Ⅴ 再構築
「アイリス。大丈夫よ」
優しい声が、聞こえた。そして、刃は止まっていた。私の首のすぐ横で。
「ひ……う……」
「『花の』往生際が悪い」
「まだやり残したことがありますから。アイリス。少し複雑になるわ。ただ、従って。大丈夫。お母さんに任せて」
「う……うん……」
「復唱要求。『我、メルクリウス・トリスメギストス【反転の大地】よ。来ん』」
「わ、われ……『我、メルクリウス・トリスメギストス【反転の大地】よ。来ん』」
いつのまにか私の手にはメルちゃんの杖が握られていて。蛇が、翼が強く光り輝く。
もうひとつのマリーゴールドのお母さんが表れた。
「アイリス。続けます。復唱要求。『【真実のマリーゴールドとしてのマリア・フローレンス】の銀。元の形へと戻ることをカドゥケスを通じメルクリウスが許可する』」
「『【真実のマリーゴールドとしてのマリア・フローレンス】の銀。元の形へと戻ることをカドゥケスを通じメルクリウスが許可する』」
「愚か者めが」
エスが、恨みを込めた表情でそう言った。次の瞬間。お母さんの周りにあった花たちがすべてはじけ飛んだ。散りじりに飛んでいく花たち。隧道、クライミングローズもすべて。そして、私はまた空に放り投げられた。
「ひゃぁぁぁぁ!」
「ったく! 母娘(おやこ)揃って世話の焼ける!」
おばあちゃんが私を抱き上げてくれる。さっきよりも、おばあちゃんの力を強く感じた。
「アイリス、マリアを助ける!」
「うん!」
「えぇい! ままよ! アイリス! 復唱要求。『【反転の大地】としての銀。その姿真実也。そして定義する【反転の大地のマリーゴールドのマリア・フローレンスは〝偽りのマリア・フローレンス〟】である』」
「『【反転の大地】としての銀。その姿真実也【反転の大地のマリーゴールドのマリア・フローレンスは〝偽りのマリア・フローレンス〟】である』」
私がそれを唱えると【反転の大地】がどろりと溶けて。空の底に落ちていった。そこに残ったのは、もうひとつのマリーゴールドとしてのお母さん。本物と偽物。私には区別がつかなかった。
「続ける! 復唱要求『我、花の錬金術師に代わり命ず』」
「『我、花の錬金術師に代わり命ず』」
「『花として花。それらは、食い潰し自らを増やすもの也』また『豊穣、祝福せん』それらを【真実のマリーゴールドとしてのマリア・フローレンス】へと帰せ」
「『花として花。それらは、食い潰し自らを増やすもの也』また『豊穣、祝福せん』それらを【真実のマリーゴールドとしてのマリア・フローレンス】へと帰せ」
空の底に落ちていく花たちがピタリと止まり、すごい勢いでお母さんの身体へと入っていく。肌を、目を、耳を、足を。ありとあらゆるところから、無理矢理押し込まれていく。お母さんの身体の何倍、何十倍、何千倍もの花たちが入っていくのに、そのからだは大きくならなくて。苦しそうなのが見ていて、すごくつらい。
「おかあ……さん……」
「まだ、まだだ……あと数十秒……」
おばあちゃんが祈るようにお母さんを見ている。
私はその時不思議な声を聞いた。強く、重く、痛く、残酷な声。
「『妖樹として妖樹。我が名はエス也。対象を指定する。マリア。マリア・フローレンス……」
「おばあちゃん!」
「なんだい! うるさいね!」
「えっと! エスさんがヨウジュなんとかって言ってる!」
「まずい! 『枝の』阻止を!」
「はいはぁい。お慕いしておりましたわ『木の』。願わくば、来世でも会わんことを」
「っ……すまぬ……」
「あなたのためなら。慶んで『枝として枝。私の存在を捧ぐ。対象代入、マリア・フローレンスにおけるエスの呪々を我が身に』」
「――に対し木々の裂け目を』っ……下衆が!」
その瞬間『枝の』と呼ばれた人が、たくさんの枝に割けて、落ちていった。今まできれいな人の形だったものが本当に、ただの。枝に。
「ひっ……」
「……拾ってやりたいが。叶わん。花々の還元が終わった。もう少しだ! へばるんじゃないよ!」
「は……はひ……」
「『【真実のマリーゴールドとしてのマリア・フローレンス】の銀。元の形へと戻ることをカドゥケスを通じメルクリウスが許可する』」
「『【真実のマリーゴールドとしてのマリア・フローレンス】の銀。元の形へと戻ることをカドゥケスを通じメルクリウスが許可する』」
そうすると、お母さんの下半身を覆っていたマリーゴールドがするすると小さくなって。元の形。お母さんのキレイな足に戻る。
「ここからは、私の役目だ」
「ここから……」
「繰り返さなくてよろし!」
「ひゃいぃ!」
「木の錬金術師として命ず……」
ここからは、私はおばあちゃんの背中にしがみついて見ているだけだった。
お母さんを木の塊みたいなものが包んで。おばあちゃんの力が、エスさんよりも強く、けど優しくなった。お母さんを取り囲んでいた錬金術師達を四角い木の箱で閉じ込めて。次は、もうひとつの【偽りのマリーゴールドのマリア・フローレンス】にさっきの術を唱えると。瞬く間に大きな木になった。生い茂った緑の葉。みずみずしい枝や木の表面。これが、本当の世界樹なんだ。無知な私でも感覚で理解した。
そしてその世界樹から大きな雫が落ち。空の真ん中。世界樹の下に水たまりを作った。その水たまりの下から突き出るようにして根っこがにょきにょきと伸びて。大地ができていく。そしてそこには、私たちの世界でも見たような動物、たくさんの木が育っていった。ただ、お花だけがなかった。でも、それ以外はまるで一つの世界そのもので。私はその全部をただぼーっと見ていることしかできなかった。
そう思ったのだけれど……。
「っ……」
「おばあちゃん! だいじょうぶ!?」
「……大丈夫だよ。アイリス。最後はお前だ」
「えぇ!?」
「詠唱を」
「そんな……わかんない……」
「分かるはずだ。心に問いかけなさい。存在に問いかけなさい。お前は『虹の女神』そのすべてを祝福せしもの、だ」
「……」
考えてみるけれど。分からなくて。でも、お母さんも木の中。ケレスも、クララさんも、メルちゃんもいない。
私は、ひとりぼっちだ。
『あなたはひとりではないわ。私はいつもあなたのそばに』
私の頭の中に声が響いた。それはそれは、とても温かい。それでいて、懐かしくて。でも、悲しい声。
『ねぇ。私の愛おしい子。私はあなたを育ててあげられないの。お母さんを恨まないで、そう願うのはあまりに身勝手だから。新しい世界でただ、朗らかに生きてほしいの。大丈夫。マリアも側にいるわ。私と違ってあの子はあなたの側に。真愛(まな)。私の真愛。あなたの名前の由来は……』
「アイリス! 早うせい! 完成してしまう!」
「うん……『虹として虹、我祝福せん、そのすべて。世界。虐げられ、行き場を失った花々よ。汝らに住まう場所を与えん。然らばその芳香、然らばその佳景、ただ悠然と。我、祝福せん。我、祝福せん』」
世界樹の麓に花が二輪咲いた。お母さんが好きなお花。マリーゴールドとカーネーション。どうしてか分からないけど。涙が止まらなくて。聞こえた優しい声、私はその声に帰りたい。詠唱が終わって、おばあちゃんはお母さんを包む木をほどいた。世界樹に入るときみたいにきれいな身体、だった。
「マリア。無事か」
「なん……とか、ですわ」
「お前の子はうまくやったよ」
「えぇ。本当にね。よくやったわ。アイリス」
「おばあちゃん……? おかあ……さん……? わたし……なにしたの……?」
「今は、理解できなくてもいいわ。仕上げ、ですね。『花として花。【母なる自然】を有した花の錬金術師、マリア・フローレンスが定義する。あなたたちよ=私たちよ。母よ=子よ。小さな命の始まりよ。世界樹の麓で育ち、新しき子らを産みなさい。その場所は、何にも穢されることのない。唯一、あなたたちの地である。禁断の果実も、唆す蛇も存在せぬ。あなたたちは肋骨から産まれず。虹の女神から産まれたものである。故に人はあらず、史実にある妖精もここにはあらん。神もあなたたちに関せず。あなたたちはただ花であり、木であり、自然である。あなたたちは、私たちである。ただ定義せん。これは【花と木と虹】の名の下に永遠であり、不可侵である』」
お母さんの優しいその言葉を聞いて。私は目を閉じる。
これまでのことは、きっと夢だった、そう思うほどに、私は疲れて眠ってしまった。
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