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こども写真館からの解放―なんでもないような日常がいい

ニューボーンフォトという言葉を耳にすることが増えました。日本語に直せば、新生児写真ということになりまして、生後間もないお子さんの写真をプロに頼んで撮影してもらうのが流行っているとか、いないとか。僕はその専門家ではありませんが、親戚からの依頼で撮影させていただく機会がありました。そのとき「スタジオで綺麗な写真を」というご依頼をいただいたのですが、あえてご実家での日常風景を撮影することにしたのです。


その後、大勢の方が共感のメッセージを送ってくださり、またご自身のお子さんに対する写真観をつぶやいていたのを見て、自分の写真に対する構えが定まったように思います。では、なぜご依頼に反して日常風景を撮影したのか、その背景を書き綴ることにします。


コスプレ赤ちゃん


「ニューボーンフォト」と画像を検索してみてください。まず布でぐるぐる巻きにされた赤ちゃんの写真が出てくることでしょう。もしくは、カゴやタマゴのなかに入れられていたり、耳のついた帽子をかぶっていたりする写真。最後に全身サンタクロース。僕にはコスプレの趣味はありませんが、それについて一切の嫌悪感はありません。

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僕だって仮面ライダーでしたし、妹はプリンセスでした。憧れ、そうなりたいと望んでいたからです。しかしながら、生まれたばかりの赤ちゃんはサンタクロースになりたいわけではありません。自らのこどもを可愛く写したいという気持ちはわかりますし、その気持ちに起因する行為を非難する気持ちはありません。ただ、結果として親のエゴになってしまっているのではないか、とも思うのです。無論、大きくなったこどもがその写真を見て良く思ってくれればいいのですが‥。

その時、その空気

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写真は一瞬を、とても具体的に切り取ることのできるメディアです。ゆえに、鑑賞者は実際にその場に居合わせていなくても、もしくはまだ幼くて記憶がなかったとしても、写真があれば追体験することができます。しかし、それは写真に必要な構成要素が含まれている場合に限ります。いつ、どういう場所で撮影したのか。それを特定するには服や、家や、近所の風景や、テレビや、新聞、雑誌などの要素が複雑に絡み合います。だから、できるだけリアルなほうがいい。その時の、その空気を伝える写真が撮りたいのです。

なんでもないような写真

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演出もしなくていい。なんでもないような写真を見ると、心が揺さぶられます。たしかにプロがスタジオで撮った写真は綺麗だけれど、親しい人が撮ったピンボケ写真は美しい。

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カメラ目線じゃなくたって

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びっくり顔だって

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お風呂の顔だって、美しい。

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こんな写真は、きっと家族にしか撮れないでしょう。だから、家族の写真は家族の誰かが撮るのがいちばんだと思います。綺麗でなくたって、ピンボケだっていいのです。想いのつまった写真のほうが、よほど深みがありますから。

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けれども、家族の誰かがカメラマンになると、その家族は写真には写らない。そこで第三者である僕がなんでもないような日常を撮る意味があるのだと思います。客観的な視点でもって、その時を伝えます。

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何の演出もなく、ただ事実を伝える写真。それはもしかすると友達に自慢できるような写真でも、額装して飾っておくような写真でもないかもしれません。けれども、将来こどもが大きくなったときに、自分の手で写真を見つけて、愛されていることを実感する。そんな役割を担ってくれるはずです。

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