2021/9/16(木)

いつも頭の中がパンパンに詰まってるような不快感がするのは、もちろん僕自身のせいじゃない。ただ、この不快感を一生感じないといけないと思うと、少し憂鬱になる。

何をするにも、このパンパンな不快感を遠ざけようとする試みに過ぎなくて、何にしても、その試みは部分的に成功するに過ぎない。ある音楽(今はDinosaur Jr.の荒々しい轟音)によって、少し良くなったと感じられる一瞬がある。それは、不快感が「良く」なったのか、轟音によって感覚が一時的に誤魔化されてるのか。まあ、同じことだ。

そして、この不快感を抱き始めてもう十年は経つ。ひょっとしたらその倍くらいになるかもしれない。記憶が定かじゃないし、「頭の不快感記念日」を定めたわけでもないから分からない。作業所に通ってた頃、同僚が「頭のモヤモヤする感じ」と言ってて、今ならより良くその気持ちが分かるけど、この表現もなんだか何かの中毒者っぽくてしっくり来ない。

頭を開けて見れば、原理は麻薬依存と同じなのかもしれない。ドーパミンの受容体が処方薬によってブロックされてる、セロトニンが上手く取り込まれてない、などなど。不快感と言っても悲鳴を上げるほどじゃないけど、一生この状態かと思うと悲鳴を上げたくもなる。

3つほど、その不快感を感じなくていい瞬間があって、それは「寝てる時」「飯を食べてる時」「風呂に入ってる時」だ。最近、特に昼間は体がクタクタで何に関してもやる気が出なくてぶっ倒れてる。

精神疾患は、アルコール中毒などと同じなのかもしれない。実際、アルコールには依存してないけど、例えば買い物依存なところは大いにある。アマゾンやメルカリのアプリでついあれこれワンクリックしてしまう。脳内で起きてることはひょっとしたら同じなのかもしれない。

ここに、人間関係まで絡んで来るとおかしなことになって来る。一人でも充分おかしなことになってるのに、この人生の中に誰か入れようとすると容量オーバー。ダメなやつと言われようが、他人との距離はキープしたい。

この町に一生住み続けるかもしれない。それもいいかもしれない。大切なのは、人生の中身だ。中身とは何か…寝ている時、飯を食べてい時、風呂に入ってる時、かもしれない。でも、それでも「生きた」という気がするかもしれない。気がするだけで、本当は充分だ。

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