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第三章 木と花と賢者の石と  Ⅰ 木の錬金術師ダフネ・ローリエ


「おばあちゃん?」
「えぇ。厳密にはそういう続柄でもないのだけど。でもあなたにとってはそうね」
「どんな人かな。やさしいひとだといいな」
「ふふ。私のお師様だから、優しいわよ」
「そっかー!」
「いっしょに行く?」
「うん!」
 そろそろ外も暖かくなってきて。ほわほわと花の香りが舞うころ。『光挿す部屋』で私は花冠を編んでいた。シロツメクサでできたこれは、お友だちにあげようと思っていたんだけど。せっかくだからおばあちゃんにあげようかなぁって思いながら。どんな人か、想像する。
 きっと、お母さんのお師匠様だからきっとキレイなんだろうなぁ……。
 絵本に出ていた妖精のお姫様、ティターニア様みたいに可憐でふわふわで……お花たちに囲まれて。きっと私の頭をなでてくれるんだろうなぁ。
 そんなことを思っていたのだけど、おばあちゃんの声を聞いて、花冠はぱさぁっと床に落としちゃった。
「なにをしにきた。このバカ弟子!」
「そんな邪険にしないでください『木の』」
「じゃかぁしいわ! 気安く呼ぶでない! お師様と呼べ!」
「ふふふ。はぁい」
 しわしわのおばあちゃんが大きな声でお母さんを怒鳴りつける。私は、お母さんのふとももにしがみついて横に隠れていた。こわい……。
「それで、なに用じゃ。禁忌の子を連れてきおって。木々がざわめいておるわ」
「お師様にお手伝いしていただきたいことがありまして」
「お前がそう言うときは碌な事にならない」
「ふふふ。そうですねぇ。以前もラフレシアを探したときは大変でしたものね」
「あぁ……懐かしいのぅ。身体から匂いがぬけんくなっとったな。あれは笑った」
「お、おばあちゃん、うれしい? おかお、かわいい……」
「ふふふ。そうなのよぅ。お師様はツンデレなだけだから」
「つん……?」
「怒っているように見えて本当は……」
「うるさいよ! 早く用件を言い!」
「うふふ。はぁい。端的に申しまして」

「世界樹へ入ることを許可してくださいまし」
 
「……ならん」
「私はお師様が許可しないことを、認めません。必要なことですから」
「世界樹でなにをしようというのじゃ」
「再生のお手伝いを」
「ならんぞ。それだけは、ならん。現在世界樹は衰弱しておる。前時代の環境汚染。大地の清浄のため、しゃかりきに動いたせいじゃ。刺激してはならぬ。お前ごときが、干渉してよいものでは……」
「『マリア・フローレンスとして命ず。百花繚乱、祝福せよ。満たせ空の心』」
 お母さんが唱えると。生い茂った木々の表面が花で覆われていく。昔、和の国で咲いていたという和花たち。牡丹、椿、梅、桜。なにもない空間から花だけが開いては落ちて舞い、香りに包まれる。その中で凜と立つお母さん。とても美しかった。
「な……お前……」
「お師様。私も学びました。腕を磨きました。あなたとは別の道を歩みましたが、私は私として。『花の』としての権能があります。信用なさってください」
「はぁ……お前の権能への信用など、禁忌の子を産んだころに済ませたわ。馬鹿者が」
「ふふ。うれしい」
「故に、お前を失いとうないのじゃ。それに、忌み子を残しておくな。保険なのじゃろ、お前になにかあったときのための」
「え……」
「そんなことはありませんわ。ただ、少しの間。預かってほしいのです。世界樹の中で、この子を守ってやれる自信はありません」
「ならば行かせるわけにはいかん。子ひとり守れぬ者は自らも守れん」
「ですが、帰ってこないつもりもありません。勿忘草に誓って」
「はぁ……儚げに見えて、止めてもきかん頑固頭。相変わらずじゃの、マリア」
「恐れ入ります」
「よろしい。木だけに、折れてやろう。禊ぎじゃ。こちらも準備がある。丁寧に、な」
「えぇ。お願いします。お師様」
「お母さん!」
「どうしたの? アイリス」
「えっと……」
「大丈夫よ。必ず帰ってくるから」
「う……あ……う……」
「ふふ。おばあちゃんも優しい人だから。安心して」
「はぁ。任されたからには、やってやるさね」
「で……でも……」
「……本当は『連れて行って』って言いたいのでしょう」
「う……。バレてる……」
「ふふふ。あなたのことは何でも分かるわ。なんでも。なんでも……ね……」
「帰ってきて、くれなかったら……その……れ、レーズンしか食べないから!」
「ふふ。それは大変。アイリスが大きくなれなくなっちゃうわね」
「うん。だから……」
「えぇ。必ず帰るわ。良い子ね。アイリス、大好きよ」
 お母さんは身につけていたものをぜんぶ、私にくれた。キレイな、身体。髪についた花たちはいつもよりも大きくて。それは、お母さんの力がいつもより大きいっていうこと。
 木の上をお母さんが歩いて行く。歩いたところからも、かわいい花たちが咲いていく。私たちがいるところはぜんぶが木でできているから。土じゃなくても咲くのが不思議だった。
「あれは、誇示じゃ」
「こじ?」
「この木々はわしの魂であり、存在の根源。すべての木は、わしじゃ。それに花を咲かせるということは、木の元素体系における錬金術師としての格を超えているということの証明。それは、この場所の主導権をあれが担うという事じゃ」
「そう、なんだ……?」
「ほっほっほ。お前さんにゃ、難しいの。まぁ、見ておれ」
 光が差し込むまるい空間で立ち止まって。お母さんの真っ白な身体が、くちなしみたいできれい。ほほえんで、私を見ると、クライミングローズで天井の木をなでる。どろりと蜜のようなものが垂れ下がってくる。お母さんは腕を広げてそれを受け入れて。気持ち良さそうにそのほほえみを蜜にひたした。
「おぼれないの?」
「そうじゃな。呼吸という概念から外れておるからの……というか、黙ってみておれんのかお前は」
「あ、ごめんなさい」
「よい。普段は木々が生長する音しか聞こえぬ。たまには、騒々しいのも悪くはない」
「……うん」
 垂れてくる蜜はそのままで、お母さんはその場で舞った。
 すごく、きれいだった。キラキラと輝く蜜が細い糸のように薄い衣のように広がって。なにか、絵のようなものが足下に描かれていく。舞が終わると、お母さんはその場で止まって。眼を開いた。いつも権能を使う時、目の中に花が光るけれど、今はその花がなんの花かわからないくらいに、輝いて。足下の絵もいっしょに光って。
 お母さんは花で服を創った。見たことがないくらいにキレイなお花のドレス。白のアヤメみたいな、花。私のピアスと似ていた。今度は歌っていた。いつもの子守唄とは違う。なにかを覚悟したみたいな、しっかりとした声。そして、おばあちゃんもしわがれた声ではなく。きれいな澄んだ音で歌う。
「『我は認められし者』」「『我は認めし者』」
「『我は願う、その根を開かんと』」「『我は赦す。その根を開くことを』」
「『我マリア、マリア・フローレンス』」「『其マリア、マリア・フローレンス』」
 
「『同時にメルセデス。世界樹よ。あなたのための恩恵の女神である』」
 
 その言葉を聞いたとき、おばあちゃんは杖を投げ出して走り出した。
「マリア! それは赦さないよ!」
「『受け容れ給え。我は、汝を治す者也』」
「マリア!」
「ごめんなさい。お師様」
 悲しそうにほほえんで。お母さんは消えてしまった。残された私たち、おばあちゃんはその場で大きく地面を踏んだ。すると、木々たちが大きくうねって、私を縛り付けて壁に押しつけた。
「ぐっ……」
「お前さえいなければ! あの子は木の錬金術師として私を超えていたはずだった! こんな愚かなことをするような子ではなかったのだ!」
 腰の曲がったおばあさんだったおばあちゃんがみるみる若返っていく。長い、髪。肌は白いのに、髪の毛や瞳、服も薄い緑色。葉っぱでできているみたいだった。ただ、そんなことを考える余裕もすぐになくなっていた。息が、できなくて。とても苦しい。
「やめ……て、おばあちゃ……」
「っ……!」
 声を振り絞ると、おばあちゃんは離してくれた。苦しくて、痛くて。咳き込んでいるとぎゅっと抱きしめてくれる。お母さんに似て。温かい。ひなたぼっこをしているときみたいに、気持ちよかった。
「はぁー……はぁ……」
「私の葉の食いちぎって香りを嗅ぎなさい。少しは安らぐから」
「ん……ぁ……はぁ……」
「アイリス。生きているお前に罪はない。だが、産まれてきたことが罪なのだ……」
「ん……」
「マリアは、あの子は、とんでもない事をしでかそうとしている」
「な、に……しようとしてるの」
「世界樹を修復し、つまりはユグドラシルを【母なる自然】として得ようとしている」
「……わかんない」
「アイリスには難しいか【母なる自然】とは、五元素のうちの『木』に属する賢者の石のひとつ」
「それでなにするの」
「アイリスの腹の中で原初の種を培養させるための素材のひとつだよ」
「私の……ため……」
「あぁ。あの子はいつも、お前たちのために生きているよ」
「たち……?」
「聞いてないのか」
「うん」
「アイリスの原初の種はもともと、あの子が愛した女の命から創られている」
「え……」

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