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賛否両論あったTOKYO2020オリパラ

私はTOKYO2020オリンピックとパラリンピックのボランティアスタッフをした。
特にパラリンピックは真夏の炎天下で人手も足りなくて本当に毎日が激務だった。
最終日の帰り道、疲労感と脱力感でちょっとぼーっとしながら最寄り駅のスーパーで買い物をしてたら、
「ボランティアされた方ですか!」と勢いよく見知らぬ女性から声をかけられた。
私達ボランティアスタッフは全身決められた服装を着ているのですぐにわかるんだけどね、それにしてもなんだろうか?と私は若干不審者を見るような目で彼女の方を振り返ると、
「私も息子と一緒にボランティアさせてもらいました。息子は車椅子なので全然お役には立てなかったと思いますが、息子はパラリンピックのお手伝いができたことを心から喜んでいました」と。
「あ、そうでしたか。はい、私は今日までパラリンピックのボランティアをしてきました」と疲労で笑顔にならない顔で答えると、益々元気な声でその女性は、
「私はうれしんです、パラリンピックのボランティアしてくださった方とお会いできたことが、すみません、勝手に興奮してしまって」と。
まぁまぁ混んでるスーパーの食料品の棚の前で興奮する女性と強面のオッサンとのやりとりに回りが少しだけ後ずさりしていく感じを受けた。
私は今回間近でパラアスリートと接して感じたことがある。それは、腕や足が明日事故や病気で失われても何も怖くない、って思いだ。
彼ら彼女らと会うまでは当然に足の小指が失われることだって恐怖であり、受け入れがたいことだった。身体の機能が失われることなんて到底想像したくない。
でもパラアスリートと出会って、あの人たちは手が無かったり、足が無かったり、目が見えなかったりする。
そしてその状態で日常を暮らしているどころか、国を代表するアスリートとして東京まで来て大会に出ている。
命さえあれば、なんてことはないんだ、って思うようになった。
手足がなくなるくらいどってことはない、それが私がパラリンピックのボランティアをして得た実感だ。
現実的には生活や周囲の目、家族等のサポートと大変に違いない。
でも悲壮感を持たなくなった、イメージが変わった。
だから私はボランティアをして得をしたと思う。
あのスーパーで出会った彼女の息子さんのように、私もやって良かったって実感した去年の夏でした。

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