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『英語語源辞典』と活版印刷裏話

今回は『英語語源辞典』とちょっとした裏話のご紹介です。
『英語語源辞典』ですが、堀田隆一先生に「ゆる言語学ラジオ」、Voicyでご紹介いただいたのをきっかけに、読者の皆様からも新たな反響をいただいております。堀田先生には、たくさん語源辞典があるなかで「日本語で書かれたものでベスト」(場合によっては世界一)と評価していただいています。ありがとうございます。

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活版印刷裏話

この『英語語源辞典』、内容とは別にちょっと変わったエピソードがあります。実は、本辞典は研究社最後の活字で組版された辞典なんです(これ以降はコンピュータによるデジタルフォントで組まれています)。一般の方の利用が多い「縮刷版」も、元の大きな辞典の紙面をそのまま縮小しているので、活字の組版です。
今回、本辞典が再び脚光を浴びているのを機に、当時のお話を元研究社印刷社長の小酒井英一郎さんに伺いました。

サイズ感。真ん中が『英語語源辞典(縮刷版)』

滲まない活版印刷?

記事を書いている私は、10年ほど前に研究社に入社したので、活版には馴染みがありません。
そんな自分にとって、活版印刷というと、まず「文字が滲んでいる」イメージが浮かびます。ところが、本辞典の紙面をじっくり眺めても、現代の出版物と変わらず鮮明に見えます。

クリアに見える文字

この点について小酒井さんにお話を伺うと、「活版印刷だからと言って、必ずしも文字が滲むわけではない」とのこと。文字が滲むのは、粗悪な紙に印刷したときや、何度も版を刷ることで活字の鉛が磨り減ったときに起こる現象だそうです。しかも本辞典は、活字で一度刷った後はフィルムに焼いてオフセットで刷るという方式をとっているそうです。つまり、活字は一回しか使っていないため、文字が滲むわけがないのですね。
小酒井さんは、「ルーペで拡大すれば、文字の周りがデジタルよりシャープではないことに気づくかも」と仰っていましたが、肉眼ではなかなか違いがわかりません。

ジョバンニに代わるもの?

また、「活版印刷」といえば、私は『銀河鉄道の夜』のジョバンニも連想します。作品の幻想的なイメージも相まって、「活版」という響きにもなんとなくロマンを感じています。

ジョバンニはその人の卓子テーブルの足もとから一つの小さな平たいはこをとりだして向うの電燈のたくさんついた、たてかけてある壁の隅の所へしゃがみ込むと小さなピンセットでまるで粟粒あわつぶぐらいの活字を次から次と拾いはじめました。

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』(青空文庫

そこで小酒井さんに、「活版印刷って『銀河鉄道の夜』にあるように、使う文字を1字ずつ拾いにいくんですよね?」と尋ねたところ、「ワープロのようなもので文字を打つと、その通りに活字が鋳込まれて出てくる機械があった(活字自動鋳植機)」とのことで、便利な装置も使われていたようです。
一部自動化されていたとは言え、本辞典は和欧混じりで、アクセントや長音記号など補助記号たっぷり。イタリックもスモールキャピタルもスペースもそれぞれ個別の活字……。組版は途方もない作業に思えます。
本辞典製作の頃は研究社印刷においてちょうど活版からデジタルへの過渡期だったそうで、手間のかかる本辞典を活版で作り上げたのには、辞書特有の作業期間の長さの問題も絡んでいるようです。つまり、辞書作りには年月がかかるため、一旦活字で組み始めると、途中でデジタル化の波が訪れても、刊行まで活版印刷で通すしかなかったのです。
本辞典の「まえがき」によると、企画依頼が1980年、最初の編集会議が1981年で、1997年刊行。つまり、17年近い年月をかけて編纂された辞典であることがわかります。

研究社印刷の工場にあった活字の棚

他にも、活版印刷は保管場所をとるとか(本辞典は1700頁近くあります)、1頁の版が10キロくらいあって重いとか(大量の活字=金属が載っているので)、色々と現実的なお話を聞いて、ロマンばかり抱いていた活版印刷も少しイメージが変わりました。
ちなみに使用した活字は、本が刷り終わったら全部溶かしてしまうそうです。せっかく苦労して組んだのにもったいない気もしますが、そうしないと保管場所も文字も足りなくなるとのことです。溶かされた活字は、また他の本の活字に使用されたとか。生まれ変わる活字、良いですね。

『英語語源辞典』の原版


気軽に引いてみよう

紙の辞書の魅力として、探していたわけでもない語をたまたま見ているうちに思わぬ発見があることが挙げられますが、本辞典もぱらぱらめくるだけで色々な出会いと発見があります。

『英語語源辞典』の serendipity の項目

単語や表現にまつわる逸話、昔の風習、伝説や神話などに関する記述も興味深く、お目当てでない語を読み込んでしまうこともしばしばです。                

神話とのかかわり
単語や表現にまつわる逸話

言語名やシェイクスピア作品などの略称が多いので、最初は読みにくいかもしれませんが、使用しているうちに徐々に慣れていきます。専門家の先生方にもご愛用いただいている辞典ですが、一般読者の皆様も気軽にめくってみてください。身近な動物や植物なんかも面白いですよ。果頂部が「へそ(navel)」の形をしているからネーブルオレンジ(navel orange)だとか、ブドウ(grape)のように実が房状になるからグレープフルーツ(grapefruit)だとか、納得感があります。

最後に

長い年月をかけて編纂され、当社では活字で組まれた最後の辞典となった『英語語源辞典』。紙の辞典ならではの「偶然の出会い」も楽しんでいただけることと思います。
ぜひ図書館で閲覧したり、余裕のある方は購入してお手元に置いていただき、英語学習や英語史・語源を楽しむときのお供としていただけますと幸いです。

寺澤芳雄(編)『英語語源辞典(縮刷版)』▶Amazonへのリンク

(文責:編集部 N. A.)


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