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八作目 十八回目の紫陽花の季節 実姉妹百合アンソロ①

「茉莉ちゃん。少しアンニュイな表情がほしいな」
「アンニュイってなに? わかんない」
「あ、うん。その表情、いい。そのまま、そのまま……」
 
【11回目の紫陽花の季節】
 
 ささやくような小さな声で、私に指示を出す姉。
 彼女は、とてもしとやかな人でした。容姿が整っていて、しかもそれでいて身なりには気を遣う。自分が被写体になればいいのにと思うくらいに美人なので聞いてみたのだけれど、本人曰く。
「モデルさんは、いつも撮られるためにきれいにしてくれるから。それなら私も」らしく、そもそも自分が写真に写るという発想がないようでした。
 まるで俳句でも詠むかのように写真を撮る人でしたから。彼女の作品はどこかノスタルジックで情緒的。現代の写真作品の傾向から見るに「淡すぎる」映し方をする人でした。
 つまり、目立たない。誰にも目を向けられることもない。霧(きり)霞(がすみ)のような作品が多いのです。自身も影が薄く。友だちといるところを見たこともありません。それもそのはずで。彼女の人生のすべてが写真のために費やされていましたから。
「それでも、不満たらたらな私よりはましなんだろうな」
 そう思いながら姉に付き合っていました。
 いつもは物静かに写真を編集しているような人なのですが。
 雨が降ると、花のような笑顔を浮かべるのです。
 特に紫陽花の季節は、姉はあからさまに意気揚々としていましたから。
 雨具を着せた一眼レフと私をつれて。
 散歩に出かけては他人様の軒先や公園へと連れ回されるのです。
 何枚も、何枚も写真を撮りました。姉は現像も好きなようで。姉妹部屋の壁。私の写真がコルクボードに何枚も張ってありました。それを、何度も何度も撫でて。愛おしんで。それはこちらが恥ずかしくなってくるほどでした。
 しかしそれもずっと続くわけではありません。
 私が思春期になると、家族といっしょにいる時間がわずらわしくなり。
 私と姉の撮影会は終わりを告げました。
 当時、姉が高校生。私は小学生でした。月日が経ち、大学生と高校生に。当然です。私も、多感な時期ですから。休みの日や学校帰りに姉についてこられては、たまりません。
 美人の姉と比べられるもの、苦痛でしたし。
 それを告げると。
「そっか……茉莉ちゃんがいやなら。しょうがないね」
 そう言ってほほえみました。
 なんとも悲しい、けれど美しい表情でした。額縁に飾りたくなるほどに。
 
【16回目の紫陽花の季節】
 
 姉の写真は紫陽花だけになりました。すると、姉の作品にはどこか哀愁が漂うようになり。皮肉にもそれが賞をもらったりしていましたから。ひねくれた私はよりいっそう姉と距離を置くようになりました。
「やっぱり、私なんてお姉ちゃんにとってお荷物でしかないんだよ」
 そう言ったら、また悲しそうにほほえみました。
 最後だと思い、目に焼き付けました。
 頭の中で現像しようと思いました。
 でも、そんなことは出来るはずがなく。
 フィルムの劣化のように、忙しい高校生活のなかで姉のことを気にしなくなりました。
 私が就職する頃には、姉はブライダルフォトの仕事をしていました。大学時代に学んだ映像メディア科の技術を生かすそうで、姉にとって天職だと思いました。
 誰しもがそう思っていたのですが、本人はそうではなかったようです。
 いつしか姉はカメラを持たなくなりました。
 なぜなら、姉は不器用でした。姉には、カメラしかなかったのです。
 私はその逆で。何事もそつなくこなし、特に何の問題もなく事務仕事をこなしていました。美人過ぎず、とっつきやすい感じも良かったようです。妹だからでしょうか、先輩にも好かれやすかったです。
 そしていつしか姉は、家にこもり。私と紫陽花が写った写真をながめながらぼぅっとする日々が続きました。両親は姉に近づきませんでした。接し方が分からなかったのか。私の知らないところでなにかあったのかは、わかりません。ただ近づかなくなったのです。
 
 ですから、私が動くしかないのです。
 
「お姉ちゃん」
「ん……なぁに」
「写真。撮らないの」
「……どうして」
 ――どうして。
 私にとって、姉という生き物は写真を撮るものだと思っていましたから。
 問われても困ります。
「だって、ずっと写真見てるじゃん。撮りたいのかなって。ほら。紫陽花。もう咲いてたよ。西公園の近くとか。南さんのお宅の庭とか」
「もう、いいの。撮りたいものがなくなっちゃったから」
「お姉ちゃんの撮りたいものってなに」
「紫陽花」
「だから、紫陽花、もう咲いてたって。撮りに行けばいいじゃん」
「それだけじゃダメなの」
「はぁ……」
「ごめんね。茉莉ちゃん」
 なんで謝るんだろう。
 私も両親と同じでした。カメラを構えていないお姉ちゃんとの接し方が分からなかったのです。だってお姉ちゃんは、私が物心ついた頃からカメラを持っていたから。
 最初はちっちゃいおもちゃのカメラで。次は画素数の低いデジタルカメラ。私が小学生になってから、ぐらいだと思います。ちゃんとしたカメラを使ってたのは。
 ――大事にしてたじゃん。毎週レンズを拭いて。ほこりの掃除をして。大切にしてたじゃん。それが、なんで? なんでいっしょじゃないの。お姉ちゃんと、カメラはいつもいっしょだったじゃん。まるで、私たちみたいに。
「撮りたいものって、なに」
「茉莉ちゃん、いじわるしないで。紫陽花が、撮りたいの」
「だから!」
 私は、机の隅に置いてあったミラーレスとお姉ちゃんの手を引っ張って外に出ました。

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