小説「沈みゆく浮島で手紙を書く男」
男が浮島で暮らし始めてから3ヶ月が経っていた。
島はゆっくり沈んでいた。
3ヶ月前の半分ぐらいの大きさになっていた。海にはサメが泳いでいて、ときどき服の切れ端が漂っていた。自分もいつかサメに食べられてしまうのだろうなと男は思った。
島には瓶に入った手紙がたくさん流れ着いた。
男は手紙を読むのが好きだった。
趣味や日々の出来事、孤独や怒り、後悔、グチ、楽しかったこと。イラストが描かれていたり、写真が同封してあることもあった。
誰かが誰かに宛てて書いた手紙。
宛名があるものもないものもあった。
大部分が特定の誰かに向けて書かれていた。届けたい相手に届くわけでもないのに、なんで宛名を書くんだろうと思った。
男が手紙を書く時はいつも宛名を書かず、「この手紙を読んでくれる人へ」としていた。受け取る相手のイメージはいつもあやふやだった。
男は映画について語る手紙を読むのが好きだった。もはや誰も見ることができない、誰かの頭の中だけに存在する物語や人物や世界。
男は釣った魚を焼くために手紙を燃やした。燃やすのは読んだ手紙だけ。手紙を読みましたよ、ということを男は煙で伝えているつもりだった。
ある日、魚釣りをしながら望遠鏡で遠くを見ると人影が見えた。どこからか漂ってきた浮島に人がぽつんと座っていた。島はほとんど沈んでいて、まるで水面に座っているかのようだった。
相手も望遠鏡で男の方を見ているようだった。
男が手を振ると、相手も手を振り返した。
助けをもとめているのかもしれないと思った。男はなにもできないので申し訳なく感じた。
男はその相手のことを、映画のことを手紙に書いてる人だと思うことにした。手を振っているのは、助けを求めているのではなく、ただあいさつをしているだけ。そういうことにしたら、少し気が楽になった。
男は相手に向けて手紙を書くことにした。
宛名は「手を振る人へ」とした。
あなたの手紙をいつも楽しみにしてました、こうして手を振りあえる仲になれたのがうれしいです、ぜひいっしょに映画を見たいです、でもそれはできないので代わりに月を見ましょう、という内容だった。
男は手紙を丁寧にたたみ、瓶に入れて海に流した。
その夜、月は見えなかった。男と相手は望遠鏡で互いを見ながら手を振りあった。男はお別れの気持ちをこめて手を振った。
男は望遠鏡を脇に置き、仰向けになった。無数の星と流れ星。波の音だけが聞こえた。
空が明るくなり、男は目を覚ました。相手のほうを見ると水平線だけが見えた。はじめからなにも存在してなかったかのようだった。
その日、いつものように手紙を読み、魚を釣って過ごした。夜には月が出た。満月よりも少し欠けていて、雲の後ろから姿を見せたり隠れたりした。
男は月明かりで手紙を書いた。相手がどこかで月を見ていると想像し、「手を振る人へ」と宛名を書いた。雨がポツポツと降ってきた。インクがにじんで文字が読めなくなった。そのうち紙は濡れてぐしゃぐしゃになり、字を書くこともできなくなってしまった。
そういえば、と男は思った。
相手の顔も名前も自分は知らないんだよな、と。