、「選手が揃っている中での分析官だから」とか、「分析官って官僚じゃないだろ」とか。もう最後は意味が分からないですけどね(笑)。

こちらから分析官を名乗ったことはないですし、アナリストを日本語で言おうとしたメディアがそう記しただけなのですが。。。

まあ愚痴はいいとして、サッカーアナリストという職業自体、日本ではまだまだ無名なわけです。その前にプロとつけるのもおかしな話なのは分かっています。さらに、アナリストだからとんでもない量の情報や戦術眼を持っているわけでもありません。ただ、「同じ素材」なのにクオリティが違うものを生み出せるのは間違いないと思っています。それは自分だけでなく、現Jリーグで働いているテクニカルコーチ陣も同じです。サッカーや試合を「見る」ことや、戦術的に考えることはプロとアマで違いはほぼ出ません。それは一般の方の見方のレベルが上がっていることもありますし、「見ているもの」が同じだからです。

差が出るのは、その素材を使ってどう料理するか、いかに伝わるものが作れるか、刺さるものを提供できるか、「勝てるか」です。試合に勝つという意味ですが、分析という手法だけでいえば差が出ないことが分かると思います。

自分を正当化しているように、承認欲求が強いように聞こえるかもしれませんが、なぜ同じサッカーという土台なのに敵対視されなければならないのか、はてなマークが付くことも多かったので、半分愚痴のような形だったかもしれませんが記してみました。

要は、タイトルとしたように、サッカーアナリストにプロもアマもないよね、と。2020年までプロの現場で働いていた人間の戯言です。私ももうプロではありません。「元プロの現場で活動していた」サッカーアナリストなだけです。いまは、プロを目指す人を増やして育てたいと思って活動している人間です。

サッカーアナリストという認知が少しずつ広まってきて、分析ってどうやるの?とか、分析って面白いとか感じる人が増えているのだとしたら、この1年ちょっとは無駄じゃなかったなと思っています。

いつでもオンラインサロンでお待ちしてますし、セミナーでお会いできることを楽しみにしています。

では、また次回。

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