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【アートの支店 #02】 伝えるということ

先日、あるダンス関係者のインタビュー配信を見ていました。このコロナ禍の中でも、ダンスが進んでいくために、アーティストが作り続けていくためにという主旨の配信だったのですが、僕は既視感とモヤモヤを感じながら見ていました。この手の話によくあるように、「日本には自由に作る場所がない」というところから始まって、そういう場所を作っていこう、横のつながりやポジティブなアイデアをどんどん生み出していこう、という流れなのですが、それを見ていまひとつポジティブになれない僕がいました。僕は途中から妻に見せたのですが(妻はダンス関係者ではありません)、彼女には最後までちんぷんかんぷんで、興味すら持てない様子でした。

ダンスと言葉

残念ながら、こうしたトーンの話はダンス界隈に蔓延しています。僕自身もおそらくこういう話をしてきたので自戒の念をこめて書いています。話のテーマとしてはまったく正当なのですが、そこから先がまったく面白くないのです。この自粛期間(それ以前からも)、僕はYoutube三昧なのですが、たとえば音楽バンド「くるり」はオンライン飲み会をしながらバンドの小話や質問コーナーなどをやっています。これがまた面白いのです。ちょっと気難しい、面白いおじさんと居酒屋で飲んでいるような懐かしい気持ちになれるのです。「くるり」の音楽は多くの人に愛されているので、すでに話の方向性をわかって聞くリスナーも多いと思いますが、わかっていなくても、なんだかほっこり温かい雰囲気は伝わるのではないかと思います。同じく、最近僕は「独身・離婚歴あり・派遣社員」という肩書きの男性のチャンネルを見ることがあります。この方はくるりのように元々知名度の高い方ではありません(現在は知っている方も多いかもしれません)。内容もその方の日常生活や、キャンプをする様子を淡々と撮影しただけです。それでもなぜか見てしまう、その動画を見ながらいろいろ感じるものがあるのです。現代の人々にダイレクトに通ずるものがあるのか、多くの人が彼の動画を見てコメントを残しています。

なぜダンスにはこうした動きが起きないのか?僕が活動しているのは、コンテンポラリー、いわゆる現代アートに近い身体表現ですが、だからといって難解で、わかる人にだけわかって、というものを目指しているわけでもありません。たくさんの人に楽しんでもらいたいとう気持ちは同じです。そして、作品も人間の生活や感情から乖離したものを作っているわけでもありません。誰もが楽しめる要素があると思って作っています。

先ほどの妻の感想ですが、「情報が足りない」「関係者以外に伝えようという姿勢が全くない」とのことです。僕は「ダンスの人は言葉で伝えない、という人も多いから、作品が面白ければいいんじゃないかな」と言うと、「じゃあなんでトークショーなんかするの?」と言われました。確かにそうです。トークをするのは、作品で伝わらない部分を言葉で補おうとしてるからです。あるいは言葉を通じて興味を持ってもらい、作品を見てもらいたいからです。そのどちらも出来ていない(出来ていないことにも気づかない)トークを見ると、とてもモヤモヤした気持ちになります。

サイエンススイーツ

もうひとつだけ例をあげると、今日テレビで「サイエンススイーツ」なるものをやっている料理の方が出てきました。スタジオのタレントが「サイエンススイーツってなんですか?」と聞くと、その料理の方は笑顔で「言葉ではお伝えしにくいので、いまここでお見せします!」と言い、お菓子を使って10秒ほどで簡単な例を見せていました。もちろん、この10秒の例が彼女のやっているお仕事全体のどれほどの部分かはわかりません。それでもこの短時間に、言葉では表しにくいものを具体的に見せて、ある種の納得感を持たせるという行為に、僕は感心していました。コンテンポラリー、現代アートというものは多くの人にとって馴染みのないものです。そして10秒でそれを見せろと言われても、できるアーティストはなかなかいないのではないでしょうか。ひとつには、コンテンポラリー、現代アートというものが、決まった型を持っているものではないことがあります。しかしダンス史の世界では一応「コンテンポラリー」の位置付けがあるようで(僕も詳しくはないのですが)、下手に間違った説明も出来ないのです(権力のある「先生方」というのもそこかしこにいらっしゃいます)。先ほどの「サイエンススイーツ」は造語のようなので、いっそアーティストたちも言葉を作ってしまった方がいいのかもしれません。

くるりのメンバーも、特に小難しい話をしているわけではありません。「本番の後になぜ打ち上げをするか?」とか、誰でもわかるような話を、そのまんま話しているだけです。もちろんポピュラー音楽とダンスの出発点は違うと思いますが、なぜダンスがそこまで気張ったものでなくてはいけないのかわからないのです。ダンサーやその作り手たちにも、豊富な経験談があるはずです。「コンテンポラリー」や「現代アート」が市民権を得てないこと、バレエやモダンダンスから引き継いだ「上下関係」「師弟制度」が色濃くあること、アーティストの生活が楽ではないという現実に怯むことなく、ぜひ思い思いの言葉でも表現できたら、ダンスはもっと面白くなるんじゃないかと思っています。

「伝える」ということ、関係者かどうかの垣根を超えることに関して、僕は近年とくに意識的になろうと努めています。特にこのコロナ禍、僕に何ができるか、ダンスに何ができるのか考えることは、「伝える」ことを考え直すことでもありました。現在、おもしろポーズを集めた無料配布のポスター『FREE POSTURES』を制作しています。またアニメーションを使った映像制作、ダンスについて語る映像の配信Facebookやnoteで記事を投稿しているのは、できるだけ多くの人に伝えることを僕自身勉強し直したいという思いからです。

ダンス・アート・社会の垣根を超えて、みんなで面白いものを作って、シェアしていけたらいいなと思っています。

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