雨宮神社って古墳じゃないか?
熊本県人吉盆地の相良村に雨宮神社がある。この地域南九州は長らく朝廷に従わなかった蛮族の熊襲・隼人がいる場所だ。隼人は薩摩のことだ。熊襲は薩摩より少し北に住む人々で、人吉市は日本書紀でヤマトタケルが西征の際に倒した熊襲の首長である川上タケルがいたのではないかと言われてている場所だ。
北九州の筑後、日向の宮崎平野には古墳が大量にあるが、九州中・南部には古墳が少ない。古墳がヤマト王権側の文化だとすると納得がいく話だ。
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筆者の親は人吉出身で、私が人吉の実家に規制した際に、父が雨宮神社に毎月参拝してるといっていて一緒に参拝して来た。
しかし、この田んぼの中にポツンとあるモッコリとした山、、、おまけに上には神社がある。古墳じゃなか??
中に古代の豪族が眠っていて、神社はその人を祀っているのではないか。。
神社の説明には、主祭神は「速秋津比古神と速秋津比売神の御子神で水に縁のある天之水分神、国之水分神、久比邪持神、同様に水の神の高於加美神、航海の守護神の舟玉命を祀っています」とある。水に縁のある神を祭る、要は近くを流れている川辺川を祀っているのだ。雨宮神社は、元は京都の貴船神社から勧請されたとされる。貴船神社も京都の鴨川上流にある水を祀る神社だ。
川辺川は人吉盆地を流れる球磨川の支流だ。球磨川は2020年に氾濫し、人吉の繁華街が水没したが、球磨川水系は昔から暴れ川だったようだ。
そのモッコリとした見た目から、雨宮神社はトトロの森とも呼ばれているらしい。いわゆる「鎮守の森」である。
また、この神社は「川辺川に沿って凡およそ70戸の集落を成す永江地区の地の産土神」を祀っているとも紹介されている。産土神(うぶすながみ)は、神道において、その者が生まれた土地の守護神のことだ。
要は雨宮神社にはこの周辺を治めていた古代の豪族がいるということだ。
田んぼの中に不自然な山が古墳である理由
『日本の歴史〈1〉神話から歴史へ』井上 光貞 (著)で述べられたいたのだが、日本神話の国うみ神話には古墳ができる由来があるという。
国うみ神話曰く「イザナミとイザナギは天沼矛を授かり、天浮橋に立ち、沼矛を差し下ろして掻き回し、海水をかき鳴らして引き上げた時、その矛の先より滴り落ちる塩が重なり島となった」。
井上は「田んぼを耕す時に余った土を捨てた場所が山となる。農耕が発展すると定住社会ができ、村から小さな国に発展する。そして田んぼを耕し出た土で作った山に、その土地を治めた首長を埋めた」とと述べている。
海外の王権者達は、パリのベルサイユ宮殿、エジプトのピラミッドのように王の権力を示す建築物を街のはずれに作るが、日本の古墳が田んぼのある住宅街のど真ん中にあるのは必然の話なのだ。
古墳時代のヤマト王権の大規模古墳は、仁徳天皇陵に代表されるように前方後円墳であることが多いが、雨宮神社は丸いので円墳だろう。
古代のクマ地方に住まう人々にはさまざまな呼び方があった。熊襲・肥人など。しかしながら、どれの名称がどの時期にどの地域を指していたのかがいまだに不明だ。この古墳を発掘すると同定できるかもしれない。もしかしたら、神代文字が出てくるかもしれない。是非とも調査してもらいたい。。
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