平成という失敗と鬼滅の刃という救い

2016年「鬼滅の刃」が連載開始し、2019年アニメがスタートし大ヒット作品となった。

虚構を経由して現実を分析すると、また違った角度、それまで見えてこなかった新たな現実が浮き彫りになることがある。そこには、その時代だから表現できた「問題意識」や「社会の無意識」が露わになる。

例えば「ONE PIECE」には生まれ育った街を離れ海に出る「ここではない何処か」が大きなテーマの一つであり、その時代の「窮屈さから逃げ出したい」「もっと自分が輝ける場所がきっとある」といった人々の思いが乗っかっている。

しかし、更に時代が進むとそんなことも言ってられなくなる。「世界の終わりが徐々に近付きつつある感覚」「集団的自衛権ってなに?」「トランプが大統領になるとか言ってるけど大丈夫なの?」というような得体の知れない何かが人々の生活を脅かそうとしている感覚は「進撃の巨人」のそれと、とても分かり易くリンクしている。

そして近年大ヒットした「鬼滅の刃」にも、この時代とのリンクをたくさん感じとれる。1つ1つ分析していきたいと思う。

まず思うのが、この作品は「恋愛」というものを巧妙に排除していることが窺える。主人公である炭治郎と禰豆子の関係を兄妹にしてそこに恋愛が入り込む隙を与えないようにしている。ここに男性に対する女性の諦めに似た感情を読み解くことができる。

我々はいつ恋愛を諦めたのか。ある一定以上の女性に多く聞く「好きな人ができない」という悩み。そもそも人間に恋愛とは必ずしも必要なことなのだろうか。これは男性に多いかもしれないが、仕事で忙しいとか、週末スポーツしていれば楽しいとか。恋愛なんて所詮、人生の1ジャンルにすぎないと割り切っている男性は多い。では仮に恋愛できないという悩みが女性に多いということならば、それだけ女性にとってこの国、この時代は生き辛いということなのだろう。

この辺、もう少し深く分析してみたいと思う。

戦後間もない頃の日本には「女は男の三歩下がって歩くべし」という価値観(もともと「奥さん」とは家の奥にひっこんでろという意味合いがあったり、そもそも「嫁」という字から女性は家に居るのが当たり前という価値観が垣間見れる。今では考えられない価値観だ)が当たり前にあった時代(サザエさんのフネさんをイメージしてもらえると分かり易いだろうか)の価値観は崩れさった。それは戦争が終わり国が豊かになると、男性のマッチョイズム(男らしくあるということ)が社会的に価値があるものでは無くなってしまったのが大きい。

それまでは、わざわざ歩き難い着物を着るなどしてときには「弱さを演出」すらさせられていた女性達(今でも日本はまだまだ先進国とは名ばかりの男尊女卑の激しい恥ずかしい国ではあるのだが当時はそれに輪をかけて女性の地位が低かった)だったが国が豊かになったのをキッカケに徐々に女性の声が世間に届くようになる。

1982年「風の谷のナウシカ」では戦う女ナウシカを。1989年「魔女の宅急便」では、空を飛ぶ少女キキを、それぞれ出てくる男達はそれを見ているだけである。当時の女性と男性の立ち位置を如実に表している。「女性が強くなる」ということは男性にとって「守るべき対象がいなくなる」ということで要するに「出る幕がない」ということなのだ。

そんな、男性性(男らしさ)が機能しなくなったところへ追い討ちをかけるようにバブル崩壊(1991)オウム事件(1995)そして阪神大震災(1995)が起こる。

そんな激動の時代の最中、バブル崩壊の後、1992年に「美少女戦士セーラームーン」が始まる。この辺からどうやら「男は当てにならない」「これからは女が戦う時代」という価値観が如実に現実にも芽生え始めていた時期ではないだろうか(タキシード仮面はそれまでの「白馬の王子様」の外見はしているものの、いざ戦闘になると頼りにならない)

そしてオウム事件により、ヨガやインド哲学の思想を巧みに取り込みスピリチュアル的魅力で若者達を巻き込んだ宗教の完全敗北。極め付けの大地震。すがるものが何もなくなり人々はどこにも行けなくなった。

ここでセーラームーンの中で辛うじて「形」だけは残っていた女性の「白馬の王子様」の幻想も大きく崩れる。コギャルや援助交際などがブームになるのもこの時期である。この辺の女性達の絶望を歌にして共感させて「姫」になったのが「浜崎あゆみ」である。

ここで(結果的に)女性の地位を上げることになった「おニャン子ブーム」にも目を向けたいと思う。このブームが発端となり、それまで特別だった芸能人と一般人の境界線が曖昧になり現在のAKB48に至るまで、その系譜は(あまりよろしくない形にアップデートしながら)繋がっている。

AKB48は行き場を失った少女達に「何も無い私が何者かになれるかもしれない」という夢を見させることに成功した。そこには「白馬の王子様」も「ヒーロー」もいらない、そこには女性の泥臭い自意識の戦いが繰り広げられることになる。そして少女達は「商品」になった。

自分が商品である以上、周りより自分の方が「良品」であるということを相対的にアピールするため周りにいる他の商品を下げる必要がある。下げる為に他人を攻撃する、それによって自分が上に立っていることを演出することができるからだ。これは「ヘマをした芸能人にTwitterで石を投げて溜飲を下げている現代人」に繋がっているのではないだろうか。

そして「何者かになれるかもしれない」という希望は逆に言えば「何者でもない自分は無価値」という絶望を生むことになる。「もともと特別なオンリーワン」という歌詞で2002年に大ヒットした「世界に一つだけの花」だが、果たして人間はもともと特別なのだろうか。特別でなければいけないなんてとても生き難い世の中な気がしてしまうのは気のせいだろうか。この時代のこの価値観に押し潰されてしまった人は少なくないのではないだろうか。

女性達が浜崎あゆみに共感していたとき男性達は母にも父にもクラスメートの女子にも誰にも承認されず孤独を強いられる。これは正に「新世紀エヴァンゲリオン」が描いたそれそのものだ。(男性を優しく受け入れる余裕が女性にも無かった)アダルトチルドレンが騒がれたのもこの時期だ。大人も大人をやる余裕がなくなる。そして徐々に人々は壊れていく。

そして2005年辺りに露骨になる「引きこもり」「虐待」「毒親問題」など社会が地獄になり毎日自殺者が百人以上という現実を覆い隠すように「モーニング娘。」や「オレンジレンジ」、「エンタの神様」をキッカケに始まる「お笑いブーム」などなど。テレビは都合の良い夢を見せ現実の問題から目を背けさせることに成功していた(この辺り、鬼滅の刃の無限列車に通ずるものを感じないだろうか)

それまで男の子が夢中で追いかけていたのが「ドラゴンボール」や「スラムダンク」などの所謂、自分の体を強化(マッチョイズム)して戦う作品だったのが、いつの頃からか「遊戯王」や「ポケットモンスター」などのアイテムや代理品で戦う作品が主流になっていく。(身体的に)傷つくのはピカチュウでサトシではない(この辺は劇場版ミュウツーの逆襲にて問題定義的に扱われていた)ここにも男らしさの敗北が見てとれる。そして更に「けいおん」などに代表される(サトシも、そしてピカチュウすら傷つくことのない)「日常系」を見てなんとか生き延びることに成り下がる。

そして終わりの見えない地獄。2008年には「リーマンショック」2010年には「東北大震災」が起こる。

2011年頃からいよいよ都合の良い夢を見させられていたことに人々が気付き出す。原発問題然り、そして国は大手の会社にしかお金をまわさない。格差社会が如実に可視化されたのもこの時期からだ。そして2013年「特定秘密保護法」でプライバシーも無くなっていく。

ここで虚構に話しを戻して、そろそろまとめに入りたいと思う。もうルフィもサトシも帰るべき場所を見失っているのだ。それは、もはや「平成」という時代にはそんな場所は存在しなかったことを物語っている。

2016年にSMAP解散、2019年天皇陛下生前退、2020年嵐活動休止、これは、この時代に象徴で居続ける難しさを物語っている。そして人を柱にして寄りかかってなんとか生き延びることも、もう不可能だということも。

そんな絶望の最中、鬼滅の刃は連載が開始されアニメ放送が始まり大ヒットする。

主人公の炭治郎はとても優しい少年だ。家族思いで仕事熱心である。しかし、そんな非の打ち所がない彼のもとにも無情にも不幸がやってくる。家族は殺され、妹は半分鬼になる。「どんなに不幸でも優しささえ失わなければ幸せに生きていける」という微かな希望を平成という残酷な時代に粉々にされた当時の若者たちのように。

そう。炭治郎はそんな若者達の代わりに泣いてくれるのだ。代わりに叫んでくれるのだ。しかし代わりに絶望はしない。それでも前に進むのだ。そこに憧れるのだ。その信じることをやめない強さに。だから見ている者達は自然と涙を流す。経験した絶望が深ければ深いほど。

強くなくては生き残れない。しかし人は弱い。だから傷つけられたとき「なんで自分がこんな目に…」と自分の傷ばかり見つめ絶望してしまう。しかし自分の傷ばかり見ていては治るものも治らない。自分の傷が治るとき、それは誰かの傷を治しているとき気が付いたら自分の傷が治っているものなのだ。そんなシンプルな、しかし平成という失敗、そしてそれを隠すように都合の良い夢を見せられていた我々には気付けなかったこの世の真理を炭治郎は自分の体に刃を突き刺すことで教えてくれたのだ。鬼滅の刃とは我々にとって、そんな心地良い説教のような作品なのである。

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