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黄砂 〜タクラマカン砂漠に想いを馳せて〜

 いよいよ、黄砂の季節になった。

 黄砂の代表的な発生源といえば、「タクラマカン砂漠」であろう。

 私には、この「タクラマカン砂漠」の縹渺たる砂の海に照りわたる太陽の光が、『華厳教』の本尊、盧舎那仏を「光」の源泉として形象させたように思える。

 というのも『華厳経』が編纂されたのは西北インドあるいは西域においてであり、特に天山南路の仏教の拠点である、于闐(ホータン)が、『華厳経』編纂という一大事業の中心地だったのではないかといわれている。

 いずれにしても、この地域はギリシア文化とイラン文化との交流するところ、わけても西域は、その全体がイラン文化の圧倒的支配圏だったのである。

 ここで、于闐(ホータン)とタクラマカン砂漠の位置をみてみよう。

 赤で囲ったところがタクラマカン砂漠、その左下に小さく青く囲っているところが、于闐(ホータン)である。そう、于闐(ホータン)は、まさにタクラマカン砂漠のオアシス都市であったのだ。(現在ではいずれも新疆ウイグル自治区に属する。)

 さらに、華厳宗第三祖として知られる賢首大師、法蔵(643〜712)は、中国の僧ではあるが、実は中国人ではない。確かに彼は、中国に生まれ、中国で育ち、中国仏教の中心地である長安で仏教学を学んだ。だが、民族的には、漢民族ではない。西域人であったのだ。

 彼の祖父は康居国(上の写真の左のほうに青く囲ったところ)、ソグディアナで高位を占めていた人で、彼の父の代に一家が中国に移って来たのだ。中国に生まれ育ったとはいえ、法蔵は紛うことなきソグド人である。

 このソグド人というのは、中央アジアで東西交易に携わったイラン系のオアシスの農耕民族で、かなり商業に優れていた民族だったようで、どこかに定住するようなことはなく、シルクロードの周辺域で活動していたとされる。民族としては既に滅亡してはいるものの、おそらく現在でもウイグルにはその血を引いているものが、それなりに残っているのではなかろうか。このソグド人の話は、かなり興味深いものなので、また別の機会で紹介したい。

 井筒俊彦(2019)は、このソグド人である法蔵についてこのように述べている。

 この天才児の肉体のなかには、古代イラン文化のこころが色濃い血となって流れていたはずです。とすれば、『華厳経』の「光」の世界像にたいする彼の、あの異常な傾倒を、ゾロアスタ的「光」の情熱のひそかな薫習に結びつけて考えることも、あながち荒唐無稽な想像とばかりはいえないでしょう。

井筒俊彦(2019)p.21

 つまり、黄砂の故郷は、『華厳経』の故郷でもあったのだ。
 黄砂が好きという人はいないだろうが、黄砂を感じたら、『華厳経』が編纂された約1700年前のタクラマカン砂漠に想いを馳せていただきたい。

(参考文献)
1. 井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス−東洋哲学のために』岩波書店、2019年。

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