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『グッドアイデア』

小学校の下駄箱って、やっぱちいせぇな。
懐かしい昇降口をちらっと覗き、校舎のわきをぐるりとまわる。
埃っぽいグラウンドの中央には、高さ六メートルはありそうな竹のやぐらが組みあがっている。
「名前のご記入をお願いしまーす」
受付の人に声をかけられ、[生徒ご家族・六年二組]に名前を書く。と、エプロン姿のおばちゃんがびっくり顔でオレを見た。
「かっちゃんのお兄ちゃんの智己君よね? まぁ大きくなって」
 う。このおばちゃんだれだっけ? ええと顔は分かるんだよ顔は。でも名前が。同じ登校班のたしかあのメガネの泣き虫の……。
「うちの子の二つ上だから、もう高校生よね?」
「あ、はい。高二です」
 たぶんあの子の親だろう、と顔と名前が一致しないまま愛想笑いで答える。
「はやいもんねぇ。じゃあ今年受験生じゃない。がんばって」
 おばちゃんは、オレの三倍くらいの元気と笑顔で団子の引換券を渡すと、ぴしゃりとオレの腕を叩いた。
 まだ一月半ばだってのに、世間一般では受験生……なんだよなぁ。
 せっかくの土曜日。朝から、どんど焼きなんて来るんじゃなかったか。

 かっちゃんこと、川田克己はオレの弟だ。
「お兄ちゃん、明日は絶対来てよ。ぼく『火の神』なんだ」
 昨日の夜、克己が手作りの王冠みたいな物を見せて、しかもジャンケンで勝ち取った役目らしく、ものすごく興奮していたからしかたなく来てやったのだ。
 どんど焼きは、うちの小学校ではおなじみだけど、実はけっこうめずらしい行事なんだと卒業してから知った。正月のお飾りや書き初め、だるまなんかを青竹で組んだやぐらで焼く。今年の抱負を書いた紙も一緒に燃やす。煙が空高く上がるほど、願いが叶うらしい。最大のお楽しみは残り火で焼く団子だ。これがウマい。しかもこれを食べると、一年間病気知らずって噂だ。
「智己は受験生だから、今年はぜったい食べとかなきゃ。ついでにお父さんの分も、もらって帰ってね」
 これが終わればPTAもお役御免だわーと張り切っている、行事係の母にそうことづかっているので、まぁ断わるわけにもいかず。
 久しぶりに、団子を食べたかったからいいんだけど。

校庭のそこここで、ワイワイと押しくらまんじゅうが勃発し、親たちがカメラを向けている。重そうなバケツを運ぶ先生たち。校庭の隅っこの砂場では、赤ん坊をつれた母親たちが話に花を咲かせ、鉄棒にはザ・幼稚園児ってかんじの子たちがサルみたいにぶらさがっている。

「もうすぐ開会式です。火の神は朝礼台に集合してください」
 アナウンスのあと、三人の火の神が走り出てきた。
 ん? 克己のやつ明らかに着ぶくれしてるぞ。
 ああ分かった。燃えやすいからフリースはダメだって、コットン素材の服を母さんが重ね着させたんだな。たしかに今日は寒いけど、あれはちょとやりすぎじゃないか? 元からぽっちゃりしている弟は残念なことに、けっこう上手くできた冠とマントを差し引いても、火の神というよりまるまる太った王様に見える。

「点火!」
 火の神が、メラメラと燃える松明で、せーので火をつけた。

 バチバチバチッ パチパチ
 乾いた藁に勢い良く火が回る。
オレンジ色の大きな炎が、あっというまにやぐらを包む。
 黒い煙が立ち上り、書き初めの半紙がひゅうっと高く舞い上がった。
 おおー。
 大人と子どもの歓声が、混ざっては消える。

 母さんの司令通り、点火の瞬間をスマホにおさめ、とたんにオレはひまじんになった。団子が焼けるまでとくにやることもない。周りを見ても、じゃれあっているのは中学生ばかり。同級生の姿は見当たらない。兄妹がいなければ、わざわざ来ることもない行事なんだろう。オレ自身、卒業してから初めてだ。家が近ければ一旦帰りたいところだけど我慢することにした。
 だれか知ってるやつ、来てるかな。
 ちょっと探してみようかと思って、やっぱりやめた。小学校も中学時代も、心底会いたいやつはいない。
 高校生になって、学校って楽しいもんだと思えるようになった。
 どうも、小学校も中学校も自分には合ってなかったんだ。克己はすごく楽しそうだけど。オレは、いろんなことが正直息苦しかったのだとようやく気づいた。小学校って「みんな、なかよくしましょう」が当たり前で、「みんなで一緒にがんばろう」がもれなくついてくる。ペースを乱すやつ、どんくさいやつは迷惑って空気だった。わざとペースを乱しておもしろがるやつは別にどうでもよかった。でも、どんくさいやつは、どうがんばってもどんくさいものだし、急には変われない。そんなの小学生のオレにだって分かってた。なのになんで先生は、みんなの足並みを揃えようとするのか理解できなかった。オレ自身は迷惑をかける側には入りたくなかったから、仕方なくペースを合わせてたんだ。
 そうそう。「みんなで一緒に」と同じくらいヤな言葉がもうひとつ。
「だれでもひとつは、他の人より優れた力を持っているものです」
 これって聞こえはいいんだけど、オレのクラスの場合、担任がきまってひとりの生徒の名前をくっつけて使うから最悪だった。
「俊太君は、絵が上手ですね」
 山崎俊太。
 あいつの絵が、オレは好きだった。上手いとか下手とか関係なく。なのに先生がその言葉をセットにするから台無しだった。おまけに、そういうノリにはがぜん同調する女子がいたし、中には理解者を装って優しいアピールをしているふうにしか見えないやつもいた。
 あいつ、嬉しかったんだろうか。あんなふうにほめられて。
 たいていぼんやりしか思い出さない俊太の顔が、小学校のグラウンドなんかに居るせいか久しぶりにクリアに浮かんだ。
いつもひとりで居たあいつ。猫背で大きい音が苦手で、よく両耳をふさいでた。どもるといじられて顔を真っ赤にしてたけど、泣くのはぐっと我慢してた。
 みんなもっと、そうっとしておいてやれよ。
 オレはずっとそう思ってた。
 今思うと、オレってけっこう卑屈だったのかも。だって、先生がクラスをまとめるために俊太のことをダシにしているようにさえ見えていたから。だから面倒くさくて、できるだけやつのことを見ないようにしてたら、そのうち自然と視界に入らなくなったんだ。
 俊太のこと、キライじゃなかったのに。
 いかん。考えるのやめよ。
 ひさしぶりに思い出したのは、どんど焼きの煙を吸ったせいだ。
 だいいちさ、小学校を卒業したあと俊太が同じ中学にいないことすら、一年間まったく気づかなかったじゃないか。
だよな、と自分の心の声に相づちを打ちつつ、ポケットからスマホを取り出した瞬間、
「危ないから、さがってくださーい」
と、大人の声が聞こえた。
 注意をされているのは、大きなカメラを抱えているダッフルコートの男。ぼうぼう燃えるやぐらの火に近づきすぎて注意されている、学生らしき姿。
オレは目がはなせなくなった。
 厚いレンズの眼鏡をかけた、猫背のねぐせ頭。
 こいつ……。
 一瞬、背筋が冷たくなった。
 ゲームの一場面みたいに、オレの頭に文字が浮かぶ。

 やまざきしゅんたがあらわれた
 こえをかける
 だまってたちさる

 浮かんだオレの選択肢はふたつで、二つ目を選ぼうとした瞬間、やつはオレの方を見た。
 口元が動く。
「かわだ……くん?」

一瞬、回れ右をして逃げようかと思った。
 でも俊太がこっちを見てるのに、さすがにそれはできない。
 やつは、笑顔とふつうの中間くらいの微妙な顔で近づいてくる。あと少しで声が届く、というところで、
 ボンッ
 やぐらからものすごく大きな音がした。俊太はあわてて両耳をふさぐ。
 ああ、こいつ。ほんとかわってねぇ。
 目の前の、眉根をよせた顔が小学生の俊太に見えた。
 オレは自分からやつに近づいた。
「ひさしぶり」
 オレがいうと。
「ひさしぶり」
 俊太は笑顔になった。
「さっきのバンって音、デカかったな。あれってなんの音なんだろうな」
 あたりさわりのないセリフがオレの口から出る。
「ええと、竹の、ふ、ふしの」
 少しどもった俊太の顔がくもる。でもその瞬間、
 ちょっと待ってて
 みたいな妙なポーズをして、コートのポケットからスマホを取り出す。
 ちゃちゃっとなにかを入力して、
「これ」
とオレに見せた。メモの画面には、
――竹の節の間にある空気が暖まって膨張して破裂するときの音らしいよ。五年生のとき山田先生が理科の授業で教えてくれたよね。ぼく山田先生はけっこう好きだったんだよ。先生元気かな。
 オレは驚いた。たった五秒かそこらで、この文字ぜんぶ打ったのか?
「お前、めちゃくちゃ早いな。入力」
 俊太はうん、と頷くと
――あいかわらず人としゃべろうとすると今も口がうまく回らないんだよね。でも決して話したくないわけじゃなくてさ。高校に入ってスマホ買ってもらったんだけど、同じクラスにやっぱオレみたいなヤツがいて慶太っていうんだけど、フリック入力教えてもらった。そいつとはいっぱいしゃべりたいときはこの方法なんだ。文字打ったほうがラク。速いしちゃんと気持ちが言える。
「すげえな!」
 画面を向けられたオレは、自分でもびっくりするくらいの声を出していた。俊太はそんなオレをみて、うれしそうな顔をする。
――お母さんは、ちゃんとことばで言いなさいってすごくうるさいんだけどね。
と画面をオレに向ける。
「お前って、実はおしゃべりだったのか」
――どうなのかな、そうじゃないかも。でも今はたぶんそう。
と、またオレに画面を向ける。さらにものすごいスピードで、大量の文字を打ち続ける姿を見て、
「ちょ、ちょっと待てよ。お前LINEやってる?」
 オレたちはお互いを登録した。
――そういえばお前って、引越ししたんじゃなかったの?
 オレが打つ。
――え? 引っ越し? ああ小学校の卒業前に家建てて引っ越したから中学の学区が川田くんとは違ったんだよ。ぼくは南中。
 瞬時に返ってくる。さっきみたいに、いちいち画面を向けられるよりかは、よっぽどスムーズだ。
――なんだ。近くじゃん。
――うん。ところで川田くんは高校どこに行ってるの?
――桜丘。お前は?
――泉田総合。ちょっとおもしろい高校で、毎日同じ時間に登校する必要がないんだ。高校中退の大人なんかもけっこういる
「へえ!」
 また思わず声が出た。
――部活なにかやってる?
俊太がたずねて俺が打つ。
――漫画研究部。
――いいねいいね!
ポポンと、最近アニメ化されたマンガのスタンプが連続四つ。
――オレも、このスタンプ持って……
と返事を打つ間もなく、つぎの文字が。
――ぼくはね、美術部と掛け持ちして写真部にも入ってるんだ。
 心の中で、おまえ打つの早すぎって思う。

でも、さ。
 もし、小学生のあのときこうやって話せていたら。
 そんな考えが頭に浮かんで、やっぱムリだよなと思う。
 あのころ、スマホなんて持ってなかったし。
さらに冷静になって考えると、今のオレたち、かなり怪しい人に見えてるんじゃないかと気づく。
ふたりで向き合って、至近距離でスマホの画面を見つめてだまって立ってるなんて。急になんだかおかしくなってきた。
 くっ
 笑いをかみ殺す。
――どうしたの?
 ヤツがスタンプを送る。
「なんでもないよ」
 オレは口で答えた。

「おにいちゃーん!」
 オレを呼ぶ声がした。振り向くと、団子の刺さった棒を手に、残り火に近づいて真っ赤な顔をした克己が笑ってる。
「あれ、オレの弟」
「似てるね」
 俊太が口で答える。
「団子、そろそろ焼けたんじゃね? 食いに行かね?」
オレが言ったのと同時に、
――グッドアイデア。
 緑の画面に、弾むような文字が浮かんだ。

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