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学生スポーツ指導者はなんのために存在するのか(という持論)

前回のエントリーは、意外にもネガティブな反応は1件も頂きませんでした。
あとから読み返してみると"わりと無難な内容"に終始していて、そもそも"なぜ辞めたのか?"について一切言及していなかった。
そのあたりの話も、この先々で書いていきたいと思います。

エラそうなことは言いたくないし、言えない

今回は「学生スポーツ指導者はなんのために存在するのか」という、昨今のスポーツ界や教育現場が騒つきがちなテーマです。
ただし私の場合、例えば日本一等のわかりやすい実績があるわけでもなければ、社会的価値の大きな功績を残したわけでもありませんので、上から目線で格言的なものを書きなぐるつもりはありません。そんな権利?も説得力もないと自覚しています。
11年間のコーチ+αの経験の中で自問自答と対話を繰り返し、自らたどり着いた答え的なことを書いてみて、好き勝手ご意見頂けたらと思います。
世の中の様々なスポーツ指導者も、会社経営者もマネジャーもリーダーも、多くの人は私のような"何者でもない普通の人"だと思うんです。そういう方たちにとって少しでも何かのヒントになれば、そのヒントによってそのチームや業界や世の中が少しでも良い方向に前進すれば良いなあと思っています。

大学スポーツの現状

前回のエントリーフットボールコーチという本業と書いたのですが、務めていたコーチ業に金銭報酬はありませんでした。
これは課外活動には予算配分しない国立大学かつ、社会的影響力が小さく宣伝効果が期待できないマイナースポーツということも要因でしょう。一方、有名私立大学の体育会運動部(特にメジャースポーツ)では、専属のプロコーチと雇用または業務委託契約し、選手育成・競技力向上を通じて大学全体の認知度向上やブランディングに取り組まれているケースも多いですね。
しかし、そういった(あえてこう書きますが)恵まれた環境ではない、おそらく全体の8割以上の大学スポーツ組織は、適切な指導者に参加してもらうだけでもひと苦労なのではないでしょうか。

「志や信念」というエンジンをベースにしながら、人と組織の成長・進化を燃料に、チームの勝利・目標達成というミッションの達成を本気で目指す。
そんな、コト消費ならぬ「コト報酬」で動ける指導者の存在によって初めて成立する構造。これが多くの大学スポーツ組織、特にマイナースポーツの現状なのではないかと思います。

少し調べてみました。

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