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写真の境界線

「真実」を「写す」と書いて「写真」。19世紀初頭に発明された写真は、あらゆる場面で証拠として使われてきました。証拠写真や証明写真など、そこに写っているものの真偽を疑うことはごく稀です。それほど「写真は真実を写している」と考えられているのですが、証明写真ボックスに入ってみると「美肌補正」などというオプションが当たり前のように備わっています。例えば肌のシミやニキビなど、本来はそこにあるはずのものを存在しないものとして写してしまっても、不思議なことに証明写真として機能します。

通話アプリのアイコンや旅行のスナップ写真、美肌の女優が主役の化粧品や完璧なシルエットのハンバーガーの広告。目にするほとんどの写真に画像加工がされて「存在しないもの」になっているはずなのに、見ている側は「存在しているもの」として受け取ってしまいます。そこでふと思いました。

「写真って何だろう?」

写真展にCGを展示するとどうなるか

その答えを探るために、実験をすることにしました。舞台となったのは、金沢21世紀美術館で開かれた市民団体の合同写真展。ここにゲストの「写真家」として招待していただき、3枚1組の作品を持ち込みました。

作品を成すのは次の3点。

  1. カメラで撮影したままの女性の「写真」

  2. カメラで撮影した写真を加工し、現実とは異なる姿になった女性の「写真」

  3. 3DCGで制作した、完全に架空の女性の「写真」

3DCGで制作した女性は、実在する人物をスキャンした複数のデータを組み合わせて生成した後に、顔立ちや肌を編集して架空の人物にした。


写真の境界線

さて、この3点が並んでいた時に、みなさんはどこまでを「写真」と呼びますか?

ある方は、加工したものは写真ではないとして①だけが「写真」だと言いました。ですが、会場内には複数の写真を合成して制作した星景写真などもあるため、そうした作品は「写真」ではないことになってしまいます。というお話をすると、やっぱり②も写真と呼んでもいいか、という考えに変わっていきました。けれども、③はCGだから「写真」ではない、という結論に落ち着きます。

つまり、②と③はどちらも現実には存在しない女性ではあるという共通点はあるものの、元のデータがカメラで作成されたかどうかが境界線を決める要因となっているようです。

では、もしCGがカメラで撮影した写真をもとに作られていたらどうでしょう?CGの制作には、粘土のように自由に形を作っていく方法のほかに、フォトグラメトリという複数の写真を分析・合成してモデルを作成する方法があります。ということは、フォトグラメトリで制作したCGは元データが写真なので「写真」になれるはずです。

フォトグラメトリによって生成された3Dモデルを「撮影」した例。


この展示では、写真の境界線を考えるのと同時に、もうひとつ実験をしました。それは、作品の前を素通りしてもらえるかどうかです。写真展にCGが展示されていたら、9000人以上の来場者のうち一組くらいは「なんでCGがあるの?」という会話をしていても不思議ではないのですが、幸いなことに、遠くから聞き耳を立てていても誰も気づくことなく素通りしてくれました。(たんに興味がなくて素通りしたというのもあるかもしれませんが)。

ということは、仮にCGであっても、写真に近い見た目であれば「写真」になるのかもしれません。実はIKEAをはじめとする家具や家電、自動車などのカタログの多くでCGが使われています。でも、ほとんどの人はカタログを見て、それがCGであることを問題にしません。CGだと分からないから問題にしない、というのもあるかもしれません。けれども、仮にCGだと分かっていたとしても商品の情報を得るという目的であれば、写真かCGかということは問題にならないはずです。そして、カタログを見ながら会話する時の指示語は「この写真」になるはずです。

写真って何だろう?

ところで、デジタル写真はレンズを通して集めた光をセンサーに当てて、数値の羅列をコンピュータが解析してヒトの目に見える画像として出力するというしくみになっています。その時に、センサーが受け取った青色の情報を、どんな青色にして出力するかは、それぞれのメーカーの考え方にかかっています。つまり、同じ風景を同時に撮影したとしても、カメラによって見え方は違うことになります。写真というのは、実は「写実的な絵」であって、ヒトが見ている景色そのものではないのです。

写真は文字と同様、記号であるといえます。記号という言葉は「物」の実体ではなく、その代理をするもののことをいうのですが、(中略)犬の写真を見て、そこに犬がいると考えるような人はいないはずです。 

名取洋之助「写真の読み方」pp.49-50

そういえば、写真はたんに記号にすぎないのでした。人々は写真そのものを見ているわけではなくて、写真の向こう側にあるものを見ているのです。それならば、CGであっても、高精細な絵であっても、描かれたものが「現実に存在している」と見た人に思わせることができるのならば、それは写真と呼べるのではないでしょうか。


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