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人間五十年

 織田信長が今川義元と戦った、桶狭間の合戦に先立って「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。〜」と謡いながら舞をまい、陣貝を吹かせ出陣したという伝記(『信長公記』)がある。

 この舞の「敦盛」の文句の典拠は、仏教教典の『倶舎論』であろう。『倶舎論』11巻には次の文がある。

「人間五十年、下天一昼夜」

 現在でも、私たちは人生の儚さをいうときに、「人間50年」や「人生50年」などという言葉を口にするが、そのもとはこの『倶舎論』なのである。

 ただ、注意しなければならないのは、この倶舎論の文句は、決して人間の寿命が50年であるということを言っているのではない。

 アビダルマでは、「人間」は須弥山の四方にある、東勝身州、南贍部州、西牛貨州、北倶盧州という四つの州に住しているとされている。

東勝身州では、寿命は250歳とされている。南贍部州は、寿命の定限はなく、終末にかけて寿命は短くなり、果てには10年になってしまうとか、、『転輪王経』にその詳細がみられる。

転輪聖王の治下においては人寿8万歳であったのに、それが4万歳、2万歳と短くなり、邪淫・暴言・中傷などの悪が増すにつれて寿命はつぎつぎと短くなり、ついに人寿10歳の時がくる。人寿10歳の時代には、少女は5歳で結婚し、バターやヨーグルトと油・砂糖・塩などの美味は得られなくなって、卑しい穀類が最上の食物となる。母・伯母・叔母・師長の妻の区別なく、これを犯し羊や犬などの動物に等しくなり、父母兄妹姉妹は互いに害心をいだく。

梶山雄一(2021)p.109

 私たちはこの南贍部州に住しているとされているのである。ちなみに西牛貨州の寿命は500歳で、北倶盧州は1000歳とされる。

 また、下天というのは、須弥山中腹の四方にある四天王で、ここの一昼夜は人間の50年に相当する。

 松本照敬先生は、

「人間」を他の生き物と区別するとしたら、「人間」が自己を限りあるもの、惨めなもの、ちっぽけな存在であることを自覚しうる能力をもち、それがために尊厳な存在であることをも自覚しうる点にある。

中村元(1977)p.11

 と述べてある。

 物質文明が極まる現代において、人生の儚さを忘れ去り、その豊さに溺れている人も少なくないのではないだろうか。
 
 しかし、本当の豊さというのは、生活の中の物質的側面には見出せないものである。人生の儚さを忘れることなく、刹那刹那に最高価値の生活をすることで、結果的に豊かになり得るのではないだろうか。

(参考文献)
1. 梶山雄一『大乗仏教の誕生』講談社、2021年。
2. 中村元編『仏教語源散策』東京書籍、1977年。


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