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資源ゴミの日

今、私の家の玄関には大きな大きなダンボールが、通路を塞ぐように置いてある。通る時にカニのように横向きに歩かないと通れないし、ほんとうに邪魔で仕方がない。

でも、このダンボールを捨てたいと思わない。

ダンボールに入っているのは、空き缶やら空き瓶やらただのゴミであるはずなのに。


私は先週TABIPPO仙台支部のスタッフと最後の合宿に行ってきた。仙台支部として活動できる最後のビックイベントだ。合宿では支部のみんなと人狼をして遊んだり、美味しいお酒を飲んだりした。楽しかった。でも楽しいだけではなく、全員からTABIPPOの活動を1年間振り返ってのあつい思いも聞いた。TABIPPOでの活動はまさしく青春で、それが終わるってなると私の青春が終わったように感じた。いっぱい泣いた。だから、今回の合宿は間違いなく私の人生のなかで忘れらない思い出になっていると思う。

そんな合宿の宴会で出た缶瓶を今回私が持ち帰るということになったのだ。この缶瓶を捨てるということが私にとっての合宿最後の任務で、捨てると完全に仙台支部合宿が終わってしまう。笑いあり涙ありの思い出が詰まった合宿が終わってしまう。だから、私は次の資源ごみの日が来ることを心から喜べない。TABIPPOの活動を終わらせたくない。

私は最近、時の流れに逆らおうとしている。

合宿が終わり仙台に着いて車から降ろされた時も、みんなとのバイバイが寂しくて、全力で走って車についていったし、今回の資源ごみも捨てるのもそうだ。

終わりから必死に逃げようとしている。

でも、時間は私の必死の抵抗をいつか押し切るだろう。どんなに私が頑張っても、別れという事実から逃げることはできないであろう。車は人間が走るよりも圧倒的に速いし、資源ごみの日も今週の土曜日に迫っている。現実は理不尽だ。

けれでも、私はそんな理不尽な現実を受け入れなくてはならない。一歩踏み出さなければならない。

わかってはいる。
でも、まだ私はすぐに現実を受け入れるほどの心は持っていない。


結局はこの新たな生活に慣れるしかないのかもしれない。
TABIPPOなき生活に。


時間は理不尽だけど、この悲しみはきっと時間が解決してくれる。

きっとそうだろう。


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