見出し画像

家系ラーメンとAKIRA

時に芸術は、身体的快楽を上回る。

年齢を重ねてしまったアラフォーおじさんにとって、そんな芸術体験はもう二度と味わえないんだろうなと、郷愁に似た切ない気持ちになる。

映画、音楽、文学、絵画、彫刻、舞台。なんでもいい。
人間が作った芸術作品を体験して、世界がひっくり返るような衝撃を受けるというのは若者の特権だろう。

ただいま深夜の2時。
大友克洋監督のアニメ映画『AKIRA』を初めて観たのは、約20年前の深夜2時くらいだったと思う。

大学はサボりがちで、昼夜逆転の自堕落な生活を送っていた当時の自分。

起きている間は、当時契約していたケーブルテレビでMTVやらヒストリーchやらをボーっと眺めながら、ネットサーフィンしたり、本を読んだり、音楽を聴いたり、とにかく情報の海に溺れるような毎日を送っていた。

そんな時、アニメchでたまたま放映されていたのがAKIRAだった。

衝撃だった。

ただならぬ雰囲気のスタイリッシュな絵。
魔境にでも誘(いざな)われてしまいそうな民族音楽。
宇宙の真理に手が触れてしまうんじゃないかと思わせるテーマ性。
全く理解は出来ないんだけど、なんだかものすごいものを観てしまった、という読後感。

見終わったのは深夜の4時くらいだっただろうか。
何だか訳が分からない放心状態だったけど、とりあえず腹が減ったので朝まで営業している近所のラーメン屋まで、夜道をテクテク歩いて行った。

年の瀬に近い、12月だったと思う。
外のキリッと冷たい空気が気持ち良かった。
日中は車の往来で忙(せわ)しない国道の真ん中を歩きながら、夜空を見上げると星がきれいだった。

そうやって外の空気を吸って、AKIRAの衝撃で火照った体を冷やそうとするものの、やっぱり気になる。

「あれは一体何だったんだろう」と。

そして蛍光灯が眩しいラーメン屋で500円の濃厚家系ラーメンを食べて、満腹になって家路につく。だけどやっぱり気になる。

「あれは一体何だったんだろう」と。

家系ラーメンで腹を満たすという身体的快楽に満たされてもなお、頭から振り払うことのできないAKIRAの衝撃。

もしも願いがひとつ叶うなら、またあの若い頃に戻って、そういう心がざわつくような芸術体験をもう一度味わってみたいなあ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?