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写真の読みかた part.1
ぼくは字を書くのがとても苦手で、このあいだ口座振替の申し込みをしたところ「文字が読めないので、もう一度書き直して提出してください」という連絡をもらってしまいました。ですが、手紙を書くときちんとお返事をもらえるくらいには、文字らしい形を保っています。きっと読むほうは大変だと思うのですが、最後まで読んでもらえるのは嬉しいものです。
手紙を受け取ったら、まずはなにが書いてあるのかを読み取ろうとします。手にとったときにこれは綺麗な字だなとか、あるいはずいぶんと汚い字だなと思うことはあるかもしれませんが、それは二の次。文字というものがあくまで記号であって、伝えたいものが文字の先にあることをみんなが知っているからです。
ところが、絵の話になると、まず上手下手の議論がなされます。あのひとの絵は写実性が高いとか、色彩が美しいといった話は美術館でもよく耳にします。作者がなにを伝えたいのか、どういう視点の持ち主なのかは、一部の「絵がわかる人」によってのみ議論されることになっています。この状況は、写真でも同じではないでしょうか。いま写真の「撮り方」を指南する文章は世の中に数千とありますが、写真の「読み方」を解いたものはほとんどありません*1。これだけ写真が普及しても、写真の扱いかたはだれも教えてくれないのです。ここでは写真を撮る側の視点をご紹介しますが、それを理解すれば写真の見かたも理解できるでしょう。
*1 代表するものに名取洋之助著『写真の読みかた』、小林美香著『写真を“読む”視点』があります。
このノートは2部で構成します。パート1では、名取氏の著書を参考に写真に付随する文字情報が写真にどのように作用するのかを紹介します。パート2では構図や光など、写真そのものの読み方を紹介します。
写真は具体的である
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写真はそれ自体が実体なのではなく、あくまで記号としての役割を担っています。つまり、鑑賞者は写っているものから、そのむこうにある情報を得ようとします。写真家・名取洋之助は『写真の読みかた』で次のように述べています。
写真は文字と同様、記号であるといえます。(中略)犬の写真を見て、そこに犬がいると考えるような人はいないはずだからです。 p.49
ただし、文字とちがって写真は非常に具体的です。たとえば「男がひとり、桜の見える橋の上から写真を撮っていた」と文字で書くと、具体的なようでいてとても曖昧です。文字では桜が一本なのか、咲いているのか葉桜なのかもわかりませんが、写真の場合は具体的な映像を提示することができます。
写真は曖昧である
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しかし、写っているものは具体的でも、その背景までを映し出してくれるわけではありません。これは文字にも言えることですが、読み手の生まれ育った環境や興味によってその意味が大きく異なってしまうのが、記号の弱点です。上の写真は相倉合掌づくり集落という昔ながらの家屋がのこる村を豪雪の日に写したものです。たとえば雪深い地域にも家屋があることを伝えたくてこの写真を撮ったとしましょう。これを見たとき、その意図の通りに受け取ってくれる人もいるでしょう。
しかし、これを地元の人が見ると「こんなに雪が降るのは珍しい」といった報道写真として受け取られたり、建築家には「どんな工法なのだろう?」と考えたりする人がいるかもしれません。写真が曖昧であるがゆえに、どのようにでも解釈できてしまいます。そこで、どのように写真を読んでほしいかを示す必要が出てきます。
題名による誘導
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この写真に題名をつけてみましょう。闘牛の一場面を写した写真ですので「闘牛」という題名をつけてみます。この場合、鑑賞者はどのように受け取るでしょうか。ひとつの考えとしては、撮影者にとっての闘牛はこういうものだ―牛と闘牛士が睨み合っている光景―という主張として捉えることができるでしょう。
つぎに「カルメン・マテオ」という題名をつけてみましょう。するとどうでしょう。闘牛士のカルメンがどのような人であるかをイメージすることはできませんか。
あるいは「群衆」が題名であればどうでしょう。こんどは観客に視線がいきませんか。なぜ人は闘牛を見に来るのか、という問いかけにもなります。
このように、撮影者はその意図によって題名をつけます。逆を言えば、写真を見るときには題名を見ることで、撮影者がなにを伝えたかったのかを知る手がかりになります。
説明文による誘導
ここではおなじ写真に3つのキャプションをつけてみます。
① 闘牛はスペインの国民的娯楽
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剣を持った闘牛士が牛と闘う。闘牛は中世よりスペインで盛んに行われてきた競技だ。いまでは国技に指定されており、その人気も高い。試合があればチケットは即日完売する。
② 衰退する闘牛文化
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観客は闘牛士を冷ややかな目で見つめている。闘牛は剣を持った闘牛士が牛と闘い、死に至らしめる競技。動物愛護の観点からその批判は年々強まっている。会場には反対勢力が詰めかけた。
③ 闘牛士カルメン・マテオ
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カルメンはセビリア郊外の農家に生まれた。父のホセは幼少期から闘牛士を目指していたが、肩の怪我を理由にその夢を絶った。カルメンはいま、父と観客の期待を背負い、剣を握っている。
いかがでしょう。おなじ写真なのに、キャプションによって見かたが変わってきませんか。これは写真が曖昧な表現であることを確認させてくれます。ですから、写真だけで意図を正確に伝えることは極めて難しく、キャプションが必要となってくるのです。
組写真による誘導
つづいて、文字はいっさい書かずに、写真だけで説明してみましょう。
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これは複数の写真を組み合わせる組写真の技法です。左上の一枚は同じですが、のこりの3枚を入れ替えることで、同じ写真でも意味が変わります。ひとつめの組の観客の目は悲観的に、2つめの組では盛り上がっているようにみえませんか。写真だけでも複数を組み合わせることで見てほしい方向を示すことができます。
さて、これまでのところで、写真がいかに曖昧なメディアかがよくわかったかと思います。インターネット上では多くの写真にキャプションがつけられています。これは撮影者の意図を理解するのに役立ちますが、すなわち写真の見方を限定していることにもなります。それが事実と異なったとしても、一言添えられるだけでそのように見えてしまう、という危険が潜んでいます。ですから、写真を参考情報として受動的に見るだけではなく、読む力が必要になってきます。パート2では、文字がない場合に一枚の写真をどのように読めばいいかを解説します。
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