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二度ブレイクした男


高校在学中にオール巨人に弟子入りした。
 
しかし、兄弟子と喧嘩をし相手にケガを負わせてしまったため巨人から謹慎を言い渡された。
 
 
その後、無断で巨人の元を離れた彼は地元の同級生を誘い上京した。
 
 

「進め!電波少年」のヒッチハイクでユーラシア大陸を横断するという企画で話題となり一気にブレイク。

帰国後にはCDや著書が爆発的な売れ行きを見せた。
しかし、お笑いの方では思うような結果が出ずほどなくして人気は低迷。
仕事は激減した。
それから7〜8年間は広島のローカル番組の出演以外は仕事はなく、ほとんどの時間を家で過ごしていた。
 
最高で2000万ほどあった月収は8万円ほどになり、ひどいときは0円の月もあった。
 
彼は当時のことを
「ブレイクしたことで天狗になっており、人からはあまり好かれていなかったようだ」
と語っている。
 
 
30歳のときにコンビを解散
ピン芸人として活動を始めた。
 
この頃から「内村プロデュース」に度々出演するようになり、リアクション芸で成果を収め、復活のきっかけを掴んだ。
 
 
その後、アメトーークに出演した際に品川祐に対し「おしゃべりクソ野郎」とあだ名をつけ爆笑を誘い、以降は毒舌芸人として人気を得ていく。
 
 
今ではキー局全てでレギュラー番組を抱え、
年末に発表される「テレビ出演本数ランキング」には毎年上位に名を連ね、
国民的な人気タレントになっている。

 
 
 
 
彼の名前は、

 
 
 
有吉弘行

以上、「二度ブレイクした男」でした。

※この記事は彼の半生の極一部を抜粋して書いたものです。

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