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「考えるとは?」自分で考え、自分で話せる大人の育て方。

こんにちわ。私は普段、UXプランナー&Webディレクターという肩書でデジタル領域での企業ブランディング、サービスデザインなどのお手伝いをしています。

企業や団体が抱えている問題の解決策を考えたり、雑多な情報を整理整頓して分かりやすくする様なこと生業にしていて、毎日「ひーひー」言いながら足りない知恵を振り絞っているのですが、そんな仕事をしていると「考えることが得意な人」と「考えることが苦手な人」がいる、ということに気がつくようになりました。

「考える」って「話す」や「歩く」とかと同じくらい誰でもできる気がするんですが、仕事で対価としてお金を貰えるレベルで「考える」ことが上手な人はあまり多くありません。

考えることが得意な人と苦手な人は何が違うんだろう?どうやったら考える力って伸ばすことができるんだろう?という疑問を持ち、いろいろと調べたり考えたりしていたところ、一冊の本に出会ってすごくいろんなことが腑に落ちたので、今日はその本に書いてあることを軸に「考える力の正体、伸ばし方」をご紹介したいと思います。


紹介する本:
じぶんで考えじぶんで話せるこどもを育てる哲学レッスン

以下、「哲学レッスン」と呼びます。


「考える」とはどういう行為なのか?

なんだか哲学的な問いですね。「考えるとは何か?」を考える。すぐに頭が混乱してしまいそうですが、考えるという行為は「なんで?」という疑問から生まれます。

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最近「考えた」ことを思い出してみて欲しいのですが、いかがでしょうか?

私がぱっと思いつくことですと、先日、仕事が終わって家に帰った時に、なんとなく家の中の雰囲気がピリッとしていることに気づきました。その途端に私の頭の中では「ん、なんか奥さんの機嫌が悪そうだな?なんだ?何か大事な予定を忘れてるとか?」といった思考が始まります。

「考える」は「なんで?」から始まる。

これが一つ目のポイントで、考えることが得意な人は常日頃何か新しい情報に触れた際に「なんで?」「本当に?」と考えることが癖になっています。

例えば「進撃の巨人という作品が人気」と聞いて実際に漫画を読んだりアニメを見た際に、「おぉ~面白いなぁ!」で終ってしまう人と、「おぉ~面白いなぁ!この面白さはどこから来てるんだろう?キャラクター?世界観の設定?何が時代性を捉えて多くの人を魅了しているんだろう?」と「なんで?」の深堀りをする人がいます。

この「なんで?」の深堀りが「考える」ということで、考える癖がついている人は無意識にこういう探求をしています。


「考える=思考」には3つの側面がある

もう少し「考えるとはどういう行為なのか?」を深堀りしていきます。ちょっと難しい話になってしまうのですが、マシューリップマンという、世界各地で子どものための哲学の普及・推進に尽力したアメリカ人の学者がいまして、その方は思考力を3つの側面から捉えていたそうです。

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〇 批判的思考
外部からの情報、自分の内側にある考え&思い込み、両方に対して「本当にそうなのか?」とあらためて検討する態度。それまで理由や根拠を問うことのなかったものに、それらを求めていく姿勢。

〇 創造的思考
新しいものを生み出す思考。批判的思考よりも先進性に重きが置かれ、「なんで?」に「こういうふうに変えたい!」という意思が重なった時に魅力的な創造的思考が生まれる。

〇 ケア的思考
思考の源泉となる感情のこと。「こんなことができたらあの人喜ぶだろうな…!」といった、他者の気持ち、状況への配慮、ケアする心無しには魅力的な思考は生まれない。

〇多元的思考
3つの思考が集約され、バランスが取れた状態。この状態がもっともすぐれた判断力を生む。

なんとなくイメージわきますでしょうか?

批判的思考とは、例えば学校や会社で「遅刻をするな!」と怒られた際に、多くの人が「そういうもの」「当たり前」として考えないでいることを「そもそもなんで遅刻しちゃいけないんだろう?」とあらためて問い直すような姿勢のことです。

そして創造的思考、ケア的思考があって初めてその思考は魅力的なものになります。何事に対してもやたらと「批判的」なのはだたの懐疑主義で、前向きなアウトプットを生み出す思考ではありません。

「なんで?本当に?(批判的思考)」から「こんなふうにしたい(創造的思考)」が重なり、更に「これが実現したらあの人たちが喜んでくれるだろうな(ケア的思考)」がセットになって、初めて魅力的な思考が生まれてくるわけです。

「考えるのが得意な人」というのは一定の距離を保ちながら何にでもケチをつけるただの「懐疑主義」とは違う、ということはとても大事なポイントなので強調しておきたいと思います。


好奇心が考える力を伸ばす

新しいことに挑戦する。
人と対話する。
本を読む。

考える力の伸ばし方はシンプルで、この3つの経験を積み重ねていくと、考える力を伸ばすことができます。一言でいえば「好奇心を大切にして生きる姿勢」があれば自然と考える力は伸びていきます。

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例えばあなたが「外国に住む」という新しい挑戦をしたとします。すると日常的にこんなふうに「男女問わずハグをして親愛の情を表現する人たち」に出くわします。

日本で生活していて「当たり前」だったコミュニケーションとは異なるコミュニケーションを目の当たりして、あなたの頭の中には「考える」の種である「なんで?」が生まれます。

なんで外国の人はこんなにハグをするんだろう?
なんで日本人はしないんだろう?
ハグをするとどんな気持ちになるんだろう?嬉しい?恥ずかしい?
恋人と友人のハグは何が違うんだろう?

こんなふうに、新しいことに挑戦すると今まで自分が「当たり前」だと思っていたことを「なんで?」と見つめなおすきっかけが生まれます。

この「なんで?」が前述の批判的思考そのもので「それまで理由や根拠を問うことのなかったものに、それらを求めていく姿勢」が自然に生まれやすくなる。というのが、新しいことに挑戦すると考える力が伸びる理由です。

ここでは分かりやすく「外国に住む」という極端な例を挙げていますが、もっと身近なこと、例えば私が今まさにやっている「noteを書いてみる」といった挑戦でも、やってみるといろんな「なんで?」が生まれてくることが分かります。

「思ったようには文章って書けないなぁ…なんであの人はあんなに上手に分かりやすい文章が書けるんだろう?しかも更新頻度もすごく高いし…?」

なんていうのは、自分で一生懸命考えながらnoteを書いてみたことがある人なら一度は思う「なんで?」なのではないでしょうか。


人と対話すること、会話と対話の違い

「哲学レッスン」の中で「会話」と「対話」の違いを説明している箇所があり、読みながらすごく「はっ!」としたのですが、考える力は「人と対話する」ことでも伸ばすことができます。

まず「会話」と「対話」の違いから確認していきますが、会話の特徴として「何か特定の目的を持たないこと」があげられています。会話は「会話することそのものが目的」なのです。

そして、そんな会話の中でたまに、自分にとって新しかったり、思ってもみなかった方向に話が発展していくことがある。それを「対話」と呼びます。

対話とは驚きから始まり、探求と思考によって進む会話のことで、人は対話を通して自分自身や相手への理解を深めたり、今まで考えたことがなかった事柄に対して「なんで?」という視点を持って思考を巡らせることができます。

「考える力を伸ばす」原理は「新しいことに挑戦する」と同じで、対話を通して自分とは違う価値観、考え方に触れることで「なんで?」が生まれ、自然と「考える」が促される。だから、対話すると考える力を伸ばすことができるわけです。


本を読むことのメリット①「仮想体験」

「本を読むと頭が良くなる」といった話は、誰もが一度は見聞きしたことがあるんじゃないかと思います。

私は読書が好きですし、この「本を読んだ方がいいよ!」といったアドバイスには基本的に賛成なのですが、そんな「本を読むの賛成派」の私でも、イマイチ「なんで本を読むと頭が良くなるのか?」という相関関係に腹落ちしていませんでした。

「本を読むことは大事なこと」という感覚はあるんだけど、それがどうして大事なのか?というのをきちんと論理的に説明できない、というもやもやを抱えていたわけです。

でも、「哲学レッスン」の中にその答えが書いてありました。

「新しいことに挑戦する」「人と対話する」が「考える力を伸ばす」に結びつく原理は、自分とは違う価値観、考え方に触れることで「なんで?」が生まれ、自然と「考える」が促されるからだとご説明しました。

そして、この2つを短時間で仮想的に体験できるのが読書なのです。

先ほど「外国に住む」話をしましたが、これはとても実行するハードルが高い体験です。お金や時間、家族、仕事、いろんな制約があり、なかなか実行することはできません。

ですが、本を読んで数時間、想像の世界の中で外国に住むことはとても簡単です。たった数時間で世界中を旅しながら、見たことも無い刺激的な体験をして、出会ったことの無い人たちと対話を重ねることができる。

これが読書が「考える力を伸ばす」理由です。

そして「動画」と「本」の違いは、提供される情報量の違いによってもたらされます。

空気は澄みきって、まるで水のように通りや店の中を流れましたし、街燈はみなまっ青なもみや楢の枝で包まれ、電気会社の前の六本のプラタヌスの木などは、中に沢山の豆電燈がついて、ほんとうにそこらは人魚の都のように見えるのでした。

出典:銀河鉄道の夜/宮沢賢治

この一文を読んだ時、頭の中でイメージされる情景、世界観は読み手によって千差万別です。

本の中には「文字」しか書いていないので、その分、想像力を働かせる余白があります。頭の中で考えながら、想像しながら深くその世界に入り込み、あたかも本当に物語の中の登場人物の一人になったような感覚で、様々な仮想体験をすることができる。

一方で、情報量の多い「動画」では、監督や制作側がすでにこの「想像」の部分を私たちの代わりにやってくれている状態で、こうなると脳は提供される大量の情報を「理解する、処理する」ことに精一杯になり、自分で想像する、考える隙間は生まれません。


本を読むことのメリット②「考える needs 語彙量」

ちょっと変な見出しですが、考える力の根幹には「どれだけの言葉が頭に入っているか?」という要素も重要です。

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これは私が考えている脳の中のイメージなんですが、左図のように頭の中に言葉(知識)が少ない人は、それぞれの言葉が結びついておらず、有機的な連携ができていない状態になっています。

一方、右図のように言葉(知識)が多い人は、それぞれがしっかりと繋がっていて、一つの回路として機能します。

左図の頭の中では「A」と「E」は遠く離れていて関連付けられることはありませんが、右図の場合「A」と「E」が一つの回路の中で繋がっているため、これらを結び付けて考えることができます。

「哲学レッスン」の中でも「考える力」について以下のように説明されていました。

考えるとは、一見すると独立して無関係に思われるふたつ以上のものに関係性をつけること、あるいは、関係性を見つけることに他なりません。

あらためて考えてみると当たり前のことですが、もし仮に頭の中の言葉が10個位しかなかったら、考えられることはおそらく3つ位しかありません。それが10000個あれば、それだけ沢山の言葉を結び付けて考えることができます。

そして、考える力を支える語彙量を増やすには、プロが書いたたくさんの言葉、表現に触れることが必要。だから読書は考える力を伸ばすことに役立つわけです。


勉強は人生を豊かにする

さいごに、私が大好きなオードリー若林さんの一言を。

「勉強する」っていうのは「おっ!」って思えることが増えることなんだろうな。

ラジオでさらっとこんなことを言っていたのですが、すごく大切な一言だなと思ったのでよく思い出しています。

例えば、私は「考える」ということについて日頃から考えたり、調べたりして勉強をしていました。だからこそ「哲学レッスン」を読んだ時に「自分がずっと疑問に思っていたことの答えが書いてある!!」と、とても興奮&感動しました。

私が感動できたのは「考える」という分野の勉強をしていたからで、その積み重ねが無い人に「この本面白いよ!」と本を貸しても、私と同じような感動を味わうことはできません。

感動は共感から生まれます。

そして共感は自分の中に「共感の種」が無いと起こらないので、極端な話、人生で何も経験せず勉強もしない人は感動することができない、ということになります。

いろんなことに興味を持って体験したり、勉強しているからこそ、それに関連するものに触れた際に「おっ!」と思って、その面白さを深く理解できる。

「方程式なんて大人になってから一度も使わないよね。勉強なんて役に立たないから意味無いじゃん。」という意見はよく聞きますが、これは勉強の価値を「役に立つかどうか?」で評価している時点で前提が間違っています。

特に小学生、中学生と、自分が何をして生きていくのか?どんな大人になりたいのか分からない時にする勉強は「将来役に立つからやる」わけでは無く、自分が「おっ!」と思える「種」を自分の中にたくさん増やしておいて、いつか心から「これ面白いな!やってみたいな!」と思えることに出会うために、幅広くいろんなことを勉強しているわけです。
(これを中学生の頃の私に教えて欲しかった…。)

「勉強すると感動できることが増えて、人生がもっと楽しくなるんだよ。」

まだ子供が3才なので伝える機会が無いのですが、小学生くらいになって「なんで勉強なんかしなきゃいけないの?」と聞かれた時にはこうやって答えようと思って、今からその時が来るのを楽しみしています。

でも、こんなこと言っても子供としては全然ピンと来なかったりするんだろうなぁ。

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