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【アートの支店 #01】 いまを考える

2009年にアートの道に進むべくニューヨークに渡り、渡米12年目になりました。今年はロサンゼルスでパフォーマンス作品『joe』(ロサンゼルスJACCC初演予定)『Good Bye』(ニューヨークJACK初演予定)、即興ワークショップ『PLAYGROUND』の開催、世界各都市で無料配布する身体遊びポスター『TAKE FREE POSTURE』、付箋を使ったインスタレーション『FREEDOM OF EXPRESSION ことばをあつめるプロジェクト』、Facebook Live 定期配信、映像制作などのプロジェクトに邁進しています。コロナ禍の中、作品制作の現場も大きく影響を受けていますが、こんなときこそハートに火をつけて過ごしています。

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アメリカに渡っての12年、ひとことでは言い表せない様々なことがありました。コンテンポラリーアートという位置付けが難しい分野の中で、他のアーティストの作品に出演し、自分の作品を作り、助成金や滞在制作の機会に応募をし、各国各地を廻りながらダンスを教えるということを続けてきました。昨年ロサンゼルスに拠点を移し、カリフォルニア芸術大学大学院にて研究をスタート、また映像や他分野の方との共同作業を軸とするプロダクションkotorimomoを設立しました。

そんな中、今年に入ってから新型コロナウイルスの拡大があり、パフォーミングアーツのあり方も根底から揺るがされています。作り込まれた舞台上の世界観、とくにダンスというのは他人との接近、接触を前提として発展してきた芸術です。作品の制作の仕方、観客との関係を改めて問い直さなければなりません。しかし、こうしたことはコロナ以前から多くのアーティストの中で問題意識としてありました。スマホやYoutubeの存在が当たり前になる中で、エンターテイメントの楽しみ方がオンラインに移行し、制作・消費のスピードが大幅に増しています。パフォーミングアーツはどうしたらその力を発揮できるのか、どうしたらアーティストたちは生活ができるのか、作り続けられるのか。この難題に、とにかく手足を動かしながら取り組む毎日です。

作品の展望とともに、社会の中でいかに繋がりを見出していけるのか。以下、2020-2021年度を迎えるにあたり具体的な思索・構想をすすめています。

アートは不要不急か?

僕は以前、アートは不要不急ではないと考えていました。とくにこのコロナ禍の中、まず最初に人々が求めるものは食糧や医療、その他いろいろな産業を挟んで、商業的なエンターテイメントもあって、最後に僕のやっている実験的なアートというものが存在しているのだと。しかし自分が作品を作るときは、それが人々の生活、社会、価値観と直結すると100%信じて作っています。作品は人々や社会を考察する中で生まれてくるからです。そういう意味で、自分が信じて作った作品は本当に不要不急なのか、一番最後に存在するのだろうか、いや、本当はそれ以上の力があるのではないだろうか。そうだとしたら、それは僕自身が言葉にしたり、伝えたりしなくてはいけないのではないだろうかと思うようになりました。このnoteやFacebookなど様々なメディア、そして僕自身の言葉、作品を通じて発信していきます。

接点の多様化

作品を作るにあたって、最終的に観る人がどれくらい存在しているのか、ということを考えています。パフォーミングアーツのコミュニティは概して小さく、多くの時間、お金、労力をかけて完成した作品も、限られた人数の目にしか触れないということが多くあります。パフォーマンスはその性質上、会場と作品と出演者・スタッフが揃って初めて上演できるものが多く、予算を組んでツアーができるアーティスト以外は、出演者や舞台装置の規模を小さくしてツアーをする、またはツアーや公演回数を減らす・やらない・できない、という状況に陥っています。こうしたスパイラルの中で観客の数を伸ばすのは至難の技です。

僕は日本に帰国する度、電車に乗ることがありますが、そこで多くのサラリーマンを目にします。サラリーマン、と一括りするのは本来正確ではありませんが、異なるコミュニティで生きている人と、僕、または僕の作品が接点を持つことはあるのだろうか、と考えます。例えば彼らも、休みの日には美術館めぐりが趣味かもしれないし、子供がいれば習い事をさせているかもしれない。親も運動不足かもしれない。もしかしたら僕と出身校が一緒かもしれない。最近のパフォーマンス作品は美術館で行われることも多くなりました。そしてダンサーたちは運動不足解消の方法をたくさん知ってますし、子供や大人にダンスを教えるのが上手な人もたくさんいます。こうして少しずつ接点を探していく、こちらからコミュニケーションを仕掛けていくことはとても重要だと思います。

映像が容易に公開・観れる世の中になりました。先ほどの観客数を伸ばせないスパイラルの中でも、映像化すればもっと多くの人に観てもらえるようになります。しかし、舞台は同じ空間で作品を肌で感じられる、という特徴をもっているので、映像化したものとは本質的に異なります。それでも映像は作品を多くの人に届けるのに強力なツールですし、単に舞台の記録としての映像ではなく、映像として必然性のある作品・プロジェクトが生まれてきているような気がします。

中・長編作品の強化

こうした接点の多様化と同時に、外せないのが作品の質です。コロナ禍の中、多くの人が独自のプラットフォームを立ち上げ、アイデアを形にしています。必ずしも舞台でダンスを作ることだけが振付家としての活動ではない、という理解は近年広がっています。もちろんプラットフォームをつくることも重要だと思いますが、僕自身は、最終的には作品の質がすべて、という緊張感を常に持っています。自分の専門性は何なのか、自分にしかできないこととは何なのか。それを考えたとき、最終的には作品なのだ、という結論に行き着きます。アメリカで長い年月をかけて打ち込んできたのは、身体を使った作品であり、「振付家としての僕」は本当に多くの方に助けていただきました。なので、僕は作品でお返ししたい、そして自分で満足のいく作品を人生で一つでも多く残したい、というのが目標としてあります。

2009年に渡米してから作った舞台作品はほとんどが10-20分の長さです。それは、小さなコンペではそうした尺の作品が条件とされているからです。しかし、劇場で作品が本格的に選ばれるときは、1−2時間の長編作品が前提ですし、自分の作品の作り方も、短編よりも長編に向いていると思うようになりました。なによりも、僕は映画が大好きなので、1−2時間(あるいはそれ以上)という時間軸で別世界に連れ出してくれるあの感覚を追求したいと思っています。

長編というのは一夜にしてできるものではありません。数ヶ月、数年という時間をかけて、キャスティング・構成・中間発表・取捨選択を何度も繰り返して出来上がっていきます。ニューヨークでの体験が元になったソロ作品『Good Bye』は僕にとって初めての長編作品であり、現在制作中の『joe』は2作目になります。現在は舞台作品とともに映像プロジェクトでも中・長編への可能性を模索しています。

お金のこと

ここが一番難しいところなのですが、アーティストも生活していかねばなりません。そしてできれば他の方法ではなく、自分の作品で生活がしたいと思っています。どうしたら作品が仕事になるのか、どうしたら自分の作品が選ばれるのか、常に考えています。振付家の仕事としては、劇場・ダンスカンパニー・大学に作品を委嘱されたり、賞・助成金を受けること、ダンスを教えること、映像への振付などが一般的です。僕もニューヨークにいた11年間の大半を、こうした仕事を一つでも多くとることに費やしてきました。しかし難しいのは、こうした仕事をすること=作品の質を高める、ということではないことです。また、新しいアイデアを試すということは、いったん金勘定抜きで考えなくてはいけない面もあります。こうしたときに僕を支えてくれているのは、「ぼくはお金のために仕事をしたことは一度もない」という言葉。これは志村けんや手塚治虫、多くの仕事人が口にしています。お金を稼がなくてもいい、という意味ではなく、自分の芸とお金の関係の難しさを認識しつつ、それでも自分の芸で進んでゆくという、決意の言葉として僕は受け取っています。そしてなにより極限まで自分を追い込んだニューヨークでの経験が、それでも振付の道を進んでゆくという気持ちを強く支えています。

とにかく作品をつないでいくこと、その先にアーティストとしての生活がついてくるのだと信じて進む。そして上記のように、他のコミュニティと接点を探したり、作品の質を高めたり、言葉で自分のやっていることを発信していく、それを地道に続けていくことに尽きるのだと思います。

次回はこうした考察・構想にたって、どういった具体的なプロジェクトが現在進行しているかお伝えしたいと思います。

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